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藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)


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    2013.08.05
     昨年完成した新県立美術館に、平野政吉美術館収蔵の藤田嗣治の壁画「秋田の行事」などのコレクションが移転されるとのことだが、この美術館での展示には、多くの懸念がある。
     著名な建築家・安藤忠雄氏が設計したという新秋田県立美術館は、千秋公園方面を眺望できる水庭や螺旋階段に特徴があるようだが、コンクリート剥き出しの建物の外観が、温かさや開放感が感じられない。秋田らしさがない。三角形に拘ったデザインに、必要性が感じられない。四角い土地に三角の建物は、土地の無駄遣いだなど多くの批判的意見が既に出ているようだ。
     また、この美術館の問題の一つに、美術館が、賑わいづくりのためのイベント会場、屋台会場として使用されている「広場」に隣接していることがある。既にイベント開催時には大音響の音楽を流すこともあり、かなり騒がしい状況になっている。なぜ、この場所に美術館なのかという疑問を多くの県民、市民が内心思っていることだろうし、県外からの観光客も首を傾げるのは間違いないだろう。
     また、この美術館の入口は、仲小路方向に1ヵ所、コンクリートをくり抜いたようにあるが、駅方向だけを向いており、観光客のみを意識しているかのように存在している。秋田市の人口が、この美術館の入口とは反対の西側に圧倒的に多いことを設計者は認識していなかったのではないか。市民にとっては、不便な入口である。

     機能性が重視されず、設計者の自己満足が感じられる印象が強い新県立美術館だが、藤田嗣治の壁画「秋田の行事」を展示する予定だとされる展示室も、平野政吉美術館の展示室と比較し、多くの劣っている点が見受けられる。
     まず、展示室の広さにおいて、平野政吉美術館の約550平方メートルに対し、新県立美術館は、約440平方メートルになっている。これは、平野政吉美術館の展示室より、5メートル程手前からしか、「秋田の行事」を鑑賞できないことになる。縦3.65メートル、横20.5メートルの巨大壁画を観るうえで、この差は大きい。
     また、新県立美術館の展示室の天井高は、推定約7メートル程で、四角く区切られており、圧迫感がある。これに対し、平野政吉美術館の展示室の天井高は、約18メートルあり、しかも、屋根の形から生み出されたなだらかな曲線を描いており、上方への広がり、奥行きを一層感じさせている。
     藤田嗣治は「秋田の行事」を描くにあたって、三次元的空間、奥行き感を出すことに注意を払い、構図に様々な配慮をしていたことが既に分かっている。

    (参照 藤田嗣治「秋田の行事」の構図と奥行き感、臨場感パリでの「乳白色」から、色彩と三次元表現の「秋田の行事」へ … 藤田嗣治の変貌

     平野政吉美術館の展示室が、藤田嗣治の壁画に込めた意図を忠実に表した空間であったことが分かるのである。
     また、体育館を思わせる茶色のフロア、薄茶の壁が、空の「青」、雪の「白」、祭りの「赤」が基調の色彩である「秋田の行事」と調和するとは、とても思えない。「秋田の行事」の展示には似合わない展示室である。

     また、新県立美術館の展示室の照明は、藤田嗣治が平野政吉に自然光による採光形式を助言したことを無視し、人工照明のみになっているが、この展示室では「秋田の行事」が平面的に見えることは間違いないだろう。
     先日のNHKテレビ(8月1日、クローズアップ現代)で放送された、伊藤若冲コレクションの第一者、ジョー・プライスさんも、ご自身の鑑賞室を自然光のみで観れるようにしていた。その理由を、自然光で観ると絵に奥行きが出るが、人工照明で観ると絵が平面的に見えることを挙げていた。
     藤田嗣治が、クロード・モネなど多くの偉大な画家と同じく、大壁画「秋田の行事」を自然光で観るよう、助言したのは、絵に奥行き感、臨場感を出すことを求めたためであることは間違いないだろう。

     その意味でも、平野政吉美術館の展示室は、藤田嗣治の意図を的確に反映しており、新県立美術館の展示室は不的確と言えるだろう。




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    (2015年9月)



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    以前より展示室が狭くなった。
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    階上の左右から見ることが出来なくなった。
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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
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  • 2013.08.05(02:00)|評論||TOP↑
    2013.04.12
     秋田市の千秋公園の入口、大手門の堀に面した場所にある、流れるような双曲線の屋根が特徴の現在の秋田県立美術館(平野政吉美術館)について、秋田県が秋田市と建物の活用に関する協議をしているとの新聞記事が少し前にあった。
     昨年6月に完成した新秋田県立美術館は、現在の県立美術館が、老朽化して耐震補強工事もしないという理由で建設された。しかし今になって、建物の活用を協議しているということは、現在の美術館が使用可能な状態にあるということを公に認めているわけであり、新県立美術館の建設は一体何のためであったのかということになる。
     中通一丁目の再開発地区に新県立美術館を建てるという計画は、現県立美術館にある、財団法人平野政吉美術館(現公益財団法人平野政吉美術財団)が所有する藤田嗣治作品を、再開発地区のにぎわいづくりに利用したいという思惑からスタートとしていると言われるが、再開発地区は現在の県立美術館と200メートルしか離れておらず、現在の県立美術館を含めたエリア全体の調和の取れた街づくり、にぎわいの創造などが考えられて当然だが、当初からそれがなかった。
     そもそもこの新県立美術館建設は、県民サイドのニーズや美術関係者のニーズから始まったものではなく、秋田県と秋田市の強大な行政権を持つ、二つの自治体の首長によって持ち込まれた、極めて政治的な建設だったと言える。
     当時の秋田市長で現県知事である佐竹敬久氏がその中心的人物であったことは疑いようがないことだ。しかもこの計画には、千秋公園内にある某施設の県立美術館跡地への移築も同時に画策されており、複雑な様相を呈したものだった。
     財団法人平野政吉美術館(現公益財団法人平野政吉美術財団)が、当時、理事会で移転受け入れを決めた際、財団は、「これ以上待たせると行政に迷惑をかけるから」という極めて消極的な理由で採決し受け入れている。まさに県、市の圧力に屈した格好の受け入れだったと言える。当時の地元紙の社説でも「極めて政治的色彩の濃い決着が図られたといっていいだう」(2008年3月25日、秋田魁新報)と指摘していた。
     当初、移転を原則反対であるとしていた財団法人平野政吉美術館(現平野政吉美術財団)が移転受け入れを決定した際には、多くの県民、市民が強い衝撃を受け、地元紙の読者欄ではある人が「何かフェアでないやり方で決められてしまった」(2008年9月22日、秋田魁新報)と憤り、またある人はブログで「いかほど“握らされた”ものか」と真偽はわからないが記していたほどだった。
     地方自治において、住民のきめ細かな要望をかなえるために、首長には行政権が与えられているはずである。公共文化施設についても、住民のニーズについて、きめ細かな調査、把握が必要なはずだ。
     新県立美術館建設は、首長の行政権の行使の在り方に大きな問題を残した、県民、市民が望んでいない、まさに政治的な建設であったと言える。
     このような形で、県民の大きな祝福の中、県内初の美術館P1010417 平野政吉美術館(2011年7月)800x600-新2として建設された現在の県立美術館(平野政吉美術館)から、その核であり魂でもある大壁画「秋田の行事」や他の藤田作品を、政治的に建設された新県立美術館に移してよいのか。
     400年後の画壇に評価されることを意識し作品を残した藤田嗣治、美術館建設に人生を懸けた平野政吉が悲しむことだろう。
     平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史の中から生まれた現在の県立美術館(平野政吉美術館)は後世に末永く伝えていくべきである。 



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    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

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    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

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     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
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  • 2013.04.12(08:00)|評論||TOP↑
    2013.03.17
     藤田嗣治は、平野政吉との交友の中で、「自分の仕事は、400年後の世界の画壇にその真価を問うものだ、必ず、そうなる」(1977年《昭和52年》、藤田嗣治展図録)と語っていたとのことだ。
     また、大壁画「秋田の行事」が完成した際も、「四百年後に、再びこの壁画の前に立ってみたい」(1983年《昭和58年》1月9日、朝日新聞「平野政吉『聞き書き わがレオナルド藤田』」)と語っていたという。
     400年後へのある種の拘りは、尊敬するレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年~1519年)が今日まで400年以上にわたって賞賛され続けていることを意識していたものなのだろうか。
     また、藤田が描き残した、『アッツ島玉砕』(1943年)、『サイパン島同胞臣節を全うす』(1945年)などの凄惨な戦争画も、400年後の画壇に真価を問う歴史画としての意味が込められているのかも知れない。
     藤田作品の世界的なコレクターであった平野政吉が、そのコレクションと、藤田に描かせることに成功した巨大壁画「秋田の行事」を展示、公開するために、完成させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、藤田の助言により、正倉院P1010594 平野政吉美術館(2011年10月) 800x600-新を模した高床式の造りになっているが、藤田は、400年後、1000年後という後世に、作品の真価を問うことを意識しアドバイスしたのかも知れない。
     400年後という後世を意識し、作品を残した藤田嗣治の思いを、伝えてくれるのは、どの美術館だろうか。
     藤田が自らの作品を託した親友である平野政吉が、藤田の思いと助言を受け止め、完成させた現県立美術館(平野政吉美術館)こそが、その思いを伝える最も相応しい美術館であることは疑いようのないことであろう。




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    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
    現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • 2013.03.17(08:00)|評論||TOP↑
    2012.12.28
     少し前の地元紙の社説に、新秋田県立美術館の運営案についての記事が載っていた。県教育委員会に美術館事業推進の組織をつくり、指定管理者(平野政吉美術財団)と協議し運営に当たるという案だが、望ましいか、再検討すべきだという内容のものであった。この記事の中でも地元紙は、「新美術館の展示の核は平野政吉美術財団所有の『秋田の行事』をはじめとする藤田作品の数々である」(2012年12月19日、秋田魁新報)と決め付け、また、美術館建設について「展示施設を持たない財団と美術館を持たない県が協力し、秋田にゆかりの深い藤田作品を散逸から守り、保存、展示するために建設したのが県立美術館の原点のはず」(2012年12月19日、秋田魁新報)と述べている。これは、美術館の創設者で作品の寄贈者である平野政吉が当時の県の協力のもとに現県立美術館(平野政吉美術館)を建設した際の理由であって、新美術館建設の原点ではない。新県立美術館は、藤田嗣治作品を再開発地区のにぎわいに繋げるという理由付けで、建設されている。新県立美術館が建設された理由まで捻じ曲げられようとしているようだ。
     また、現県立美術館(平野政吉美術館)から大壁画「秋田の行事」を移転することは、40数年前、平野家の土蔵から運び出し、完成した美術館に搬入した際、建物の側面を壊したという経緯から分かるように、現在の美術館を壊すことに直結する。このことについての十分な検討を、県や移転を決め付ける人たちがしているのだろうか。
     繊細な技法で描いた藤田作品を安易に移転することについて、作品に影響が出ないかと心配する藤田嗣治ファンもいる。
     今の美術館のほうが、藤田嗣治が描いた時代(1930年代)の空気感が伝わってくる。時代の息遣い、匂い、音まで聞こえてくるという来館者の声をどう考えているのだろうか。
     秋田の傑出した先人、平野政吉が藤田嗣治(レオナール・フジタ)との永い交友から築いた「文化」は守るべきである。
     地元紙を始め、「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転を決め付ける人たちは、「文化の破壊者」として後世から強く非難されることだろう。




    <お薦め記事>
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    藤田嗣治「秋田の行事」の魅力
    秋田の文化遺産…平野政吉美術館
    平野政吉の業績…平野コレクションと美術館
    平野政吉のエピソード
    平野政吉美術館と一体である藤田嗣治作品
    平野政吉美術館の移転理由は何か [新規構成]
    大壁画「秋田の行事」誕生、美術館の壁画に … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 3
    18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
    藤田嗣治が助言した平野政吉美術館の採光
    発見された藤田嗣治の日記と「秋田への思い」、「秋田の行事」、「美術館建設」







    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


    関連記事
    平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

    秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
    美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


    お薦め記事 … 郷土・秋田の文化遺産を継承する会
    ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
    現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • 2012.12.28(08:00)|評論||TOP↑
    2012.08.29
     秋田市の千秋公園は、関ヶ原の合戦の後、秋田に転封された初代秋田藩主佐竹義宣が自然の丘陵を利用して築城した久保田城の城址を、1896年(明治29年)、P1010469 千秋公園造園家、長岡安平の設計により日本庭園として整備された公園である。公園の入口付近には、お堀があり、広さは162,900平方メートル。園内には御隅櫓、久保田城表門が再建されている。秋田市民の憩いの場として親しまれている市民公園である。
     この千秋公園と似た公園に、東京都千代田区の北の丸公園がある。北の丸公園は江戸城の北の丸であった場所にあり、1963年(昭和38年)に建設省が森林公園として整備を開始し、1969年(昭和44年)、昭和天皇の還暦を記念して開園、一般公開された。現在は環境省の管理する国民公園の一つとなっている。干鳥ヶ淵、牛ヶ淵、清水濠のお堀に囲まれ、広さは193,297平方メートル。園内には、旧江戸城の遺構である田安門、清水門(どちらも重要文化財)の城門があり、多くの文化施設を公園内に持ち、緑豊かな都会のオアシスと言える公園である。
     北の丸公園では、樹木の間を縫ってウォーキング、ジョギングを楽しむ人達のためにコースが整備されおり、休憩所も数箇所建てられている。また、園内には日本武道館、科学技術館、東京国立近代美術工芸館等の文化施設があり、多種多様な人々が大勢訪れている。
     秋田市の千秋公園は、JR秋田駅から至近であると言う好立地にあるのだが、城址公園であるかのような色彩が強いのが惜しまれる。田安門の中に日本武道館がある北の丸公園のように、再建された表門の内側に多彩な施設があっても全くおかしくないことだ。P1010466_01 千秋公園
    千秋公園では1950年(昭和25年)から22年間、動物園があった時期もあるが、少なくても現在より多くの子供や市民が訪れ、賑わっていた。千秋公園にもジョギングコース、散策コース、休憩所などが整備をされれば、より楽しい公園になることだろう。
     お堀に面した位置にある現県立美術館(平野政吉美術館)も都市公園の多様性の役割を果たしており、現在のままの形の美術館として末永く残して行くべきである。

    P1010559_01 千秋公園の堀を前景にした平野政吉美術館(7月)
    千秋公園の堀を前景にした平野政吉美術館




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    発見された藤田嗣治の日記と「秋田への思い」、「秋田の行事」、「美術館建設」
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    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2012.08.29(02:00)|評論||TOP↑
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