昨年8月末に、藤田嗣治の大作「秋田の行事」を移転させた、新秋田県立美術館の展示室における、藤田嗣治の壁画「秋田の行事」の見え方について、旧来の展示室(平野政吉美術館の大展示室)より、「絵が縮んで見える」「窮屈に見える」「迫力が感じられない」「絵の輝きが失われた」…などの指摘があるが、光源、照明に対する問題点、不満も指摘されている。
「光源が少し残念。もう少し温かい光源にして欲しい」「照明の反射が気になる」「照明の照り返しがきつい」………と言ったものである。
新美術館では、紫外線対策とかいう理由で、人工照明、LEDが使用されているが、これによって、従来の展示室(平野政吉美術館の大展示室)での見え方に比べて、大きく変化したという指摘である。
著者が平野政吉美術館において、藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」を鑑賞する際、充足感を得た見方の一つに、壁画の中央正面に立ち、目の前の「竿灯」、画面右側の「梵天」の場面に視線を向け、鑑賞することがあった。
倒れた竿灯とともに、頭上高く掲げられた竿灯の竿(下の部分のみ)を描いたシーンでは、視線を上方に向けると、画面の枠を突き抜け、遥か上方にある提灯が目に浮かぶような迫力を体感できた。梵天のシーンでも石段を駆け抜ける男たちが、画面を突き抜け、天空にまで駆け抜けるような迫力を感じることができた。藤田嗣治の天才的な表現力が感じられた。
また、画面左側に目を向けると、かまくら(雪室)、雪だるま、馬、香爐木橋(こうろぎばし)の入り口、平野家の愛犬・錦風まで、中央を向いており、奥行き感や後方への広がりを体感できた。
こららは、緩やかな双曲線を描いた約18メートルの天井の高さを持つ、550平方メートルの大展示室と、目に優しい光源(自然光)によって産み出されていたものである。
藤田嗣治が、平野家に示したメモ (2013年6月、企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」で展示) によると、美術館のイメージは、教会のような大空間の展示室、上方から自然光が採られ、壁画に柔らかく差し込む形式が取られている。
また、平野政吉にも、美術館の屋根は、自然光の採光形式にするよう、助言したと伝えられている。
「藤田は『美術館の屋根は、ランス礼拝堂のような採光の形式にしてくれ』と注文をつけた。私は、それを忠実に守った。平野美術館の特徴ある丸窓は、このためだ。」 (1983年《昭和58年》1月12日、朝日新聞「聞き書き わがレオナルド藤田」より)
藤田は壁画の最善の見方として、圧倒的に広い空間と上方への広がり、絵の自然な色が見える自然光による採光形式を考えていたと思われる。
平野政吉美術館 (秋田県立美術館 《旧》 ) は、それらを忠実に実現していたと言える。
新県立美術館の壁画展示室では、それらが何も活かされていない。
竿灯、梵天の場面では、満足に上方を見上げることすらできず、画家が意図した迫力感が減少した状態になっている。これは、鑑賞するものにとって、とても残念なことと言えるだろう。
新美術館建設に際して、秋田県議会では、2010年当時、現県立美術館 (当時) の自然光の採光形式が、絵に悪い。だから移転が必要だという議論がされた。
しかし、世界に目を向けると、例えば、パリのルーブル美術館では、500年以上前の絵画も自然光がふんだんに採り入れられた環境の下、鑑賞されているし、オランジュリー美術館では、クロード・モネの「自然光で見てほしい」という遺志を再現するために、自然光を採り入れた展示室がフランス政府によって造られている。
そのほか、アメリカ・ニューヨークのメトロポリタン美術館、ニューヨーク近代美術館、スペイン・バルセロナのミロ美術館なども館内に自然光を採り入れている著名美術館である。
そして、それらの美術館から紫外線による絵の被害等が報告されたことはない。
また、日本でも東京都江東区の東京都現代美術館、神奈川県横須賀市の横須賀美術館、神奈川県葉山市の神奈川県立近代美術館葉山館なども館内に自然光を取り入れた美術館である。
さらに、新秋田県立美術館の設計者でもある、安藤忠雄氏が手掛けた、滋賀県の織田廣喜美術館は、人工照明を一切使わず、自然光だけで鑑賞する日没閉館の美術館となっている。安藤氏は展示室の壁に 「作品は自然光で見てもらうのがいいと思います」 の文言まで残している。
そして、伊藤若冲作品の世界的コレクターとして知られる、ジョー・プライス氏も自身が持つ展示室を自然光で鑑賞できるようにしており、その理由として、 「自然光で観ると絵に奥行きが出るが、人工照明で観ると絵が平面的に見える」 ことを挙げている。
秋田県議会での、自然光による採光形式が絵に悪い。だから、美術館移転が必要だという議論が如何に貧困なものであったのがよく分かる。
藤田嗣治が、大壁画「秋田の行事」を自然光で観るよう、平野に助言したのも、大空間に身を置くこととの相乗的効果で、奥行き感、臨場感、立体感を出すことを求め、観る者に迫力を感じとって欲しいと願ったからに違いない。
そして、それらが、忠実に実現された平野政吉美術館 (秋田県立美術館 《旧》 )こそが、藤田嗣治が魂を込めた大作「秋田の行事」の展示に最も相応しい美術館、展示室であることは疑いないだろう。
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パリでの「乳白色」から、色彩と三次元表現の「秋田の行事」へ … 藤田嗣治の変貌
懸念される新県立美術館での藤田嗣治「秋田の行事」の展示
藤田嗣治「秋田の行事」の構図と奥行き感、臨場感
藤田嗣治が助言した平野政吉美術館の採光
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。
(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問)
新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、
以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。
などの声が上がっています。
「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
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「光源が少し残念。もう少し温かい光源にして欲しい」「照明の反射が気になる」「照明の照り返しがきつい」………と言ったものである。
新美術館では、紫外線対策とかいう理由で、人工照明、LEDが使用されているが、これによって、従来の展示室(平野政吉美術館の大展示室)での見え方に比べて、大きく変化したという指摘である。
著者が平野政吉美術館において、藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」を鑑賞する際、充足感を得た見方の一つに、壁画の中央正面に立ち、目の前の「竿灯」、画面右側の「梵天」の場面に視線を向け、鑑賞することがあった。
倒れた竿灯とともに、頭上高く掲げられた竿灯の竿(下の部分のみ)を描いたシーンでは、視線を上方に向けると、画面の枠を突き抜け、遥か上方にある提灯が目に浮かぶような迫力を体感できた。梵天のシーンでも石段を駆け抜ける男たちが、画面を突き抜け、天空にまで駆け抜けるような迫力を感じることができた。藤田嗣治の天才的な表現力が感じられた。
また、画面左側に目を向けると、かまくら(雪室)、雪だるま、馬、香爐木橋(こうろぎばし)の入り口、平野家の愛犬・錦風まで、中央を向いており、奥行き感や後方への広がりを体感できた。
こららは、緩やかな双曲線を描いた約18メートルの天井の高さを持つ、550平方メートルの大展示室と、目に優しい光源(自然光)によって産み出されていたものである。
藤田嗣治が、平野家に示したメモ (2013年6月、企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」で展示) によると、美術館のイメージは、教会のような大空間の展示室、上方から自然光が採られ、壁画に柔らかく差し込む形式が取られている。
また、平野政吉にも、美術館の屋根は、自然光の採光形式にするよう、助言したと伝えられている。
「藤田は『美術館の屋根は、ランス礼拝堂のような採光の形式にしてくれ』と注文をつけた。私は、それを忠実に守った。平野美術館の特徴ある丸窓は、このためだ。」 (1983年《昭和58年》1月12日、朝日新聞「聞き書き わがレオナルド藤田」より)
藤田は壁画の最善の見方として、圧倒的に広い空間と上方への広がり、絵の自然な色が見える自然光による採光形式を考えていたと思われる。
平野政吉美術館 (秋田県立美術館 《旧》 ) は、それらを忠実に実現していたと言える。
新県立美術館の壁画展示室では、それらが何も活かされていない。
竿灯、梵天の場面では、満足に上方を見上げることすらできず、画家が意図した迫力感が減少した状態になっている。これは、鑑賞するものにとって、とても残念なことと言えるだろう。
新美術館建設に際して、秋田県議会では、2010年当時、現県立美術館 (当時) の自然光の採光形式が、絵に悪い。だから移転が必要だという議論がされた。
しかし、世界に目を向けると、例えば、パリのルーブル美術館では、500年以上前の絵画も自然光がふんだんに採り入れられた環境の下、鑑賞されているし、オランジュリー美術館では、クロード・モネの「自然光で見てほしい」という遺志を再現するために、自然光を採り入れた展示室がフランス政府によって造られている。
そのほか、アメリカ・ニューヨークのメトロポリタン美術館、ニューヨーク近代美術館、スペイン・バルセロナのミロ美術館なども館内に自然光を採り入れている著名美術館である。
そして、それらの美術館から紫外線による絵の被害等が報告されたことはない。
また、日本でも東京都江東区の東京都現代美術館、神奈川県横須賀市の横須賀美術館、神奈川県葉山市の神奈川県立近代美術館葉山館なども館内に自然光を取り入れた美術館である。
さらに、新秋田県立美術館の設計者でもある、安藤忠雄氏が手掛けた、滋賀県の織田廣喜美術館は、人工照明を一切使わず、自然光だけで鑑賞する日没閉館の美術館となっている。安藤氏は展示室の壁に 「作品は自然光で見てもらうのがいいと思います」 の文言まで残している。
そして、伊藤若冲作品の世界的コレクターとして知られる、ジョー・プライス氏も自身が持つ展示室を自然光で鑑賞できるようにしており、その理由として、 「自然光で観ると絵に奥行きが出るが、人工照明で観ると絵が平面的に見える」 ことを挙げている。
秋田県議会での、自然光による採光形式が絵に悪い。だから、美術館移転が必要だという議論が如何に貧困なものであったのがよく分かる。
藤田嗣治が、大壁画「秋田の行事」を自然光で観るよう、平野に助言したのも、大空間に身を置くこととの相乗的効果で、奥行き感、臨場感、立体感を出すことを求め、観る者に迫力を感じとって欲しいと願ったからに違いない。
そして、それらが、忠実に実現された平野政吉美術館 (秋田県立美術館 《旧》 )こそが、藤田嗣治が魂を込めた大作「秋田の行事」の展示に最も相応しい美術館、展示室であることは疑いないだろう。
<関連記事>
パリでの「乳白色」から、色彩と三次元表現の「秋田の行事」へ … 藤田嗣治の変貌
懸念される新県立美術館での藤田嗣治「秋田の行事」の展示
藤田嗣治「秋田の行事」の構図と奥行き感、臨場感
藤田嗣治が助言した平野政吉美術館の採光
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。
(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問)
(2015年9月)
新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、
以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。
などの声が上がっています。
(2014年2月)
「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)
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