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藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)


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平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


お薦め記事 … 郷土・秋田の文化遺産を継承する会
ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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    2014.12.14
     秋田県(県教委)が、旧県立美術館(秋田市千秋明徳町)の耐震診断を実施し、その結果、活用するために、耐震補強などの費用が、2億3200万円から最大で11億4500万円かかるとの試算を明らかにしたと言う。

     「県教育委員会は10日、旧県立美術館(秋田市千秋明徳町)の老朽度などを調査した結果、耐震基準を満たしておらず、活用するには耐震補強などの費用が少なくとも2億3200万円、最大で11億4500万円かかるとの試算を明らかにした」 (2014年12月11日、読売新聞)

     美術館使用の場合 … 6億8700万円
     多目的ホールとする場合(コンサート、講演用) … 11億4500万円 (非常階段、スプリク ラーなどの設置が義務づけら れる)
     建物の一部をホールとする場合 … 8億4900万円
     館内の利用ができないモニュメントとした場合 … 2億3200万円
     解体した場合の費用 … 1億5千万円~1億6千万円

                      (2014年12月11日、秋田魁新報の記事より、抜粋)


     旧来の県立美術館(平野政吉美術館)の耐震診断については、秋田県が2007年12月に、当時の財団法人・平野政吉美術館に美術館の移転を求めた際に、P1010594 平野政吉美術館(2011年10月) 800x600-新財団法人・平野政吉美術館が耐震診断を実施するように求めたのに対して、県は「実施しない」と回答した。そのため、財団が、これ以上待たせると、行政、再開発組合(当時、再開発準備組合)に迷惑がかかるからと言う理由で、止む無く移転を受け入れたと言う経緯がある。


     また、2008年2月に、県は財団法人・平野政吉美術館の理事会に対して、新美術館を建設した場合、県有地である土地の売却によって、建設費が相殺され、現金支出がほぼゼロで済むので、財政上有利だとの説明し、美術館移転を促した経緯がある。

     「日赤・婦人会館跡地へ移転新築した場合、建設費は15億程度(注、当時の試算)と見込まれるが、同跡地内にある県有地約一・二ヘクタールが資産として建設費に充当され、県の現金支出がほぼゼロになるとの見通しをあらためて説明。財政的な面から、現地改修より実現性が高いことを強調して理解を求めた」 (2008年2月18日、秋田魁新報)       

     この「ゼロ負担」はやがて、2009年9月の秋田県議会では8億円の負担に、2009年12月、2010年2月の秋田県議会においては、9億2千万円に上昇し (県有地の評価額の下落と建設費が約20億円に跳ね上がったことによる)、虚偽であったことが分かったが、2009年12月、2010年2月の県議会で、今度は、従来の美術館の改修し存続させる場合は、今後10年間で10億円の費用が発生すると言う数字を出し、またしても新築の方が有利だと主張したのである。美術館新築はもはや動くことのない既定事実にされ (一体誰の望みなのか?)、理性的、客観的な判断で、現地改修と移転についての検討がされることは全くなかったのである。

     「県が取得を予定している新県立美術館建設に伴う県負担額が、概算で約8億円になることが、24日明らかになった。県が9月定例県議会建設交通委員会に提出した資料で示した」 (2009年9月25日、秋田魁新報)

     (県立美術館の移転新築について) 「当初計画よりも床面積が約600平方メートル広くなり、県の負担金も約9億2千万円に膨らむ見通し」 (2009年12月11日、秋田魁新報)

     「県は2010年度一般会計当初予算案に、… 新県立美術館館の取得負担金約9億2千万円のうち約3億3千万円を計上している」 (2010年2月23日、秋田魁新報)

     (従来の県立美術館の建物の維持管理費用について) 「根岸教育長は 『10年間で約10億円の工事を行い、さらに年間5200万円の管理運営費がかかることを考えると、年間約1億5千万円が必要になる』と説明」 (2009年12月11日、秋田魁新報)

     (2010年2月県議会での従来の県立美術館についての佐竹知事の答弁) 「耐震化を含めた改修費用については、『今後10年以内に約10億円が必要と推定され、… 』」 (2010年2月24日、秋田魁新報)


     2012年に県の予定通り、新県立美術館が完成し、旧来の県立美術館(平野政吉美術館)にある大壁画「秋田の行事」を含むすべての収蔵作品をそこに移転完了させ、今になって、空になってしまった旧来の美術館の耐震診断を実施したという秋田県の方々。

     しかも、旧来の美術館を従来通りの美術品の展示使用で改修する際は、2010年に議員を説得するために出された改修費、10年で10億円という額を大きく下回る、15年で6億8700万円で改修可能である という試算額が、今になって明らかにされているのである。

     これでは、移転は全く不要であり、6億8700万円で、従来の美術館を改修しておれば、県財政上もはるかに有利で、文化的価値の高いこの建物の恒久的使用が可P1010010_05 平野政吉美術館(2013年4月)能となったのである。

     何という、欺瞞的で、でたらめな議論の末、県立美術館の移転新築が決まったというのか!

     しかも、従来の県立美術館(平野政吉美術館)の歴史的な意義 (秋田県内初の美術館で、県民などからの寄付金等も投入されている) や、文化的な価値 (藤田嗣治と平野政吉の交友関係の積み重ねの末、建設され、開館となった事実。藤田のアドバイス、イメージが反映されている ― 平野政吉が生前、明確に証言している。県はこの証言を信じないのか。《参考》平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について「秋田の行事」展示室としての優れた特性 (注、「現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由」を参照) などを、把握さえ出来ないまま、この美術館は、閉鎖という形を取られているのである。

     ネット上で、どこぞの県の職員はIQが低いのではないかと言われかねない哀れむべき事態だ。

    <関連記事>
    「秋田の行事」の引っ越し後に、県立美術館(旧)の建物について「耐用年数を見極めたい」と言い出した知事 ― 順番が逆ではないか?


    藤田嗣治の助言、指示が明確になった現県立美術館(平野政吉美術館) ― この美術館の閉館、移転は愚行である。

    <参考記事>
    平野政吉、1955年(昭和30年)開催「平野コレクション展」での挨拶





    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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    平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

    秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
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    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
    現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • 2014.12.14(06:00)|未分類||TOP↑
    2014.05.29
     新築された秋田県立美術館の入館者が、本オープンの昨年9月末以来、10月、11月こそ、地元メディアの膨大な報道、テレビの特集番組の放送(3局),JR東日本の「秋田の行事」PRのためのテレビCMなどの影響により、来館者を集めることができたが、その後は、順調?に数を減らし続け、先月は、5900人ほどの入館者しか集められなかったという。一日平均200人足らずといったところか。

     なかいち商業施設の総合食品売り場運営会社が契約解除したことについて、大きく報道された一方で、隣りに建てられた新美術館も、予想以上の早さで、来館者を減らし続けていたのである。

     秋田市中央街区に、にぎわいを創出する目的の再開発事業によって、公金112億円を投入し、4つの新しい建物を建てて以来、僅か1年半でこの有り様である。
      
     「県立美術館の入館者は本オープン後、順調に推移。昨年10、11月はそれぞれ2万人を超え、11月23日に5万人に達した。しかし、その後は12月と今年1月が1万4千人前後、2月7649人、3月5903人と減少」(2014年4月21日、秋田魁新報)

     県教育庁生涯学習課では「10~12月の秋田デスティネーションキャンペーン(DC)以降、冬季の落ち込みが予想以上に大きかった」(2014年4月21日、秋田魁新報)としている。


     秋田デスティネーションキャンペーン(DC)当時の膨大な宣伝も、今後は期待できないだろうし、当初、2~3年で飽きられ入館者が激減すると予測していたが、それを上回る早さで、入館者が減少しそうである。

     画家・藤田嗣治が壁画「秋田の行事」をどう見せたかったのか。その思いが伝わらない美術館を建てた責任は、誰がどう取るのだろうか。
     藤田嗣治の細かい助言を受け建てられた、「秋田の行事」に最適であった、魅力的な美術館を閉館させて、「秋田の行事」を移した責任は、誰がどう取るのだろうか。






    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

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    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


    関連記事
    平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

    秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
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    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

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  • 2014.05.29(09:00)|未分類||TOP↑
    2014.03.29
     2カ月程前のある地方紙に、現在の秋田県立美術館の館長をしている人の話が載っていた。
     その記事によると、この人は、来館者の中にあって、冴えない顔で語っていたと言う。その理由が「この先を考えると浮き足立ってもいられない。実は収蔵作品を増やすめどが立っていないんです」(2014年1月30日、北日本新聞)ということで、公立秋田美術大学の学長のH氏も「必要な作品を集めていくことが必要だ」(2014年1月30日、北日本新聞)とし、同意見であると伝えている。秋田の地元紙などでは見ることのない話だが、ご両人は、新県立美術館の今後に不満なようである。
     平野財団の不明朗な移転受け入れの後、県によって選ばれた、元高校教師、教育庁出身である現館長と県が設置した新県立美術館基本計画策定委員会の会長として、誰かの思惑通りの移転を促進させた学長が、「収蔵作品を増やすめどが立っていない」として新県立美術館の今後に不満であるとのことだ。

     随分と虫のいい話ではないだろうか。彼らは20億円を費やした、新築の美術館の「建物」のほかに、藤田と平野の思いがまるで感じられないこの美術館に、さらに新たな藤田作品を収蔵することを求めているということである。

     平野政吉が収集した藤田嗣治作品は、1920年代後半の藤田とマドレーヌの出会いとその後のラテンアメリカの旅、壁画「秋田の行事」に代表される日本帰国後の作品等に集約され、特徴付けされる。そして、1930年代を中心に、これ程の藤田作品を所蔵するコレクションは、世界でも稀であることは周知の事実である。
     この特徴を掘り下げ、理解を深め、新たな魅力を見出だし、世界の人々に発信をすることが、平野政吉の功績、遺志を継承する美術館の使命ではないのか。収蔵作品を増やすことに頼り、美術館の将来をそれに求めることは、安易な甘い考えだろう。

     また、新県立美術館の建設前、世界的建築家・安藤忠雄氏が、 「秋田の行事」に、 新しい息吹を入れるとか、藤田画伯と安藤忠雄氏のコラボだとか、関係者がしきりに宣伝文句を謳っていたが、そんなものは何もなかったどころか、藤田画伯と平野政吉について、さして深い理解をしていなかった安藤忠雄氏のコンセプトでは、意味のない三角形に拘った程度であり、とりわけ「秋田の行事」の展示環境として、平野政吉美術館の展示室より、相当に劣化、退化したものになってしまったのが明白な事実である。

     平野政吉の功績、遺志を継承するコンセプトから見ても、藤田画伯と平野政吉の交友の歴史を永く後の世に伝える意味においても、「秋田の行事」が描かれた時代の息遣いが感じられた平野政吉美術館こそ、「秋田の行事」と藤田嗣治作品に最も相応しい美術館であることは、将来に亘っても変わらないことだろう。





    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


    関連記事
    平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

    秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
    美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


    お薦め記事 … 郷土・秋田の文化遺産を継承する会
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    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

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  • 2014.03.29(05:00)|未分類||TOP↑
    2014.02.02
     秋田市中通の新県立美術館の1階天井裏にある、屋上の水庭に水を供給するための長さ約50メートルに及ぶ水管に、結露が初めて発見され、水管下の防水シートを増やす対策が取られたことが、1月15日に分かったと言う。

     「秋田市の県立美術館で今月初め、1階県民ギャラリーの天井裏の水管に結露が見つかり、水管の下に敷く防水シートを増やす対策を取ったことが15日分かった。建物を管理する県教育委員会は『ギャラリーや作品に影響はないが、結露の防止策を考えたい』としている」(2014年1月16日、秋田魁新報)

     建物の施工業者が1月3日に点検した際、水管全体が結露し、防水シートに水滴が落ちているのを見つけたとのことだ。天井板への浸透は今のところなかったとされるが、今後、経年とともに、水滴の量が増えることや、天井板への浸透など、建物への被害が発生することが懸念される。

     新県立美術館は、安藤忠雄氏が設計した「水庭」という意匠のために、水を供給するため50メートルにも及ぶ水管を天井裏に廻らしており、絶えず「水」の危険に晒されている建物だが、早くも危険な兆候が見えてきたと言えるようだ。

     今後、水管の経年による劣化も当然あるだろうし、大規模な災害時などに、被害拡大の要因の一つになることも予測される。美術館にこんなリスクを負った建物が相応しいのだろうか。著名な安藤氏の設計だということで関係者は無条件で容認したのだろうか。近頃、安藤忠雄氏が審査委員長となり選ばれた新国立競技場のデザイン案には、多くの反対意見も出ている。
     
     当ブログ著者は、以前、大量の水を使用した美術館への危惧を下記の通り、取り上げた。
      大量の水を使用した美術館は危険である
      秋田の美術館に水が必要? 藤田嗣治作品に水が必要?
      冬場は雪に覆われた景色を眺めることになる、新県立美術館
      安藤忠雄氏設計の美術館は必要?


     また、画家・藤田嗣治は、かつて美術館建設を表明した平野政吉に、館内に「自然光」を採り入れ、「壁画」を照らす形式のデザインを助言した。「光」への拘りはあったが、「水」への拘りはなかった。

      ◇平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
      懸念される新県立美術館での藤田嗣治「秋田の行事」の展示
      平野政吉美術館(秋田県立美術館)の丸窓について
      レオナール・フジタ「平和の聖母礼拝堂」と「秋田の行事」
      自然光をテーマとしている「平野政吉美術館」


     藤田画伯も水の危険に晒された美術館への移転は決して望まなかったのではないか。






    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


    関連記事
    平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

    秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
    美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


    お薦め記事 … 郷土・秋田の文化遺産を継承する会
    ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
    現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • 2014.02.02(07:00)|未分類||TOP↑
    2013.12.30
     JR東日本のテレビCMで、吉永小百合さんが話した「たった一枚の絵を観に行く。旅に出る理由は簡単でいいと思います」
     この言葉に誘われて、藤田嗣治画伯の大壁画「秋田の行事」を観に新県立美術館を訪れた旅行客が、「秋田の行事」を観れないという事態が起こったらしい。
     首都圏から秋田まで、通常のJR運賃なら往復3万円以上は掛かるが、「秋田の行事」を観る ― ただそれだけの理由で旅に出た人にとって、その「秋田の行事」を鑑賞できないとは夢にも思わなかったことだろうし、苦情が殺到したというのもよく分かることだ。
     企画展の展示準備のため12月5日、6日に、壁画展示室を閉鎖せざるを得なくなり、「秋田の行事」を公開出来なくなったのが原因らしい。
     「おもてなし」の掛け声の下、秋田県内全域でDC(デスティネーションキャンペーン)が行われている最中にこの不祥な出来事である。
     こういった出来事が口コミになり、秋田県の評価の低下を招いていくことを、関係者は気づいているのだろうか。
     現在の企画展が終了した際にも、同様の事態が起こることが予想されており、再び苦情が噴出することが十分予想される。また、ある程度の規模の企画展開催の際は、同様に「秋田の行事」非公開の事態になることも予測される。
     県はこういった事態に起こらぬように、建物の設計に十分配慮すべきであったのに、それが出来なかったようだ。「世界的」であるという建築家・安藤忠雄氏の言いなりの建物を造ったつけが回ってきたようである。

     最も良い解決策は、従来の県立美術館を耐震補強、改修を施した後、「秋田の行事」専用の「藤田嗣治『秋田の行事』展示館」として、再び利用することだろう。
     秋田を訪れた人々をもてなす、「迎賓館」の機能も持たせるとさらに良いのではないか。

     藤田嗣治直々のアドバイスを取り入れた、悠々とした広いスペースと、上方からの自然光による採光形式の展示室は、「秋田の行事」の鑑賞に最適な空間であったし、遠来の来観者を相乗的に感動させるに違いない。

     県は、従来の県立美術館を閉館にし新築の美術館への移転を終えた後、今になって耐震診断、老朽化調査を行うとしている。順序が全く逆であり、定まった方向性もない。解体するための口実を造ろうとしているようにさえ思える。

     千秋公園の景観に溶け込んでいると、新美術館への県内外からの来館者にも評価されている、旧来の県立美術館は残すべきだろう。
     そして、「藤田嗣治『秋田の行事』展示館」として再出発させるべきである。
     新美術館と共存共立させることにより、企画展準備のために「秋田の行事」を公開できないという事態も防止できるのである。
     「たった一枚の絵を観る」ために訪れた人が、その絵を観れないという事態は回避させるべきである。

     以上が、当ブログからの提言だが、ご賛同いただける方は、是非、お考え頂きたいと思う。



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    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について

    平野政吉美術館と一体である藤田嗣治作品
    秋田の文化遺産…平野政吉美術館






    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
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    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2013.12.30(05:00)|提言、意見||TOP↑
    2013.11.23
     藤田嗣治は、晩年、自ら描き残した壁画「秋田の行事」のための美術館を建設するにあたって、美術館建設を実現させようとしていた平野政吉に、教会のような大空間、建物の上方からの自然光による採光形式をアドバイスし、それらが守られ、実現したのが平野政吉美術館であったが、このような藤田の考え方は、実は、壁画「秋田の全貌」(後に「秋田の行事」と呼ばれる)が制作される以前の1936年(昭和11年)頃からあったものだった。

     1936年(昭和11年)2月に、藤田嗣治は、「現代壁画論」を著わし、当時の日本社会における「壁画」の必要性を述べ、メキシコ、フランスなどでの壁画作品の実情や、自身の壁画制作の遍歴などを語っている。

     その中で、藤田は「各県の県庁、物産陳列場等(著者注、公共施設等)にその土地の風俗、お祭り、ダンス、踊り、其他の産物等を壁画として描くことは紹介の最良策と考えて居る」と語り、これらは、そのまま翌年「秋田の全貌」に描かれた竿灯、梵天、かまくら(雪室)、秋田音頭を踊る踊り手、米俵、酒樽、木材などにも通じており、「秋田の行事」の制作意図が暗示されているようである。

     また、湿気が多く、さらに地震国でもある日本では、直接、壁に描く壁画は不適当であるとして、「カンバスを尤も理想的なものと考えて居る」と語っている。「秋田の行事」が、巨大なキャンバス画である理由には、このような藤田の容易周到な考え方、見識があったことが分かる。

     さらに、藤田は、壁画は絵画の作品とは異なり、技巧も特殊な方法でなくてはならないとして、

    「広い面積と遠距離から眺める事、下方から見上げる事等の考慮を忘却してはならぬ特殊の遠近法、変形法誇張法(デホルメーション エキジアジレーション)、奇想構図等も独創的でなくてはならぬ」

    と語っている。

     壁画制作において、広い面積と遠距離から眺める事、下方から見上げる事等の考慮を忘れてはならない、その目的にあった、独創的な奇想、構図、特殊の遠近法、変形法誇張法(デホルメーション エキジアジレーション)が必要だとしている。
     実際に、「秋田の全貌」には、藤田が意図する独創的な技法、構図が取られ、広い面積と遠距離から眺める事、下方から見上げる事への十分な配慮がなされている。

     当然、美術館なりの展示室においては、広い面積と遠距離から眺める事、下方から見上げる事への十分な配慮がなされていることが絶対的な必要条件であると言える。

     それらを考えると、平野政吉美術館の広さ550平方メートルの広い空間、見上げた際の高さ18メートルの天井を持つ展示室は、藤田の制作意図を反映した非常に意味のある展示場なのである。

     新県立美術館においては、壁画展示室の広さが、「秋田の行事」を鑑賞するうえで、狭く、遠距離から眺める事への配慮が欠如しており(約440平方メートル、奥行きが平野政吉美術館より9メートル短い)、十分に離れて観た時に分かる大壁画の全体の構図や、香爐木橋(こうろぎばし)を境にして変わる「静」と「動」の対比などを十分に理解、鑑賞出来るとは言い難い。
     また、下方から見上げる事への考慮が不十分で、天井が平野政吉美術館よりもかなり低くなっており(目測、約7メートル)、壁画を見上げた際、差し手が掲げる竿灯の棹や、石段を駆け上がる梵天の男たちなどが今にも画面を突き抜けて行くような雄大さを感じることが出来ない。

     藤田嗣治が、壁画制作において意図した「広い面積と遠距離から眺める事、下方から見上げる事等の考慮」が非常に良く反映されていたのが、今年6月に閉館になったと言う、平野政吉美術館であったのである。


    <関連記事>
    「壁画時代」の到来に意欲を燃やした藤田嗣治 ― 壁画「秋田の全貌」(後に「秋田の行事」と呼ばれる)は、藤田快心の壁画だった。

    「秋田の行事」の展示状況






    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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    平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

    秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
    美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


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    ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
    現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • 2013.11.23(06:00)|未分類||TOP↑
    2013.11.12
     昨日(10月11日)の秋田魁新報の地域面(秋田市)に、「秋田駅前フランス化計画」(イベント)という記事が載っていたが、今朝の魁のコラム欄でも取り上げていたようだ。

     郷土・秋田を愛する著者としては、違和感を持つとともに、情けない気持ちになった。

     ご承知の通り、藤田嗣治の壁画「秋田の行事」は、藤田が、1931年、パリと決別し、自分の将来を何とか打開したいという思いから、マドレーヌとともに、ラテンアメリカ各地を2年間に及ぶ放浪の旅をし、日本に帰国後、秋田の平野政吉との出会いがあって、誕生した作品である。
     マドレーヌの急死後、悲嘆に暮れる藤田を激励するため、平野が提案した美術館建設構想に応え、約束した壁画でもある。

     この壁画「秋田の行事」に込めた藤田の思い、メッセージは、非ヨーロッパ的世界、日本、秋田に生きる人々の営みへの賛歌である。

     藤田は、「山水皆これ 詩の国秋田」の歌詞がある秋田県民歌(昭和5年制定)に呼応するように、「詩の国秋田に壁画時代を現出させよう」とも語っている。
     秋田の自然、祭り、伝統行事、人々の日々の暮らしを称え、パリで喝采と栄光を得た藤田が、これこそが、秋田が、日本が、世界に誇り得るものなのだというメッセージが込められたのが「秋田の行事」なのである。

     藤田は、
    「日本の真の伝統の系統を保守して、古来の文化を味わい得るのは、全く裏日本の冬の国々にのみよって味われる」
    「吾等の持つ伝来の文化は、決して欧米の機械文明に負けたり、劣ったりしてはおらぬものがある」(地を泳ぐ)
    と語り、

     壁画についての記述でも、「壁画の時代を作れば、結局国の富、国の誇りを作り出す訳である」(現代壁画論)と語っている。

     藤田が壁画「秋田の行事」を描き、伝えたかったことは、日本古来の真の伝統文化を守っている、「秋田への誇り」、「日本への誇り」であったと言えるだろう。

     また、「私は真似事が嫌いであり まずくとも自分の画を描きたい」と語っていた藤田のメッセージも受け止めるべきだ。

     また、平野政吉が所蔵した藤田作品は、「カーニバルの後」(1932年)、「町芸人」(1932年)、「五人女」(1935年)などほとんどが、ラテンアメリカの旅の最中と、帰国後、日本で描かれた作品であり、パリ当時の作品は「眠れる女」(1931年)など極一部しかない。

     藤田は、戦後、「戦争画」を描いた画家の戦争責任をたった一人で背負うように、日本を離れ、二度と祖国日本の土を踏むことはなかった。生前、「私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのです」と語り、1968年1月29日、スイスのチューリッヒで生涯を終えている。

     また、藤田に大壁画を依頼した平野政吉は、秋田に美術館を建てること、秋田の人にコレクションを見てもらうことを念願として生き、その生涯を終えた人である。郷土・秋田への愛着が誰よりも強い人であったと言える。

     若い人達のアイディアを全て否定する訳ではないが、藤田がフランス国籍を持ち、モンパルナスで活躍したから、秋田の「フランス化」だとか「モンパルナス通り」だとかいう発想は、あまりに単純で幼児的で、貧相に感じ、全く関心できない。もっと真摯に藤田の思いを学ぶべきだろう。
     秋田県人の格好ばかりを付ける悪しき性格が垣間見え、情けない気がした。

     藤田嗣治や平野政吉の思いに照らして考えれば、寧ろ、「秋田駅前 詩の国 秋田化計画」を志向すべきだろう。

     藤田と平野の思いと、二人で生み出した壁画、「秋田の行事」が描かれた時代の空気、息遣いまで感じられるのが、平野政吉美術館であった。






    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
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    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
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