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2012.07.28
 1967年(昭和42年)5月5日に開館した平野政吉美術館(秋田県立美術館)には、1969年(昭和44年)8月27日に、昭和天皇、香淳皇后が、行幸啓になり、1970年(昭和45年)10月27日に、皇太子殿下当時の天皇陛下、皇太子妃殿下当時の皇后陛下が行幸啓になりました。
 平野政吉は、昭和天皇、香淳皇后、皇太子殿下当時の天皇陛下、皇太子妃殿下当時の皇后陛下に直接、絵の説明をしています。
 昭和48年7月2日発行の週刊文春に平野政吉と永六輔さんの対談が載っており、その中で、平野政吉は、私の美術館は日本一、藤田嗣治先生はゴッホ、セザンヌ、ピカソと並ぶ世界一の人だ。ここには天皇陛下、皇后陛下、皇太子殿下、皆様がおいでになって、私は御説明申し上げた。天皇陛下は神様、おそれ多い極み、私の男の花道だった。と述べています。
 明治に生まれ、戦前の教育を受け、その時代を生きた日本人にとって、それは極自然な感情であった。
 そして、大壁画「秋田の行事」の完成後、藤田嗣治から、「もし天皇陛下が見に来られたら、こう説明申し上げてくれ」と細かく指示されていた平野政吉にとって、この上ない名誉なことであり、晴れの舞台であったことだろう。 
 また、皇太子殿下当時の天皇陛下がご訪問された際、見送りの時、みんなの見ている前で、「お体を大切にしてください。いろいろお世話になりました」と声を掛けてくださり、このことを平野政吉は「男の花道」だったと語っています。
 平野政吉美術館の2階入口付近には、ご訪問の様子を描いた、日本画家、五十嵐真穂さんの絵も飾られているので、ご覧になられた方も多いと思います。



<お薦め記事>
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
藤田嗣治「秋田の行事」の魅力
秋田の文化遺産…平野政吉美術館
平野政吉の業績…平野コレクションと美術館
美術館と自然光について
平野政吉のエピソード
平野政吉美術館と一体である藤田嗣治作品
平野政吉美術館の移転理由は何か [新規構成]
平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 1 … 出会い
美術館建設宣言と「眠れる女」… 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 2
大壁画「秋田の行事」誕生、美術館の壁画に … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 3
18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
最後の作品「平和の聖母礼拝堂」、永遠の別れ、永遠の友情 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 5

発見された藤田嗣治の日記と「秋田への思い」、「秋田の行事」、「美術館建設」
藤田嗣治「中南米の旅」から「秋田の行事」へ




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藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)


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秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
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現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


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ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • 2012.07.28(00:22)|未分類||TOP↑
    2012.07.25
     7月22日、BSジャパンで放送された 「美の巨人たち」 藤田嗣治 『秋田の行事』 (テレビ東京で6月23日に放送分)では、平野政吉美術館の外観や展示室内部が、映像で詳細に紹介されていた。なだらかな曲線を描いた18メートルの高さの天井から柔らかく自然光が入り、500平方メートルの広々とした大空間に展示されている「秋田の行事」。「秋田の行事」の展示場所はこの空間が最も相応しいと改めて確信した。P1010507 平野政吉美術館(6月) 800x600
     平野政吉美術館の「秋田の行事」は両端が少しずつ迫り出し、湾曲して展示されている。「秋田の行事」の展示方法は、藤田嗣治に、「湾曲させて設置するように」と言われていたことが、平野家に伝わっていると、番組の中に登場した平野政吉美術財団の学芸員の方も語っていた。 
     藤田は、壁画の中央に立つと、画面が右奥、正面奥、左奥に奥行き、広がりを持って見えるように、構図を計算し、描いていたのだ。藤田はこの臨場感を狙い、描き、展示の仕方を指示したようだ。「秋田の行事」は壮大な秋田パノラマであり、秋田絵巻である。
     パリ時代の乳白色を捨て、南米での2年間の旅、メキシコでの壁画運動との出会いを通じ、藤田の画風は驚くべき変貌を遂げ、「秋田の行事」は一つの到達点となった。そこには、祭りの赤、空の青、雪の白 … 鮮やかな色彩と慎ましく温い人々の暮らし、情熱、エネルギーに満ちた秋田の祭りが描かれていた。
     番組に登場した秋田の山田実さん(92歳)は、「この絵を観ると音の世界が甦ってくるんです。母にごしゃかれた(叱られた)こと、梵天の『ジョヤサジョヤサ』の掛け声、秋田音頭の『ハイキタカサッサー』の音が聞こえて来るのです」と語っていた。
     「平野政吉美術館」は、そんな「秋田の行事」の叙情的な光景も思い出させてくれる、落ち着きある美術館である。
     藤田嗣治と平野政吉の思いが込められたこの美術館で、「秋田の行事」、平野政吉が収集した藤田嗣治作品を観る、これ以上のものはないだろう。
     秋田の多くの人に、そのことに気付いてもらいたい。平野政吉への感謝の気持ちを込め、「秋田の行事」を始とした収蔵作品とともにこの美術館を大切にすべきである。



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    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
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    (2013年8月31日)



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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2012.07.25(16:35)|評論||TOP↑
    2012.07.09
     少し前の地元紙の「にぎわい再来」(2012年7月5日、秋田魁新報)という連載記事の中で、1967年(昭和42年)に、秋田市大町の平野家の土蔵から、藤田嗣治が制作した壁画「秋田の行事」が県立美術館に運ばれる様子を撮影した写真が大きく掲載されていた。わざわざ45年前の古い写真を一面に取り上げ、新県立美術館に「秋田の行事」を移設することを強調したいかのようであった。25万部という秋田県内一の発行部数を誇る秋田魁に大きく取り上げられれば絶大な宣伝効果があるのかも知れない。
     「秋田の行事」は縦3.65メートル、横20.5メートルの大きさがあり、5分割して運搬されたものの、現在の県立美術館に搬入する際、完成したばかりの美術館の側面を壊して中に入れたことが知られている。現県立美術館から「秋田の行事」を移設することはそのまま現県立美術館を壊すことに繋がることになる。そのようなことを安易にして良いのだろうか。
     現県立美術館(平野政吉美術館)は、藤田と平野のアイディアにより、館内の採光を考えた末、ギリシャ式柱廊と宮殿造りを折衷したデザインになっている。「秋田の行事」のための大展示室は、広さが500平方メートル、高さが18メートルある。このゆったりとした大空間で観ればこそ、壁画の大迫力を感じることができるのだ。安藤忠雄氏が設計したという新美術館の展示室は、広さ440平方メートルで、高さが推定で7メートル程度しかないようだ。現県立美術館と比較するとかなり狭い環境になり、現県立美術館と同様の迫力を感じることは不可能だろう。

     また、安藤氏の新美術館は内装が三角形をモチーフにしていると言う。現美術館の屋根が「三角屋根」だから、モチーフを継承したつもりなのかも知れないが、大きな勘違いである。
     現県立美術館は、正倉院を模した高床式、双曲線を描いた日本宮殿流れ式の屋根が特徴である。日本古来の建物の伝統的な建築美を踏襲している意匠がテーマになっており、「三角屋根」が強調されているわけではない。「三角屋根」という表現は、地元紙のコラムを書いている脚本家などが言っていただけである。現県立美術館と「三角形」は全く関連性がない。
     また、新県立美術館には「平野政吉コレクション」という表示も掲げられていると言う。公立の美術館に個人コレクションの名を併記し掲げることは、公共性から見て相応しいものなのだろうか。
     新県立美術館はあくまで県民のための県立美術館として運営され、平野政吉美術館は平野コレクションのための独立した美術館として運営される形が、最も良いのではないか。

     平野政吉が生涯を懸け、収集した藤田嗣治作品と、二人の友情と信頼関係を礎に藤田嗣治が秋田と平野政吉の為に描いた大壁画「秋田の行事」に相応しい展示、公開の場所は、平野政吉が藤田の助言を忠実に守り、情熱の全てを注ぎ込み、建てた現県立美術館(平野政吉美術館)であることは疑いようのないことだ。



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    (2013年8月1日)



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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
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  • 2012.07.09(22:57)|評論||TOP↑
    2012.07.05
     今日5日、秋田市中通再開発地区(エリアなかいち)のうち、商業施設と駐車場がオープンしたと言う。商業施設と駐車場の複合施設である5階建てのこの建物で、商業施設部分は1階と2階の一部、僅か3700平方メートルだけとのことだ。店舗のほとんどが、食料品店と飲食店で、しかも、秋田市郊外に多数ある商業施設と全く同じ自家用車での来客を想定した施設であり、にぎわいが持続的なものとして定着するか疑問視される。
     135億円の事業費のうち、83%、112億円もの巨額の公金が使われたこの事業は、結局、典型的な、旧来と同じハコモノ造りが目的の事業であったようだ。
     この再開発事業に巻き込まれ、県立美術館(平野政吉美術館)の移転と収蔵されている藤田嗣治の「秋田の行事」の移設が計画された。美術館を訪れ、「秋田の行事」を観ようとする人は、商業施設に囲まれた喧噪の中で、藤田嗣治のこの芸術作品と向き合いたいと思うのだろうか。食料品を求めて来た人が、買い物がてらに「秋田の行事」を観たいという気持ちになるのだろうか。
     結局、県や市は、にぎわいの目玉にしたい、にぎわいに繋げたいという理由を付け、「秋田の行事」を利用し、強引にハコモノ造りを進めただけではないか。

     今日(7月5日)の地元紙の社説に、新県立美術館について「JR秋田駅から仲小路を真っすぐ歩いて移動できる立地で、観光客も利用しやすい」(2012年7月5日、秋田魁新報)とあった。しかし、遠来の観光客が駅から美術館に直行することは少ないだろう。現在の県立美術館(平野政吉美術館)は、駅からの距離がほとんど同じで、観光名所、千秋公園の入口にある。千秋公園へ訪れる人にとっても気軽に立ち寄れる場所に位置している。さらに、この美術館は、「秋田の行事」の制作依頼者である平野政吉が、藤田嗣治とともに構想し、藤田の助言を忠実に守り、建てた由緒ある美術館である。剥き出しのコンクリートが特徴である安藤忠雄氏の建物より、藤田嗣治ファンや観光客は遥かに魅力を感じるだろう。
     新県立美術館は、例えば、子供や家族連れが訪れ、喜ぶような展示内容にし、「平野政吉美術館」は「秋田の行事」を始とした藤田嗣作品の展示の場としてこれからも恒久的に伝えて行くべきである。先人から受け継いだ秋田の古き良きものを大切にすべきである。



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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
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    平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

    秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
    美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


    お薦め記事 … 郷土・秋田の文化遺産を継承する会
    ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
    現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • 2012.07.05(23:59)|評論||TOP↑
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