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2013.05.26
 秋田県立美術館・平野政吉美術館の移転計画は、2007年(平成19年)11月に、当時の財団法人平野政吉美術館(現公益財団法人平野政吉美術財団)に示され、その後、2008年(平成20年)3月に財団が移転を受け入れたとされている。
 一方、この移転計画には、市や県により、当初から県立美術館跡地への、秋田市の某施設の移転改築が、同時に画策されている。

 秋田市中通の日赤・婦人会館跡地の再開発計画は、当初、2000年(平成12年)に芸術文化ホールが計画されたが、2001年(平成13年)、佐竹敬久氏(現秋田県知事)が秋田市長になって取り消され、変わって秋田市千秋公園内にある、某施設の移転案(歴史ミュージアムとして)が計画された。しかし、この案に、当時の寺田県知事が難色を示し、変わって出されたのが、築40年を超えようとしていた県立美術館(平野政吉美術館)の移転案であった。しかも、この案は、県、市などにより、県立美術館跡地への某施設の移転改築がセットになって考えられていたのである。当時の佐竹秋田市長(現県知事)は、千秋公園内にあるこの施設について、2007年(平成19年)9月の市議会で、県立美術館跡地における改築も視野に検討を要する、と発言している。

 旧秋田藩主・佐竹家伝来の武具、書画等を所蔵しているこの施設は、元は秋田市美術館であった建物だが、1989年(平成元年)に建設された複合施設、秋田総合生活文化会館・美術館(アトリオン)内に秋田市立千秋美術館が開館したのに伴い、 1990年(平成2年)に設置されている。建物が現在、築50年以上なるとのことで移転新築などが検討されていると言うことだ。
 現秋田県知事である佐竹敬久氏(当時、秋田市長)は、旧秋田藩主・佐竹家の分家、佐竹北家の現当主(第21代当主)でもあるとのことだが、自身の先祖と関わりある施設の移転改築のために、秋田県立美術館・平野政吉美術館の移転を県とともに、積極的に推し進めている。これは、公人として問題視されるべきことではないか。

 また、この移転計画は、秋田県立美術館・平野政吉美術館の文化的な価値について、しっかりとした調査やその認識を持つこともなく、耐震補強工事が必要、再開発地区の賑わいに繋げたいなどの理由で、強引に推し進められている。
 耐震補強工事や街の賑わいについては、現在の県立美術館・平野政吉美術館の場所と再開発地区は200メートル程しか離れておらず、現在地での改修工事、広報や運営の改善が十分できるはずである。

 2010年(平成22年)2月の秋田県議会で、新県立美術館建設の問題が議論されたが、現秋田県立美術館・平野政吉美術館の文化的な価値について議論が深められ、認識されたわけではなく、再開発組合がゼネコンから借入金があることなどに議論が変わり、再開発事業全体に問題はない、従って新県立美術館建設に問題はないという論法で、新県立美術館取得負担金を含む予算案が可決されただけに過ぎなかった。

 秋田県立美術館・平野政吉美術館の文化的な価値について、正しい認識が深められ、共有されたわけではないのである。 

 秋田県立美術館・平野政吉美術館は、「秋田の行事」を大空間に展示すること、自然光を館内に採り入れること、「秋田の行事」を床から1.8メートル(6尺)上げ、両端を少しずつせり出した展示にすることなどを、藤田嗣治に直接助言され、建設されている。世界的な画家・藤田嗣治の理念が反映された、文化的な価値の高い美術館である。

 この美術館の展示環境で、「秋田の行事」、その他の平野政吉コレクションを鑑賞することが、観る者に感動と喜びを与え、藤田が絵に込めた思い、美術館建設に情熱を燃やし続けた平野政吉の思いを学ぶことに通じるはずである。

 一方、現在、県は、秋田市との協議で、現秋田県立美術館・平野政吉美術館の建物の活用に関する検討を依頼しているとのことである。

 おそらくは、秋田市美術館がアトリオンに移った時と同じように、千秋公園内の某施設の移転を想定していると思われるが、現秋田県立美術館・平野政吉美術館の文化的価値を無視して、この施設を移すことが必要なのかどうか。市民、県民が望んでいることなのか。

 現秋田県立美術館・平野政吉美術館の大展示室は、「秋田の行事」専用に設計された空間であり、他の利用方法は考えられないだろう。

 旧秋田藩主ゆかりの遺品なら、その一族の人達に引渡し、任せるべきではないのか。

 また、秋田市中通の再開発地区では、与次郎というキャラクターが作られ、先月、その像まで作られたという。旧秋田藩主と関わりある千秋公園内の稲荷神社に因み、命名されたとのことだ。旧秋田藩主との関連を強調し、宣伝しなければならない理由は一体どこにあるのか疑問だ。千秋公園内にある施設と結びつけようとする意図が込められているのかも知れない。

 秋田市の千秋公園一帯の地域は、文化、歴史、市民の憩いが共存した、多くの人が集う多様性のある、豊かな地域を目指すべきである。

 文化的な価値の高い現秋田県立美術館・平野政吉美術館を保存し、これまで通り使用し続けることは、そのためにも非常に重要なことである。




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藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
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開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)


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  • 2013.05.26(01:34)|未分類||TOP↑
    2013.05.23
     秋田県立美術館・平野政吉美術館で、現在、企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」が開催されている。
     先頃発見されたと言う、「秋田の行事」制作の翌年、1938年(昭和13年)に建設に取り掛ったものの、戦時の鉄材使用制限などにより、断念されたと言う美術館の設計図(複写、3点)などが展示されていたが、この企画展のメインは、美術館の創設者、平野政吉の存在そのものであるようだ。
     なかでも、1966年(昭和41年)5月に、平野政吉が、美術館建設の報告を兼ね、パリ郊外ヴィリエ・ル・バークルの藤田を訪ねた際の写真、1973年(昭和48年)当時の美術館内での平野政吉の姿を撮影した写真などを見て、胸に迫るものがあった。
     藤田を訪ねた写真では、藤田との18年ぶりの再会を果たし固い握手を交わした写真、肩を組み合い笑顔で喜ぶ写真があった。出版された書籍を読むと、この再会は不首尾に終わった。美術館の名称問題で二人は絶交状態になったと記述されているが、二人の間に強く、温かい友情の絆が存在していたことをはっきりと示している。
     1973年(昭和48年)頃の平野政吉の館内での写真を見て、その頃、初めて美術館を訪れ、その後何度か出かけたが、その際、平野政吉に声を掛けていただいたことなどを思い出し、胸が熱くなった。
     1963年(昭和38年)に、平野家の親族が藤田と会った際の藤田の「メモ」もあったが、藤田が「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間に展示し、建物の上方から自然光を採り入れるよう、図示していた。現県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室が、藤田が望んだ大空間であることが明らかになっている。
     また、1966年(昭和41年)2月8日に、平野誠さん(平野政吉の長男、元平野政吉美術館館長)が藤田を訪ねた際の模様を記した手紙には、藤田に美術館の平面、側面、断面の設計図を持参し、千秋公園の堀の位置、庭の配置のことなども伝え、藤田がとても喜んだことなどが書かれていた。また「秋田の行事」の展示について、「壁画は真直ぐにせず一寸(ちょっと)曲げて、観る人が端の方が余り遠くならぬ様にしたら良いだろう」と藤田に言われたとあった。
     秋田県立美術館・平野政吉美術館がいかに、世界的画家・レオナール・フジタ(藤田嗣治)との関わりが深いかを改めて証明しているものと言える。
     この企画展を見ると、開催した平野政吉美術財団も、平野政吉が建てたこの美術館を閉館するということに対して、強いわだかまりを持っていることを暗に示しているように思えた。
     財団は、赤字分の補助、新県立美術館の管理者に選定されるなどのため、県に逆らえぬ立場なのだろう。
     秋田の人々のために、コレクションと美術館を残した平野政吉の尊い精神を受け継ぎ、藤田嗣治の理念が込められ、平野政吉が藤田の助言を守り完成された、秋田県立美術館・平野政吉美術館の保存と継承に努めるのが財団の在るべき姿ではないのだろうか。

     この企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」を見た人々は一様に、「なぜ、この美術館が閉館なのか?」という思いに駆られるだろう。

     世界的な画家、レオナール・フジタ(藤田嗣治)との関わりが深いことが、よりはっきりと分かった現秋田県立美術館・平野政吉美術館は、次代の人々のために伝えて行くべきである。




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    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

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    (2013年8月1日)



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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2013.05.23(02:10)|未分類||TOP↑
    2013.05.20
     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)が、今年6月30日で閉館されると伝えられている。この美術館は、1967年(昭和42年)5月5日に、平野政吉コレクションの大壁画「秋田の行事」などを展示し、広く国内外に公開するために開館した。
     2007年12月頃、県が、この美術館を移転すると言い出した時、この美術館が、老朽化し、築40数年になるので大規模耐震補強が必要となる。今移転すれば、県有地との相殺で現金支出がほとんどゼロとなり、財政上、有利だ。藤田作品を再開発地区の賑わいに利用したいなどの理由を挙げていた。P1010022 平野政吉美術館(2013年4月)
     一方で、耐震検査は実施しないとしていた。個人の建物なら自由だが、公共施設を更新せず、新しく建設する場合、科学的な検査を実施しなくも良いものだろうか。検査の結果、低いコストで継続利用できる場合も当然有り得るだろう。また、現金支出がほとんどゼロで新美術館が手に入るという話はその後、9億円以上かかることが分かっており、虚偽であった。街の賑わいに利用したいという話は、現県立美術館(平野政吉美術館)や千秋公園全体を考えた広いエリアでの賑わいを考えることが当然可能であった。
     結局、正当な理由が見つからない新美術館の移転新築であり、このようなデタラメな理由で、藤田嗣治と平野政吉の念願の美術館が、閉館されるという事態になって良いものだろうか。
     現在、秋田県立美術館(平野政吉美術館)で行われている企画展「藤田嗣治の祈り、平野政吉の夢」P1010018 平野政吉美術館(2013年4月)の展示資料を見ると、1966年(昭和41年)2月に、平野家親族により、現県立美術館(平野政吉美術館)の平面図、立面図が藤田に示され、千秋公園の堀の位置、庭の図までも知らされていたことが分っている。さらに、その年5月の平野政吉のフジタ訪問時に、美術館の採光の形式などがアドバイスされている。
     このような文化的な価値が高い美術館を閉館にしてしまえば、秋田だけに止まらず、日本の文化的財産を失うことにならないのか。
     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、閉館すべきではないだろう。



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    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
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  • 2013.05.20(01:19)|未分類||TOP↑
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