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2012.12.28
 少し前の地元紙の社説に、新秋田県立美術館の運営案についての記事が載っていた。県教育委員会に美術館事業推進の組織をつくり、指定管理者(平野政吉美術財団)と協議し運営に当たるという案だが、望ましいか、再検討すべきだという内容のものであった。この記事の中でも地元紙は、「新美術館の展示の核は平野政吉美術財団所有の『秋田の行事』をはじめとする藤田作品の数々である」(2012年12月19日、秋田魁新報)と決め付け、また、美術館建設について「展示施設を持たない財団と美術館を持たない県が協力し、秋田にゆかりの深い藤田作品を散逸から守り、保存、展示するために建設したのが県立美術館の原点のはず」(2012年12月19日、秋田魁新報)と述べている。これは、美術館の創設者で作品の寄贈者である平野政吉が当時の県の協力のもとに現県立美術館(平野政吉美術館)を建設した際の理由であって、新美術館建設の原点ではない。新県立美術館は、藤田嗣治作品を再開発地区のにぎわいに繋げるという理由付けで、建設されている。新県立美術館が建設された理由まで捻じ曲げられようとしているようだ。
 また、現県立美術館(平野政吉美術館)から大壁画「秋田の行事」を移転することは、40数年前、平野家の土蔵から運び出し、完成した美術館に搬入した際、建物の側面を壊したという経緯から分かるように、現在の美術館を壊すことに直結する。このことについての十分な検討を、県や移転を決め付ける人たちがしているのだろうか。
 繊細な技法で描いた藤田作品を安易に移転することについて、作品に影響が出ないかと心配する藤田嗣治ファンもいる。
 今の美術館のほうが、藤田嗣治が描いた時代(1930年代)の空気感が伝わってくる。時代の息遣い、匂い、音まで聞こえてくるという来館者の声をどう考えているのだろうか。
 秋田の傑出した先人、平野政吉が藤田嗣治(レオナール・フジタ)との永い交友から築いた「文化」は守るべきである。
 地元紙を始め、「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転を決め付ける人たちは、「文化の破壊者」として後世から強く非難されることだろう。




<お薦め記事>
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
藤田嗣治「秋田の行事」の魅力
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平野政吉美術館と一体である藤田嗣治作品
平野政吉美術館の移転理由は何か [新規構成]
大壁画「秋田の行事」誕生、美術館の壁画に … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 3
18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
藤田嗣治が助言した平野政吉美術館の採光
発見された藤田嗣治の日記と「秋田への思い」、「秋田の行事」、「美術館建設」




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藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)


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秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


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ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • 2012.12.28(08:00)|評論||TOP↑
    2012.12.09
     昭和31年(1956年)2月26日発行のアサヒグラフに「秋田に来た藤田嗣治」と題した記事が掲載されているのに気づいた。
     藤田嗣治は、第二次世界大戦後の1949年(昭和24年)3月、「日本画壇は早く世界的水準になってください」と言い残し、日本を離れアメリカに向かい、その後、戦前活躍していたパリに戻り、二度と日本に足を踏み入れることはなかった。
     「秋田に来たとはどういうことなのだろう」と思い、その頁に目を向けると、それは、交友のあった秋田の平野政吉の元へ藤田から届けられた藤田の作品のことを意味していた。
     その作品は「魅せられたる河」 … 藤田嗣治が1951年(昭和26年)に完成させた23枚のエッチング(銅版手彩色)である。詩集「魅せられたる河」(ルネ・エロン・ド・ヴィルフォス著)の挿絵として描いた、パリの風景や街並みを人々の暮らしの繋がりを見つめ描いた作品だ。
     この作品を藤田嗣治がパリから秋田の平野政吉の元に送り届けていたのだ。

    ……「藤田嗣治画伯がフランスに渡って七年。画伯は『ぼくは子供がいないからね。絵と別れるときがつらくて……』と、いつも絵を手離すとき心からのキッスをして、ハンカチをあてて泣いていたという。その画伯のフランスでの元気な活躍を示すエッチング(銅版手彩色)二十三枚が、昨年の秋、朝日新聞社の主催で「平野コレクション展」を東京、横浜で開いた秋田市大町の美術収集家、平野政吉氏(61)のもとに旧臘十二月送られてきた」(1956年2月26日発行、アサヒグラフ)……

     画家の戦争責任問題で、藤田一人に責任を負わせようとした日本画壇への幻滅の思いから、日本との決別を決意し、その後1955年(昭和30年)、フランスに帰化し、1959年(昭和34年)カトリックの洗礼を受け、フランスに永住した藤田嗣治(レオナール・フジタ)であったが、昭和9年(1934年)から交友のあった秋田の平野政吉との友情の絆が、最後の渡仏後も続いていたことを証明している。

     この作品は、以前、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の西展示室に常設展示されていたが、現在は、常設展示はされていないようだ。
     この作品も、他の収蔵作品と同様に、藤田嗣治と平野政吉の交友のエピソードを示す、貴重な作品の一つである。
     平野政吉が藤田嗣治の数々の助言を取り入れ完成させ、誇りにしていた現県立美術館(平野政吉美術館)とともに末永く後世に伝えて行きたいと願う。

     記事中、平野政吉は「『一日も早く美術館をつくり日本のために寄付する』のがいまの念願」(1956年2月26日発行、アサヒグラフ)と語っている。当時から美術館建設への情熱を持ち続けていたことが分かる。
     
     その11年後、1967年(昭和42年)5月5日に開館した念願の美術館が、平野政吉美術館(現秋田県立美術館)である。




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    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

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    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
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     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2012.12.09(08:00)|随筆||TOP↑
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