Akita Column 随筆
> 平野政吉氏に出会った人々の思い出。

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2014.04.01
 1967年(昭和42年)、秋田県で、史上初の美術館として開館した、秋田県立美術館・平野政吉美術館は、46年間で、100万人ほどの来館者を集めたということだが、最初の1年目は、年間35万人以上の入館者があったようです。
(初年度入館者、一日平均1000人以上《「平野政吉 世界のフジタに世界一巨大な絵を描かせた男」より、 渡部琴子著 新潮社 2002年》)

 平野政吉美術館の入館者数が少ないことを問題視し、県などが移転新築を進めたが、開館当初は盛況であり、その後の広報活動や管理運営の在り方に問題があったに過ぎないことが分かります。

 また、県民待望の美術館であったことや、秋田県民の熱しやすく冷めやすい気質が、開館当初の数字に垣間見えているようです。

P1010363 平野政吉美術館と堀(5月) 800x300

 46年間の長い歴史の中で、多くの県内外の人々が、収蔵作品の寄贈者であった、平野政吉館長(当時)に、実際に出会い、人柄に触れる経験を持ったことは広く知られています。

 そのうちの極一例だが。
 ある秋田出身の人は、「帰郷するたびに、広小路からお堀越しに見える、傾斜した屋根を持つ平野政吉美術館を懐かしく思い、藤田の絵に会いに来ては、『秋田の行事』と展示室の大空間に『いつもの感じ』を確認し、時の過ぎゆく中、変わらぬものに迎えられる『安らぎ』を感じることができた」と話し、その際に、紋付き袴に草履姿の平野政吉に話しかけられ、館長室で藤田画伯の話や秋田蘭画を見せて頂いたことなどが思い出深いと語っています。

 また、ある人は、「子供の頃、学校の帰りなどにP1010455 平野政吉 720x540平野政吉美術館に行くと、羽織袴の老齢の平野政吉がとことこと傍にやって来て、絵の説明や親交の深かった藤田画伯のことを事細かに説明してくれ、そのうえ、いつもお菓子を食べていきなさいと言ってくれた」と懐かしく語っています。

 著者自身も、高校生当時、平野政吉美術館を訪れた際、平野政吉に話しかけられ館長室に招かれ、絵の説明などを伺った経験があります。
 その際の平野政吉の楽しそうで、誇らしげな姿が今も思い出されます。私にとって、氏は、気品溢れた、雲の上の存在のように感じられました。帰り際、氏は絵葉書にサインをし、私に呉れました。そこには、壁画「秋田の行事」に藤田画伯が書いた署名と同様に、「秋田 平野政吉」と記してあります。いかに氏が郷土・秋田を愛し、誇りにしていたかが今でも伝わって来るようです。

 命懸けで藤田嗣治コレクションを収集し、美術館建設に生涯を捧げた平野政吉の思いを無にするようなことは止めて頂きたいと、切に願い、今後も訴えていきたいと思う。



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藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)


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平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
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ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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