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藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)


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平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


お薦め記事 … 郷土・秋田の文化遺産を継承する会
ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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    2013.09.27
     公益財団法人平野政吉美術財団は、平野政吉が設立した財団法人平野政吉美術館を名称変更し、2012年4月に設立され、定款によると、壁画「秋田の行事」の保存並びに展示公開、壁画「秋田の行事」以外の平野政吉コレクション及びその他の美術資料等の保存並びに展示公開、秋田県立美術館の施設管理運営などを事業目的とするとなっている。
     また、最初の理事長は、O氏、常務理事はO氏とするとある。

     理事長のO氏は、県会議員で、県から移転要請された時、2007年12月は、財団法人平野政吉美術館の理事長であり、当時、秋田県議会議長でもあった人である。
     当初、移転は原則反対としながら、数ヵ月後に「これ以上待たせると再開発準備組合(当時)や行政に迷惑をかける」(2008年3月25日、秋田魁新報)という曖昧な理由で、採決を急ぎ移転受け入れを決めた、政治的な移転受け入れをした当事者である。

     常務理事O氏は、財団の移転受け入れ後の、2009年9月に、財団法人・平野政吉美術館の館長に選考された人物で、高校の美術教諭や県教育庁の勤務、県立近代美術館の副館長を経験している。県にとって好都合な、県の意向通りになる人物なのだろう。
     この常務理事のO氏、新県立美術館の館長になると新聞記事にあった。
     以前、このO常務理事の藤田嗣治画伯の壁画「秋田の行事」についての発言を新聞で見たが、理解できないものであった。

     「『秋田の行事』が私たちを魅了するのは、壁画に描かれた民衆のパワーが伝わってくるから」(2013年3月6日、秋田魁新報)と言っていたことがあった。
     個人の見解なのだろうが、藤田の表現力や観察力、構図や色彩表現など、画家・藤田嗣治の技量の凄さに言及することなく、「秋田の行事」の魅力が「民衆のパワー」によるものという単純な見方であり、著者は全く同意できない。藤田の才能より、選んだ素材が良いから「秋田の行事」に魅了されると言っているに等しい暴論に聞こえた。

     また、「現県立美術館ではただ展示するような傾向にあり、藤田が秋田をどう捉えて作品を描いたかを理解してもらう努力が足りなかった」(2013年7月19日、秋田魁新報)と話している。これは、現美術館の問題ではなく、財団自身の運営の問題ではないのか。藤田が秋田をどう捉えていたかは、藤田がかつて出版した随筆集等ですぐ分かることであり、また、昨年辺りの新聞にも連載されていた。40数年の平野政吉美術館の歴史の中で、既に繰り返しやってきたことではないのか。認識が甘いのではないかと思った。

     県にとって好都合な人が館長では、今後、県民、市民とともに美術館を創っていくという感覚に乏しいのではないかと思われる。
     また、最近の新聞によると、平野政吉の三男の人や藤田嗣治の親族にあたる人も財団の理事になっているとのことである。

     さて、県立美術館の移転が、2010年2月に秋田県議会で取り上げられた際、信じられない理由を付けられ、移転が必要と議論された。
     現県立美術館が、カビ臭い、床がゆがんでいる、紫外線が入る、白華現象が見られるなどの理由である。(詳細は、ウェブ上の議事録からも確かめることができる。)
     このうち、白華については、コンクリート構造物の強度に問題はなく、無害で環境上の問題もなく、洗剤などで落とすこともできるものとのことだ。
     すべての理由が、それゆえ移転新築が必要とは言えないものばかりであった。
     まるで、何かの言い掛かりのようなことを付けて、県議会において、秋田県教育庁と議員によって議論されていたのである。



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    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

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    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2013.09.27(23:30)|未分類||TOP↑
    2013.09.26
     画家・藤田嗣治は、「随筆集・地を泳ぐ」(1942年《昭和17年》、書物展望社、[復刻:1984年《昭和59年》、講談社])の中で、新しい街づくりにおいて、歴史ある建物は、保存を講ずべきだ。自分の郷土の文化を誇り、観光客に史料を与えるようにすれば、観光客もやってくるなどと語り、郷土の文化的遺産を保存することの大切さを語っている。

     これらの言葉は、そのまま、秋田市千秋公園にある、県立美術館・平野政吉美術館にも当て嵌まるものだと感じた。さすがに、世界を渡り歩いた、見聞の広い、見識在る藤田嗣治の考え方であると共感した。

     これらの言葉は、藤田嗣治が、昭和13年5月に沖縄を訪問した際、琉球新報社主催の講演会で述べたもので、「随筆集・地を泳ぐ」(1942年《昭和17年》、書物展望社、[復刻:1984年《昭和59年》、講談社])の「世界を語る」の頁にあるものである。

    「文化の躍進に、おくれてはいけないが、新しい街を建てるにしても、立派な橋とか、歴史ある建物は、小公園にするとか、其の他の方法で、保存を講ずべきだと思います。かくして、自分の郷土の文化を誇り、観光客に、史料を与える様にすれば、どしどし、県外から観光客がやってくる … 」(随筆集・地を泳ぐ 1942年《昭和17年》、書物展望社、[復刻:1984年《昭和59年》、講談社])

    「 … 歴史のある建物をこわすとか、不見識なことをやっているそうですが、色々な史跡を遺すことは、先へ行ってから、非常に為になることだと思います」(随筆集・地を泳ぐ 1942年《昭和17年》、書物展望社、[復刻:1984年《昭和59年》、講談社])


    などと沖縄に助言し、語っている。これは、日本各地に対しても、全く同様に言えることである。

     昭和13年頃の、この時代に、現代に通じる見識を持ち、郷土が誇れる歴史的建造物を遺すことの大切を伝えていた藤田に改めて敬意を表したい。

     歴史的建造物や古い街並み、郷土の誇れる文化を保存し後世に伝えようとせず、魅力のない街を作ってきた、秋田市の人々は、先見の明を持つ、藤田嗣治の的確な指摘をよく噛み締めるべきである。






    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
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    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
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    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
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     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
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    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • ≫「藤田嗣治、随筆の中で、歴史的建造物を遺すことの重要性を語る ~ 県立美術館・平野政吉美術館にも当て嵌まる言葉 ~」の全文を読む


    2013.09.26(23:30)|未分類||TOP↑
    2013.09.25
     9月22日、BS朝日で放送された「藤田嗣治・秋田への夢路 地を泳ぎ 天を歩く」という番組を見た。(秋田朝日放送では、9月21日放送)
     昨年12月にパリで初めて撮影されたという、連合国軍人クラブ所蔵の壁画「花鳥図」、秋田の平野政吉邸(米蔵)で描かれた大壁画「秋田の行事」、1913年、初めてパリに渡って以来の、藤田の画業の大まかな足跡などを紹介し、藤田像に迫ろうとした番組のようだった。
     1929年(昭和4年)に描かれたと言う「花鳥図」は、藤田の作品としては珍しい金箔を張った琳派風の作品で、藤田らしい線の美しさなども見られるが、花鳥画としては、江戸中期の天才絵師、伊藤若冲の「群鶏図」(1757年-1766年頃、宮内庁所蔵)などと比較すると少し差があるような気がした。
     この壁画の複製パネルを、秋田県教委、秋田市教委、秋田朝日放送で構成した制作展示委員会が制作したとのことだが、パリに出掛け、撮影してわざわざパネルにする意味が感じられない。写真パネルでは、市場の価値も制作費以下だろう。

     新県立美術館の話題作りのための浪費だろうが、秋田はそれほど裕福な県なのか?と感じた。

     藤田の画業の足跡を辿った部分は、大雑把で掘り下げた内容ではなく、目新しさもなく、物足りなさが否めない印象であった。

     一方で、フランス人の美術史家、シルヴィー・ビュイッソンさんの藤田への見方は、興味深かった。

    「ボーモン伯の依頼にせよ(壁画「花鳥図」)、バロン薩摩氏にせよ(壁画「欧人日本へ渡来の図」)、フジタは実際には常に自画像を描いたのです。… フジタの表現するものは、すべて、ある一つの形の精神的自画像になる訳です」

    「ラテンアメリカへの旅は、実はパリとの決別でした。…マドレーヌとともにモンパルナスから逃げたのです…」 ~ 藤田によると「自分の将来に、行きづまりを感じたので、何とか打開しようという気持ちからであった」(「随筆集 地を泳ぐ」1942年、書物展望社[復刻:1984年、講談社]) ~

    「(マドレーヌはフジタにとって)まさにセラピーです。この治療が彼に新しい形の色や絵を描かせます。彼は生涯それを手放しませんでした」

    「(フランス人は)フジタが言わば人質に取られているような思いでした。1940年に日本に帰国した時点からですね。…フランス人はすぐに理解しました。(戦争画は)プロバカンダの道具にされたと…」 など

     また、君代夫人から、メゾン・アトリエ・フジタに寄贈された、1929年から1939年までにフジタが撮影した約2500枚の未公開写真(ネガ)には、1936年当時の秋田のものなども残されており興味深かった。

     秋田県立美術館に展示された「秋田の行事」の場面を見て、何故この美術館から「秋田の行事」を移設しなければならないのかという思いを改めて感じ、寂しさを感じさせた。

     8月31日に移設された「秋田の行事」の移転作業の様子も流れていたが、藤田と平野が関わった県立美術館・平野政吉美術館への惜別の思いも少しは感じられる内容ではあった。

     藤田が、故国、日本への思いを込め、描き残した大作「秋田の行事」。その展示のために、藤田は、晩年(1963年~1966年頃)、平野政吉や平野の親族に、展示室のスペースや館内の自然光の採光形式、細かい展示の仕方などを助言している。

     この「秋田の行事」のための本来の展示室、県立美術館・平野政吉美術館の展示室で、再び「秋田の行事」が観れる日が来ることを願いたい。
     また、我々はそのための英知を絞るべきではないだろうか。






    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
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    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
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  • 2013.09.25(23:00)|未分類||TOP↑
    2013.09.20
     7月頃の新聞に、藤田嗣治の未公開の「花鳥図」の複製パネルが制作され、新県立美術館の開館記念に展示されるという記事があった。
     1929年(昭和4年)の作ということだが、この年の5月には、薩摩治郎八に依頼され描いた大壁画、「欧人日本へ渡来の図」(1928年作)を飾った、パリ国際大学都市日本館が開館している。9月28日には、藤田は、当時の妻ユキを伴なって16年ぶりに帰国を果たし、12月には自身初の随筆「巴里の横顔」(実業之日本社)が刊行され、好評を博している。

     この時期に、パリで「花鳥図」を描いたことは、ほとんど知られてなく、夏堀全弘著「藤田嗣治芸術試論」(2004年、三好企画)の「藤田嗣治年譜」に僅かに「フォーブル・サントレノ街のクラブに壁画『鳥と花』を制作」(2004年、夏堀全弘著「藤田嗣治芸術試論」、三好企画)とあった。 

     藤田の作品としては珍しい琳派風の作品で、黒地に金箔を張り、空間に「陸鳥」と「水鳥」が描かれている。連合国クラブという高級会員制クラブが所蔵しており、クラブのサロンの5メートルの高さに完全に埋め込まれた壁画で、会員以外は建物にも入れず、この壁画を目にすることは一般にはほとんどないということだ。

     この壁画の複製パネルの制作は、新県立美術館の目玉にということで、秋田県教育委員会、秋田市教育委員会、秋田朝日放送でつくった制作展示委員会が行ったものだと言う。
     希少な藤田作品のパネルではあるが、原寸大の幅14.21メートル、高さ1.45メートルの巨大なパネルで、報道によると制作費用は650万円であったと伝えられている。
     民間のテレビ局は別だが、県と秋田市の教育委員会がこの制作に加わっていることには、疑問だ。藤田のパリでの作品の複製パネルをわざわざパリに出かけ、作ることが、秋田の教育委員会の仕事とは思えない。秋田の子供たちのために必要なものとも思えない。その費用は寧ろ美術館の修繕費に充てるべきではないか。客寄せのための目玉を作るのが、教育委員会の仕事ではないだろう。






    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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    美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


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    ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
    現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • 2013.09.20(23:00)|未分類||TOP↑
    2013.09.15
     9月13日に、NHK秋田で放送された「世界のフジタ“伝統”への回帰 ~片岡鶴太郎×『秋田の行事』~」という番組を見た。

     フランス・パリを舞台に活躍し、時代の寵児と言われた画家・藤田嗣治が、日本に戻った際、秋田の地で描いた大作、壁画「秋田の行事」。この壁画と「平野政吉美術館」で出会い、魅せられた片岡鶴太郎さんが、藤田嗣治の創作の内側に迫り、秘話を探訪するという内容の番組であった。

     番組では、、随筆集「地を泳ぐ」(1942年《昭和17年》、書物展望社[復刻:1984年《昭和59年》、講談社])に収録されている「裏日本」の頁から、秋田に関するものを取り上げ、

    「城跡やら土手やら兵営やらが、明治初年頃の気分を直感させてくれる」(随筆集「地を泳ぐ」1942年《昭和17年》、書物展望社[復刻:1984年《昭和59年》、講談社])という千秋公園、「発動船に乗って北側の島々の間、奇岩珍岩の間を遊覧した」(随筆集「地を泳ぐ」1942年《昭和17年》、書物展望社[復刻:1984年《昭和59年》、講談社])という男鹿半島の椿白浜などを探訪していた。

     特に、昭和12年、藤田が監督を務めた映画「現代日本 子供編」の貴重なフィルムが映像で流れ、「秋田の行事」に通じる、躍動的で生き生きとした当時の子供達が映し出され、興味深かった。

     しかし、この番組では、「秋田でのフジタ」を語る場合、欠くことのできない、画家・藤田嗣治の支援者であり、かつ深い親交があった秋田の資産家・平野政吉について、何一つ取り上げておらず、秋田のフジタの番組として、極めて不十分なものになったようだ。

     また、現県立美術館(平野政吉美術館)から、その象徴であり、魂である壁画、「秋田の行事」を移すという、歴史的な愚行、蛮行を一大プロジェクトの如き捉え、その作業を番組の初めと終わりに放送する姿勢に、行政迎合的なPR番組にも感じられた。

     NHKは、「秋田の行事」を移設した行為に、「寂しい」、「残念だ」、「何故?」という思いを抱いている、多くの県民、市民の声なき声が存在することを理解すべきである。

     番組のラストに、新展示室に展示されていた「秋田の行事」が見えたが、何の期待感や喜びもない。
     体育館を連想させる茶色のフロア、四角く低い天井で観た「秋田の行事」は、平野政吉美術館で観た時のように、人々を重厚で、落ち着いた、豊かな気持ちにさせるだろうか。甚だ疑問である。


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    (2015年9月)



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    以前より展示室が狭くなった。
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    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2013.09.15(19:47)|未分類||TOP↑
    2013.09.07
     大壁画「秋田の行事」の作者でもある画家・藤田嗣治は、渡仏後、昭和4年(1929年)に17年ぶりの帰国を果たした際、自身初の随筆「巴里の横顔」(昭和4年、実業之日本社)を発表したが、その中で、芸術作品、絵画を、商業施設と結び付けることに対して、強い口調で批判していることは、以前の当ブログ記事で述べた通りである。

    藤田嗣治が随筆「巴里の横顔」で語る ~ 大根や人参や缶詰を見た後で、絵画を見る事は、絵画への侮辱 http://akitacolumn.blog.fc2.com/blog-entry-57.html)

     藤田嗣治は、
     「パリの百貨店と日本の百貨店と違ふ所は、例へば、百貨店で絵の展覧会をしたり芝居を見せたりする様なことが、全然ないのである。…… 何故、百貨店で絵の展覧会をしないのかといふと、絵を観賞するべく周囲があまりに、雑然としてゐるからである。考へてみても、大根や人参や缶詰を見た後で、絵画を見るといふ事は、実に、絵画を、侮辱した話で、いい印象がえられないのは、分かり切つた事である」(藤田嗣治「巴里の横顔」105頁、昭和4年、実業之日本社)
     と語っている。

     さらに、昭和23年(1948年)に発行された、対談集「巴里の昼と夜」(柳澤健、昭和23年、世界の日本社)の中でも、藤田嗣治は同様なことを述べている。

     「 …… 滞仏十七年の後たまたま、また初めて、日本に帰って来ましたが、そのとき門司や神戸あたりまで三越が迎いに遣って来て、自分のとこで展覧会をやらして呉れとせがむので、私は本気で怒るように言いましたね。 ― 『澤庵や羽織の紐なんぞ売ってるような所で、俺の絵を見せることは真平だ。尤も褌(ふんどし)や塩辛からなんぞをスッカリ片付けるというのなら考えても見よう。 …… 」(柳澤健 対談集「巴里の昼と夜」60頁、昭和23年、世界の日本社)

     百貨店で展覧会を行うこと、商業施設が客を呼び込むために自分の絵を利用することに対して、藤田が強い不快感を持っていたことがはっきり分かる。

     県などは、藤田画伯の壁画「秋田の行事」など藤田嗣治作品をにぎわい創出に利用したいとして、県立美術館を移転新築し、新築の商業施設に隣接させたようであるが、芸術作品、絵画を、商業施設や商業、商品と結び付ける考え方を、藤田嗣治が良しとせず、否定的に捉えていたことは明確である。

     新県立美術館建設のコンセプトの一つ、「 大壁画『秋田の行事』、藤田嗣治作品を再開発地区のにぎわい創出につなげたい 」=(客寄せに利用したい)という考え方は、絵画への侮辱、芸術への侮辱、藤田作品への侮辱と言っても過言でないだろう。



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    階上の左右から見ることが出来なくなった。
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    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

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    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2013.09.07(05:00)|未分類||TOP↑
    2013.09.05
    地元紙、秋田魁新報で、連日のように、藤田嗣治作の大壁画「秋田の行事」移設関係の写真を一面トップなどで大々的に報じている。9月3日には、移転した「秋田の行事」の取り付け作業が終わった写真を掲載していた。この写真を一見して、現美術館の展示室で観た時に感じた、重厚感や胸に迫ってくるようなものをまるで感じなかった。昭和12年当時の秋田の祭り、年中行事、人々の暮らしを描き出した藤田の大壁画と相性が合っていた建物と大空間、上方への広がりを感じさせる高い天井、自然光が差し込む展示室。それと比べると四角い天井は低くて圧迫感があり、この狭くなった展示室で、幅20.5メートルの大壁画の全体を観るため、引いた位置に立った時、窮屈で悠々感はないだろうと思えた。藤田が、制作直後からこだわり続けた「自然光」による壁画の鑑賞。自然光で観ると絵が立体的に見え、迫力が出ることを狙ったものだろう。新展示室では、平凡な人工照明であり、平面的に見え、軽く感じることだろう。ルーブルやオランジュリーなどが自然光を取り込んでいることを学んでいなかったのか。元より、新県立美術館は、現美術館が更新時期に来ていて、再開発地区に空き地があるからそこに新築し、藤田嗣治+安藤忠雄=観光客増加という安易な発想から出発している公共施設建設であった。安藤氏に現美術館のデザインを踏襲する要望は出されたらしいが、無視され三角形モチーフの建物になったようだ。




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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2013.09.05(05:00)|コラム||TOP↑
    2013.09.02
     秋田の地元紙、秋田魁新報の「北斗星」(2013年9月1日)というコラムに、壁画についての藤田嗣治の言葉として「国民全部に、美術愛好と鑑賞の機会を、解放することに努力しなければならぬ」(「腕一本 巴里の横顔」、講談社)が引用され、「その思いをぶつけたのが大壁画なのだろう」(2013年9月1日、秋田魁新報)として、「秋田の行事」についての藤田の思いであるかのように書いてあったが、誤りである。

     まず、「腕一本 巴里の横顔」(近藤史人編、藤田嗣治、講談社)は、藤田嗣治の生前の随筆集「巴里の横顔」、「腕一本」、「地を泳ぐ」からの抜粋と君代夫人が保管していた未発表の2編から成っているが、魁が引用した「壁画について」の文は、随筆集「地を泳ぐ」(1942年《昭和17年》、書物展望社、昭和10年付記述[復刻:1984年《昭和59年》、講談社])に収録されたもので、昭和10年に記述された文である。

     この年、銀座コロンバン天井画の完成後、

     「自分は、さきにブラジル珈琲店の壁画を描き、大阪十合の壁画を描き、今度銀座コロンバンの天井を描いたが、これについても画家の街頭進出を慫慂したいと思う」(1942年《昭和17年》、書物展望社、昭和10年付記述[復刻:1984年《昭和59年》、講談社])
     「画家が、いたずらに名門富豪の個人的愛玩のみに奉仕することなく、大衆のための奉仕も考えなければならないと思う。国民全部に、美術愛好と鑑賞の機会を、解放することに努力しなければならぬ」(同前)
     「コロンバン氏が、この挙を敢てして、銀座をして美術に眼を開かしめた功は、大いに讃ゆべきである」(同前)

    などと記している。

     文意から、天井画の依頼者、コロンバン氏や完成した天井画を称える意味合いが強い文である。また、パリ時代、自分の絵がサロンで一部の富裕層、愛好家を喜ばせていたに過ぎなかったことを省みた文でもある。

     大壁画「秋田の行事」は、その後、1937年(昭和12年)に制作されており、前述の文は、「秋田の行事」を意識して書かれたものでない。

     「秋田の行事」は、妻マドレーヌの急死後、平野政吉が提案した美術館建設構想を受け制作されたもので、依頼主の平野政吉個人に捧げる大壁画という意味合いが強い作品である。

     完成した作品には、「為 秋田平野政吉 嗣治 Foujita 1937 昭和12年 自二月廿一日 至三月七日 百七十四時間完成」と署名され、

     「この大きさと時間の記録は、世界が終わるまで破られまい」
     「四百年後に、再びこの壁画の前に立ってみたい」(1983年《昭和58年》1月9日、朝日新聞)と興奮し、語っていたのは有名な話だ。

     後世での評価を強く意識していた、歴史的意味を持つ作品である。

     また、「北斗星」が取り上げた「詩の国秋田に壁画時代を現出させよう」(2013年9月1日、秋田魁新報)は、壁画制作への藤田の強い意気込みを示しており、「北斗星」の言うように、「一人でも多くの秋田の人が壁画を見て、芸術に親しんでほしい」(2013年9月1日、秋田魁新報)という思いからではないことは、画家・藤田嗣治の全生涯を振り返れば分かるはずだ。藤田嗣治は誇り高き画家である。

     藤田の思いと違い、現県立美術館・平野政吉美術館が、多くの人が訪れていないので、新県立美術館を造ったという論理が語られるが、藤田の思いについても誤りがあり、移転の理由にならないだろう。さらに、入館者数を増やすことは、美術館の建物の問題でなく、広報宣伝活動の問題であることは、当ブログでも何度も指摘している通りだ。

     「秋田の行事」の移設は、地元紙などが、多くの紙面を割いて、大々的に報じているようだが、多くの秋田県民、秋田市民は冷めた眼で見ているようだ。長い年月を掛けて、愛されてきた壁画の移転を多くの人が寂しい、残念だと感じていることだろう。
     移転によって、物見遊山の客が多少増えたとしても、ほんの数年で激減することは容易に想像できることである。



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    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2013.09.02(22:00)|未分類||TOP↑
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