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2013.04.24
 今日の地元紙の記事(2013年4月24日、秋田魁新報)によると、平野政吉が藤田嗣治作品を展示するために、昭和13年(1938年)、建設に取り掛ったものの、戦時中の鉄材使用制限のため、建設中止となってしまった「幻の藤田美術館」の設計図と、現在の県立美術館(平野政吉美術館)について藤田が平野の親族に渡したメモと、藤田の助言を示す手紙が発見されたと報道されていた。
 「幻の藤田美術館」の図面では、展示されることになっていた大壁画「秋田の行事」を観るうえでの藤田の意図が表われており、現県立美術館と同様、自然光を館内に採り入れる構造になっていたことを伝えている。
 発見された現県立美術館(平野政吉美術館)に関しての藤田のメモと、壁画の展示についての藤田のアドバイスを伝える手紙は、現県立美術館の建物と「秋田の行事」の展示方法に藤田の深い関与があったことを明確に示す証拠となっている。
 改めて、現県立美術館(平野政吉美術館)が、世界的画家・藤田嗣治(レオナール・フジタ)と関わりの深い美術館であることを証明した形となっている。
 藤田はメモで、建物上部に窓を設けて、自然光を採り入れる方法を図示し、1966年、藤田と会った平野の親族が書いた手紙には、「藤田に県立美術館の設計図を見せたところ、『壁画は真すぐにせずに一寸(ちょっと)曲げ』て展示したらいいと言われたことが記されている」(2013年4月24日、秋田魁新報)とのことである。どちらも、平野政吉が生前語ったことなどと一致しており、改めて証明されたと言えよう。
 この美術館を閉館してよいと、誰が思うのだろうか。
 著者は、これからも藤田と関わりの深いこの美術館で、藤田と平野の美術館への思い、壁画への藤田の思いを感じながら「秋田の行事」を観ることを願わずにはいられない。
 この歴史ある美術館を大切にし、後世の秋田県民や美術愛好家に伝えていくことが、この美術館の文化財、観光資源としての価値も高めていくことになるのではないか。
 現県立美術館(平野政吉美術館)を閉館にし、平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史を閉じるようなことはすべきでないだろう。




<お薦め記事>
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
藤田嗣治「秋田の行事」の魅力
秋田の文化遺産…平野政吉美術館
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平野政吉美術館と一体である藤田嗣治作品
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大壁画「秋田の行事」誕生、美術館の壁画に … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 3
18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
藤田嗣治が助言した平野政吉美術館の採光
発見された藤田嗣治の日記と「秋田への思い」、「秋田の行事」、「美術館建設」




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藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)


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現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


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現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • 2013.04.24(23:30)|未分類||TOP↑
    2013.04.23
     数日前の地元紙の読者欄(2013年4月19日、秋田魁新報)に、現在の県立美術館を、美術展に利用している、ある県民の声が掲載されていた。
     その方の所属する会では、30年以上に亘って、作品展示会に現県立美術館を利用していて、現美術館は、JR秋田駅からも近いし、ホールが展示会にちょうどよい広さで、作品の搬入作業も容易であるなどの長所があり、これまで通り利用できるようにしてほしいと強く訴えていた。
     現県立美術館(平野政吉美術館)の1階部分は、県民などの作品展示のためのホールになっていて、多くの県民、美術愛好者などに利用されているが、展示スペースがさほど広くないことなどから、利用者に不評なのではとの思いもあったが、実際に利用されている方々にとって、広さがちょうどよく、千秋公園の堀に面した立地場所なども含め、とても便利であり、強い愛着を持っていることを知った。
     2階、3階部分は、藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」など平野コレクションが展示されているスペースになっているが、こちらも県内外の美術を愛好する人々に、「秋田の行事」の雄大さ、迫力、感動が伝わってくる無二の展示室である。藤田が作品を描いた時代とマッチし、その時代の空気感、匂い、音まで感じられる空間である。として好印象を持たれている。
     現県立美術館を利用する人々にとって、この美術館は、評価の高い、また愛着のある美術館なのである。
     また、以前、現県立美術館の来館者数のことを取り上げ、移転すべきと言った者もいたが、全国各地に美術館が乱立している今日、地方の美術館はどこも同じような状況にあり、入館者数については、美術館の広報活動の問題である。
     言ってみれば、現県立美術館の移転を企てたのは、美術への素養に欠ける人達であったと言えるだろう。
     その人達が、美術にさして関心もない人達のために、そういった人達が訪れるための新美術館を造ったと言えるのではないか。
     これは、ちょっと不自然なことと思う。
     多くの美術愛好者に親しまれ、今や千秋公園と一体になった景観の中にある、現県立美術館(平野政吉美術館)を、従来どおりに使用し、必要があれば改修工事を施し、大切に長く使用し続けることが最も自然なことなのではないか。
     現県立美術館の利用者、美術愛好者の声、思いを考えれば、移転は考えられないことであったはずだ。




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    (2013年8月1日)



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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2013.04.23(08:00)|未分類||TOP↑
    2013.04.16
     現在の県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」。美術館内の展示室には、訪れた皆さんが記したノートも置かれているが、多くの人が念願の「秋田の行事」に出会えた喜び、感激、感動を綴っており、その中に若い人と思われる文字で「このカッコイイ建物が壊されるのは残念!!」と書かれた文もあった。今の若い人達は、昭和を感じさせるレトロな雰囲気を持つ、この美術館を寧ろ「かっこいい」と感じているようである。
     最近、極まれに、現在の県立美術館を解体し、更地にすべきだと主張する人達がいる。この種の人達の主張は、単純な「コスト論」によるものである。しかも、こういった主張をする人達は「秋田の行事」の良さを認識しておらず、ただ単にデカイだけの絵画であると言っているような人達である。藤田嗣治の画家人生の中で「秋田の行事」がどういう位置にあり、この絵に藤田のどんな思いが込められているのかを全く知らない人たちである。
     「秋田の行事」が、藤田の画業の中で、パリ時代の「乳白色」から多彩な色彩表現に変わった時期の重要な作品であること、臨場感を具現するために構図や展示方法に様々な、藤田独自の工夫がなされていることなどを全く知らない人たちである。
     また、これらの人達は、現在の県立美術館が完成した当時、秋田県民が如何に祝福し、世界に自慢できる美術館が出来たことを喜び、歓迎していたかも当然全く知らない。
     もちろん、作品の寄贈者である平野政吉の人柄に触れたこともない人達である。
     著者は、若い頃、平野政吉美術館を訪れた際、平野政吉に声を掛けられ、絵の説明を受けた経験を持つが、50歳代以上の秋田市民の中には、そういった経験を持つ人たちが数多くいるはずである。これらの人達は、平野政吉の思いを考れば、移転すべきではないと皆考えているに違いない。著者はこれだけのコレクションを郷土・秋田に残してくれた平野政吉に対して、尊敬と感謝の念しか感じていない。
     平野政吉が人生の最後の仕事として建て、完成後、藤田の思い、祈りが込められていることを誇りにしていたこの美術館から、魂である「秋田の行事」や平野政吉が収集したコレクションを移すことは到底考えられないことである。
     もし仮に建物に耐震補強の必要性があるのなら、現在の美術館に改修工事を施せばよいだけのことである。はじめから改修を一切考えもせず、安藤忠雄氏設計の美術館新築に走った責任を誰が取り、どう説明するつもりなのだろうか。
     更地にすべきなのは、新築された県立美術館のほうではないのか。それが出来ないならば、新県立美術館の新たな有効な利用方法を考えるべきである。



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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2013.04.16(06:00)|未分類||TOP↑
    2013.04.12
     秋田市の千秋公園の入口、大手門の堀に面した場所にある、流れるような双曲線の屋根が特徴の現在の秋田県立美術館(平野政吉美術館)について、秋田県が秋田市と建物の活用に関する協議をしているとの新聞記事が少し前にあった。
     昨年6月に完成した新秋田県立美術館は、現在の県立美術館が、老朽化して耐震補強工事もしないという理由で建設された。しかし今になって、建物の活用を協議しているということは、現在の美術館が使用可能な状態にあるということを公に認めているわけであり、新県立美術館の建設は一体何のためであったのかということになる。
     中通一丁目の再開発地区に新県立美術館を建てるという計画は、現県立美術館にある、財団法人平野政吉美術館(現公益財団法人平野政吉美術財団)が所有する藤田嗣治作品を、再開発地区のにぎわいづくりに利用したいという思惑からスタートとしていると言われるが、再開発地区は現在の県立美術館と200メートルしか離れておらず、現在の県立美術館を含めたエリア全体の調和の取れた街づくり、にぎわいの創造などが考えられて当然だが、当初からそれがなかった。
     そもそもこの新県立美術館建設は、県民サイドのニーズや美術関係者のニーズから始まったものではなく、秋田県と秋田市の強大な行政権を持つ、二つの自治体の首長によって持ち込まれた、極めて政治的な建設だったと言える。
     当時の秋田市長で現県知事である佐竹敬久氏がその中心的人物であったことは疑いようがないことだ。しかもこの計画には、千秋公園内にある某施設の県立美術館跡地への移築も同時に画策されており、複雑な様相を呈したものだった。
     財団法人平野政吉美術館(現公益財団法人平野政吉美術財団)が、当時、理事会で移転受け入れを決めた際、財団は、「これ以上待たせると行政に迷惑をかけるから」という極めて消極的な理由で採決し受け入れている。まさに県、市の圧力に屈した格好の受け入れだったと言える。当時の地元紙の社説でも「極めて政治的色彩の濃い決着が図られたといっていいだう」(2008年3月25日、秋田魁新報)と指摘していた。
     当初、移転を原則反対であるとしていた財団法人平野政吉美術館(現平野政吉美術財団)が移転受け入れを決定した際には、多くの県民、市民が強い衝撃を受け、地元紙の読者欄ではある人が「何かフェアでないやり方で決められてしまった」(2008年9月22日、秋田魁新報)と憤り、またある人はブログで「いかほど“握らされた”ものか」と真偽はわからないが記していたほどだった。
     地方自治において、住民のきめ細かな要望をかなえるために、首長には行政権が与えられているはずである。公共文化施設についても、住民のニーズについて、きめ細かな調査、把握が必要なはずだ。
     新県立美術館建設は、首長の行政権の行使の在り方に大きな問題を残した、県民、市民が望んでいない、まさに政治的な建設であったと言える。
     このような形で、県民の大きな祝福の中、県内初の美術館P1010417 平野政吉美術館(2011年7月)800x600-新2として建設された現在の県立美術館(平野政吉美術館)から、その核であり魂でもある大壁画「秋田の行事」や他の藤田作品を、政治的に建設された新県立美術館に移してよいのか。
     400年後の画壇に評価されることを意識し作品を残した藤田嗣治、美術館建設に人生を懸けた平野政吉が悲しむことだろう。
     平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史の中から生まれた現在の県立美術館(平野政吉美術館)は後世に末永く伝えていくべきである。 



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    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
    現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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