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2017.09.21
 先月下旬、旅行のためJR秋田駅を利用した際、改札内の通路の壁に、藤田嗣治制作の壁画「秋田の行事」を撮影し、縮小したものが張り出されていた。帰路、秋田に着いた後、目にしたのだが、その無造作な張り方に、嘆かわしい思いになった。

 実際の壁画は、縦3.65メートル、横20.5メートルの巨大作品だが、その十分の一位に見える絵の複製が、まるで通路の壁を埋め合わせるかのような状態で張られていた。
 あれでは、目にした人が単に、横に長い絵だと思うに過ぎない。

 画家・藤田嗣治が、秋田の四季の祭り、風物、人々の暮らしを見つめ、描いた巨大壁画「秋田の行事」。フジタは、この壁画の展示方法に画家としての強い拘りを持っていた。

 絵の高さは、人々の視線より、やや高めの6尺(約1.8メートル)とし、近付けばやや見上げる感じ、十分な距離を持ち見る場合は、全体像を一望出来るように工夫され、絵の両端は湾曲した設置にするよう指示し、離れた位置からも遠くに感じないように工夫されていた。さらに、色の厚みなどが自然に感じられるよう、絵に上方から自然光を採り入れるよう求めた。 P1010022 平野政吉美術館(2013年4月)

 そういったフジタの意向が反映されたのが、旧・秋田県立美術館(平野政吉美術館)の、広さ550平方メートル、天井高18メートル、柔らかな自然光が上方から採り入れられた、「大壁画展示室」であった。

 また、平野政吉は、自らの生涯を懸け、収集した藤田作品に強い愛着を持ち、作品が、他会場で展示される際には必ずその作品に付き添って出掛け、藤田作品とともにあるという人生を貫いた人であった。「秋田の行事」に至っては、門外不出とされ、長く画集への掲載も認めていなかったのである。

 さらに、フジタは、 「私の絵は、すべて国宝になる」 と平野政吉に豪語した、プライドと画技を持った人物でもある。
 その藤田嗣治の渾身の大作(複製)を、無造作に、通路の壁を埋める張り紙のように張っていたのである。
 こんな絵へ敬意が感じられない張り方では、フジタも平野政吉も悲しむことだろう。

 新築した美術館の宣伝のつもりなのだろうが、このような「秋田の行事」の広告の仕方では、この絵の良さがまるで伝わらないのは、言うまでもない。

 もっとも、十分に使用可能な旧来の美術館(平野政吉美術館)から「秋田の行事」など藤田作品を、無謀にも移した新築の美術館においても、絵の良さが伝わらない点では、一緒であると言える。


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藤田嗣治が壁画制作において重視した「広い面積と遠距離から眺める事、下方から見上げる事の考慮」― それらが反映された平野政吉美術館




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藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)


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美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


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ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • 2017.09.21(02:30)|未分類||TOP↑
    2015.11.14
     先日、秋田の地元紙に、有名脚本家U氏による、藤田嗣治と平野政吉を題材にしたミュージカルが公演されたという記事があった。

     旧来の秋田県立美術館 (平野政吉美術館) で、40数年間、展示、公開されていた藤田嗣治の大壁画 「秋田の行事」 。その 「秋田の行事」 の移転を、出し にするように進められた、愚かなる秋田市中通一丁目地区の再開発事業と新県立美術館の建設。

     当初、老朽化により取り壊すと言っていたはずの、従来の秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、一転、県が秋田市に譲渡し、再利用することになったと報道されている。 これでは、多額の公費を費やし、新美術館を建てた理由は、どこに行ったのか、美術館新築の目的が疑われる。

     この再開発を進めた人達にとって、今回のミュージカルは、この地区のにぎわい作りにしたいという思惑があり、企画されたのだろう。

     ところで、このミュージカルは、有名女性脚本家、U氏が脚本を書いているようだが、この人は、かつて、藤田嗣治の壁画 「秋田の行事」 や旧・秋田県立美術館 (平野政吉美術館) について、連載されている 秋田の地元紙のコラム で、次のようなことを語っている。

     平野政吉美術館について、P1010594 平野政吉美術館(2011年10月) 800x600-新

     「秋田市千秋公園にある平野政吉美術館は、私の最も好きな美術館の一つである。何しろ、とてつもない絵があるのだ。それも巨匠藤田嗣治の絵だ」 (2007年10月19日、秋田魁新報夕刊)

     「平野政吉美術館の移転もなぜだか急転直下で決まったが、これとて後に 『試行錯誤だった』 では取り返しがつかない。あの美しい建物は戻らないのだ」 (2008年5月16日、秋田魁新報夕刊)

     などと語り、当初は、移転を疑問視していた。

     また、大壁画「秋田の行事」誕生の経緯については、
     藤田が歓迎の席で 「… 『私は今世紀最大の、世界一の画家です』 と自己紹介した。それを聞いた政吉が、『証明していただきましょう。世界一長い絵を描いて頂こうじゃありませんか。できないとあらば、お命頂きます』 と畳に火箸を刺したという伝説がある」 (2007年10月19日、秋田魁新報夕刊)
     と表現している。

     最も好きな美術館と語った「平野政吉美術館」については、その後、2010年2月、県議会で美術館新築について議論された頃、U氏は、新美術館のデザインに、財団法人平野政吉美術館に約束した三角屋根 (注、U氏の表現) が取り入れられてなかったことや、佐竹知事が、現美術館 (当時) の建物の文化的価値について 「私の文化的価値基準は100年以上の建物。それより短いものは好みの問題」 と述べたことに、暴論であり、不遜であるなどと語ったものの、最終的に現美術館 (当時) を、

     移転にせよ残すにせよ、街づくりや金銭をはじめ、多くの現実問題のプラスマイナスがある (2010年2月21日、秋田魁新報)
    とし、再開発側寄りの文を記述している。 (その後県議会で明らかにされた、再開発組合のゼネコンからの巨額借入金問題を事前に認識していたのだろうか?)

     また、U氏は、財団法人平野政吉美術館 (現、公益財団法人平野政吉美術財団) の評議員でもあった (現在は不明) が、秋田県立美術館 (平野政吉美術館) の文化的価値を強く訴えたり、移転すべきでないと主張することはなかったのである。


     次に、平野政吉が藤田嗣治とのやり取りで、畳に火箸を刺し迫ったという説については、既に、尾ひれが付けられて伝わったものであると、平野政吉の親族が語っており (注) 、平野政吉自身も実際は、「田舎では、殿様気取りだった若い私も、藤田の迫力の前に圧倒された、というのが本当のところだ」 (1983年1月6日、朝日新聞 平野政吉 《聞き書き わがレオナルド藤田》 より) と、晩年語っている。

    (注) 「秋田の行事」が生まれた経緯について、「一説では、二人の激しさに宴席には不穏な空気さえ漂ったとされるが、現平野美術館長 (注、当時) を務める政吉の長男誠さん (八四) は 『そんなことはなかったはず。後から尾ひれが付いたのでしょう』 と政吉から聞いた話に触れた」 (2008年5月22日、秋田魁新報夕刊) と平野政吉の親族によって語られている。

     さらに、藤田嗣治作品について、 世界中の美術関係者が、 『藤田の代表作のほとんど、百十点が秋田にある』 と知っている(2007年10月19日、秋田魁新報夕刊) と語っているが、これも誇張であり、実際は、 藤田嗣治の1930年代の代表作の多くが平野政吉美術館にあるが正しい。

     資料等を調べれば分かることを、U氏は誇張した噂話を取り上げ、表現し、発表しているのである。

     藤田嗣治や平野政吉、「秋田の行事」について、事実と異なる、誤った認識をし、誇張した表現をしていたU氏が、今回のミュージカルで、どのような話を作り上げ、公演しているか、著者は全く興味がないが、二人の交友の歴史や作品について、今後知りたいと思っている人達や次世代の若者らには、正しく継承し、理解して頂きたいものだと願っている。
     


    <関連記事>
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    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
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    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2015.11.14(02:45)|未分類||TOP↑
    2015.10.01
      2年前の平成25年(2013年)、戦前に計画されたものの第2次世界大戦のため中止され、幻となってしまった“藤田美術館”の設計図が発見されたと公表になったが、この貴重な資料は、画家・藤田嗣治が、壁画「秋田の行事」をどのように見せたかったかを伝えている。

     「秋田の行事」完成の翌年、昭和13年(1938年)、平野政吉は、秋田市八橋で、自ら収集した藤田嗣治作品を収蔵、展示する美術館の建設に着手したが、戦争のため、鉄材の使用が困難になり、やむなく中止となった。
     この美術館の詳細については長く不明であったが、先年(平成22年頃)、平野政吉の親族が、遺品の中から設計図(17種、30枚)を発見し、明らかになった。

     それによると、この未完の“藤田美術館”は、閉館された“平野政吉美術館”と同じような特徴を有しており、日本宮殿風の三角形の屋根の形状、壁画の前方に、十分に広いスペースが取られている。

     広い空間の展示室では、奥から壁画の全体像を一目で観れるように配慮され、同時に、壁画の前を歩きながら身近に鑑賞できるように工夫されている。

     このような藤田の構想、意図は、550平方メートルある広大な旧・秋田県立美術館(平野政吉美術館)の壁画展示室に生かされており、十分に距離を取っての鑑賞、壁画の目前での鑑賞を堪能できた。

     また、建物の上方から自然光を採り入れる形式も、“未完の美術館”と、旧・秋田県立美術館(平野政吉美術館)に共通して見られる特徴である。


     藤田は、「秋田の行事」の制作当時の構想 (注) から、一貫して館内に自然光を採り入れる採光形式を重視していたが、“未完の美術館”の図面からも、建物上部から自然光を採り入れる形式がはっきり見られ、また、特徴的な丸い採光窓を有する、旧・秋田県立美術館(平野政吉美術館)にも、それが認められる。

    (注) 1936年 (昭和11年)7月 、藤田嗣治は美術館のイメージとして、「採光だけは洋風にとって、出来上り小さな三十三間堂といった感じのものにしたい」 (平野政吉美術館での企画展の説明文より) と語っている。

     昭和42年(1967年)に完成した秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、“未完に終わった美術館”の理念を継承した、共通の特徴を随所に有しており、藤田嗣治が、壁画「秋田の行事」をどのような意図で見せたかったのか、どういう美術館を志向したのかを、受け継ぎ、現在に伝える希有な美術館と言える。

     まさに、藤田の思いを継承する美術館なのである。

     残念ながら、平成25年に「秋田の行事」が移された新・秋田県立美術館においては、そうした藤田の意図は、継承されていないようだ。

     壁画展示室のスペースは440平方メートルで、旧・秋田県立美術館(平野政吉美術館)の550平方メートルより20%も縮小され、旧・秋田県立美術館の約9メートル前方からしか「秋田の行事」を鑑賞できない状態になっている。

     また、新・秋田県立美術館の展示室で使用されているLED照明では、上方を見上げた際、照り返しがあり、鑑賞し辛いなどの不満が聞かれ、自然光が自然な厚みのある色で、絵を立体的に見せてくれる効果があるのに比べ、著しく「秋田の行事」の見え方が異なっている。

     藤田嗣治が、壁画「秋田の行事」をどう見せたかったのか、その思いを伝えていたのは、旧・秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室であり、新・秋田県立美術館の展示室ではそれが見られないのである。

     報道のように、旧・秋田県立美術館(平野政吉美術館)を耐震補強の後、再使用する方向性であるならば、正当な、最善、最適な利用法は何なのかを考え、その大展示室に「秋田の行事」を戻すことを考えるべきでしょう。

     実は、そう考えている県民、市民や藤田嗣治ファン、美術ファンも相当多いはずである。







    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

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    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



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     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
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  • 2015.10.01(05:00)|未分類||TOP↑
    2015.09.03
     秋田の地元紙が、連日、旧・県立美術館を市の管理で運営するようなことを報道している。(注)
     2013年に4年制の大学として、認可、開学になった秋田公立美術大学 (実質、秋田市立) の関連施設として残すという案なのだいう。

     結局の所、新・県立美術館の建設の理由は、一体何であったのか、県知事らは、県民に丁寧な説明をすべきではないのか。
     県議会等において、現・県立美術館 (当時) が老朽化し、10年以内の耐震補強のための大規模改修が必要となる。県の財政上の理由から今回移転したほうがよいと言う説明されていた。

    (参考 … 平野政吉美術館の移転理由は何か 理由のない美術館移転、誰のため? 何のため?

     新県立美術館の完成、オープンの後に、県民の要望が多いからと言って、取り壊しをせず、残すというのであれば、そもそも新県立美術館建設の理由が存在しない訳であり、ペテンと言われても過言ではない。
     何という杜撰な行政なのか。

     また、新県立美術館の完成を持って終了した、秋田市中通一丁目の再開発事業では、オープン僅か一年半で、美術館に隣接した商業施設の運営会社と、施設内の大半のテナントが撤退する事態となっている。
     美術館の移転が、近隣施設の賑わいに繋がらなかったことが明確になったのである。これは、新美術館の移転前から予測され、指摘されていたことだ。

     結局、県民世論に逆らって、新県立美術館建設を強行した県などは、財団法人・平野政吉美術館 (現、公益財団法人・平野政吉美術財団) 所蔵の藤田嗣治画伯の大作壁画「秋田の行事」を再開発予定地に移設したかっただけであり、また、この移設がなければ、秋田市中通一丁目の再開発事業は完結しないと、尤もらしく、再開発事業を進め、県民を欺いただけではないか。

     また、報道のように、旧・県立美術館を秋田公立美術大の関連施設として残すような事態になれば、広範な、秋田県民、市民の利用が困難になる可能性が大であり、止めるべきである。
     旧・県立美術館開館の経緯、歴史など何も理解していない若年層にのみ、この由緒ある建物を解放するようなことがあってはならない。

     また、日本全国、少子化が進む中、美術を学ぶ上で魅力ある都市とは言えない秋田市の美術大に、これから先、学生が集まるのか不透明であり、大学自体の存立さえ、不透明と言えるだろう。
     僅か人口32万の都市に、公立の4年制の美術大を開学させ、多額の市費を恒久に投入し続ける政策判断をした、現秋田市長の行政能力も大いに疑問である。 
     
     旧・県立美術館が、美術品展示など、美術館としての利用が可能であると、明確に判断されたのであれば、
     藤田嗣治が生前、壁画の展示方法、見せ方などを助言し、巨大壁画の鑑賞に最適な大空間の展示室と採光形式を有していた、旧美術館・展示室に「秋田の行事」を戻し、真の「秋田の行事」展示館として利用することが最善の方法である。

     建物、壁画一体となった文化的価値を次代に継承し、さらには観光資源としての価値を高めて行くべきである。


    (注)
    「旧県立美術館(千秋明徳町)は、秋田公立美術大の関連施設として活用される案が浮上している」 (2015年9月1日、秋田魁新報)
    「旧県立美術館は市が管理し、秋田公立美術大の学生や卒業生による作品展示、市民による文化活動の場とする」 (2015年9月2日、秋田魁新報)




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    旧・秋田県立美術館の今後について~県民の声

    美術館を移転させた後、今頃、旧来の秋田県立美術館(平野政吉美術館)の耐震診断をした、理解不能な秋田県 ― しかも、改修費は、以前、議会で発言した10年で10億円を大きく下回る、15年で6億8700万円 ~ 移転は必要なかった!!

    秋田県立美術館(旧)の今後について ― 「秋田の行事」展示館か、「秋田の行事」展示を中心とした、「県立美術館・本館」にすべきである。

    「ユニークな美術館」として全国87の美術館の一つとして評価されていた、秋田市の平野政吉美術館

    新秋田県立美術館の入館者数が予想を上回る減少







    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


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    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
    現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • 2015.09.03(05:30)|未分類||TOP↑
    2015.01.27
     昨年8月末に、藤田嗣治の大作「秋田の行事」を移転させた、新秋田県立美術館の展示室における、藤田嗣治の壁画「秋田の行事」の見え方について、旧来の展示室(平野政吉美術館の大展示室)より、「絵が縮んで見える」「窮屈に見える」「迫力が感じられない」「絵の輝きが失われた」…などの指摘があるが、光源、照明に対する問題点、不満も指摘されている。

     「光源が少し残念。もう少し温かい光源にして欲しい」「照明の反射が気になる」「照明の照り返しがきつい」………と言ったものである。

     新美術館では、紫外線対策とかいう理由で、人工照明、LEDが使用されているが、これによって、従来の展示室(平野政吉美術館の大展示室)での見え方に比べて、大きく変化したという指摘である。

     著者が平野政吉美術館において、藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」を鑑賞する際、充足感を得た見方の一つに、壁画の中央正面に立ち、目の前の「竿灯」、画面右側の「梵天」の場面に視線を向け、鑑賞することがあった。

     倒れた竿灯とともに、頭上高く掲げられた竿灯の竿(下の部分のみ)を描いたシーンでは、視線を上方に向けると、画面の枠を突き抜け、遥か上方にある提灯が目に浮かぶような迫力を体感できた。梵天のシーンでも石段を駆け抜ける男たちが、画面を突き抜け、天空にまで駆け抜けるような迫力を感じることができた。藤田嗣治の天才的な表現力が感じられた。

     また、画面左側に目を向けると、かまくら(雪室)、雪だるま、馬、香爐木橋(こうろぎばし)の入り口、平野家の愛犬・錦風まで、中央を向いており、奥行き感や後方への広がりを体感できた。

     こららは、緩やかな双曲線を描いた約18メートルの天井の高さを持つ、550平方メートルの大展示室と、目に優しい光源(自然光)によって産み出されていたものである。

     藤田嗣治が、平野家に示したメモ (2013年6月、企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」で展示) によると、美術館のイメージは、教会のような大空間の展示室、上方から自然光が採られ、壁画に柔らかく差し込む形式が取られている。
     また、平野政吉にも、美術館の屋根は、自然光の採光形式にするよう、助言したと伝えられている。

     「藤田は『美術館の屋根は、ランス礼拝堂のような採光の形式にしてくれ』と注文をつけた。私は、それを忠実に守った。平野美術館の特徴ある丸窓は、このためだ。」 (1983年《昭和58年》1月12日、朝日新聞「聞き書き わがレオナルド藤田」より)

     藤田は壁画の最善の見方として、圧倒的に広い空間と上方への広がり、絵の自然な色が見える自然光による採光形式を考えていたと思われる。
     平野政吉美術館 (秋田県立美術館 《旧》 ) は、それらを忠実に実現していたと言える。

     新県立美術館の壁画展示室では、それらが何も活かされていない。
     竿灯、梵天の場面では、満足に上方を見上げることすらできず、画家が意図した迫力感が減少した状態になっている。これは、鑑賞するものにとって、とても残念なことと言えるだろう。

     新美術館建設に際して、秋田県議会では、2010年当時、現県立美術館 (当時) の自然光の採光形式が、絵に悪い。だから移転が必要だという議論がされた。

     しかし、世界に目を向けると、例えば、パリのルーブル美術館では、500年以上前の絵画も自然光がふんだんに採り入れられた環境の下、鑑賞されているし、オランジュリー美術館では、クロード・モネの「自然光で見てほしい」という遺志を再現するために、自然光を採り入れた展示室がフランス政府によって造られている。

     そのほか、アメリカ・ニューヨークのメトロポリタン美術館、ニューヨーク近代美術館、スペイン・バルセロナのミロ美術館なども館内に自然光を採り入れている著名美術館である。
     そして、それらの美術館から紫外線による絵の被害等が報告されたことはない。

     また、日本でも東京都江東区の東京都現代美術館、神奈川県横須賀市の横須賀美術館、神奈川県葉山市の神奈川県立近代美術館葉山館なども館内に自然光を取り入れた美術館である。

     さらに、新秋田県立美術館の設計者でもある、安藤忠雄氏が手掛けた、滋賀県の織田廣喜美術館は、人工照明を一切使わず、自然光だけで鑑賞する日没閉館の美術館となっている。安藤氏は展示室の壁に 「作品は自然光で見てもらうのがいいと思います」 の文言まで残している。

     そして、伊藤若冲作品の世界的コレクターとして知られる、ジョー・プライス氏も自身が持つ展示室を自然光で鑑賞できるようにしており、その理由として、 「自然光で観ると絵に奥行きが出るが、人工照明で観ると絵が平面的に見える」 ことを挙げている。

     秋田県議会での、自然光による採光形式が絵に悪い。だから、美術館移転が必要だという議論が如何に貧困なものであったのがよく分かる。

     藤田嗣治が、大壁画「秋田の行事」を自然光で観るよう、平野に助言したのも、大空間に身を置くこととの相乗的効果で、奥行き感、臨場感、立体感を出すことを求め、観る者に迫力を感じとって欲しいと願ったからに違いない。

     そして、それらが、忠実に実現された平野政吉美術館 (秋田県立美術館 《旧》 )こそが、藤田嗣治が魂を込めた大作「秋田の行事」の展示に最も相応しい美術館、展示室であることは疑いないだろう。




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    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
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    (2015年9月)



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    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
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    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • ≫「新県立美術館における「秋田の行事」の見え方について ~ 藤田嗣治が求めたのは自然光による採光形式であった (2014.12.27)」の全文を読む


    2015.01.27(03:00)|未分類||TOP↑
    2014.12.23
     秋田県知事、佐竹氏が、新築された県立美術館への移転によって、空になっている(旧)県立美術館について、「いい利用法が見つからない場合は外観だけ残すか、解体するのが筋だ」 (2014年12月17日、秋田魁新報) と発言したとのことだ。

     一方、地元紙のコラムによれば、「張りぼてでは天下に無策ぶりをさらすことにならないか。まずは『いい利用法』を見つけることが筋だろう」 (2014年12月18日、秋田魁新報「北斗星」) としており、珍しく反論を記述している。

     一体、この知事に、(旧)県立美術館に関して、「 ~ が筋だ」 という筋論を言う資格があるのだろうか。

     この(旧)県立美術館を現地改修するか否かを、客観的に判断するために、老朽化検査や耐震診断を実施するのが、正当な道筋、手順であるのに、再開発事業の一環として、巨額の公費を投入し、新築の美術館を完成させた後に、県民の要望が高いからという理由で、今頃、耐震診断を実施しているなど、筋違いが甚だしい。

     また、2007年11月に、財団法人・平野政吉美術館 (当時) に美術館移転を要請した際 (この時は寺田前知事であった) 、平野政吉美術館 (当時) が求めた耐震診断を、県は、結局、実施しなかったが、その理由が 「県は今日的社会的要請に応えた新しい美術館を建てることを構想しているのであり耐震診断結果の必要性や費用によって構想が変わるものではない」 (平成20年3月28日、週刊アキタ) からだとのことだ。一体、誰の、どんな要請があったというだろうか。

     県知事の、(旧)県立美術館について、「外観だけ残すか、解体するのが筋だ」という発言は、説得力が全くないばかりか。天下に認識の欠如をさらす発言だろう。

     また、魁紙のコラムの記事に同調するように、「県と市がお互いに負担の少ない形で建物を再利用するのも一つの選択肢」 (2014年12月17日、秋田魁新報) と語ったとのことだ。

     そもそも、この知事は、2007年、秋田市長当時に、県立美術館(旧)の跡地を念頭にし、市が管理する千秋公園内の某施設について、「県立美術館跡地における改築も視野に、別途検討を要する」と市議会で発言している。

     道義的に問題あるこの企ては、その後、頓挫したとも伝えられているが、未だに、そのような意図が、闇の中で続いているだろうか。
     
     以前からこのブログで主張しているように、(旧)県立美術館の建物は、 「秋田の行事」展示館 として、後世に伝えるのが最も自然な、最善の利用法である。

     高さ約18メートルの天井高、約550平方メートルの大空間の展示室は、壁画「秋田の行事」の展示のために、藤田嗣治の助言を取り入れ、設計されたものだ。(平野政吉の新聞、雑誌での証言のほか、藤田の助言を示すメモ、手紙が残されている。 《参照》 藤田嗣治の助言、指示が明確になった現県立美術館(平野政吉美術館) ― この美術館の閉館、移転は愚行である。 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙 開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問
     これ以外の使用は邪道だろう。

     また、「秋田の行事」展示を中心とした、「県立美術館・本館」として残すのも良いのではないか。

     (旧)県立美術館の延床面積は2,860㎡、新県立美術館は、3,746.66㎡となっている。合計しても6,606.66㎡しかない。他県の美術館の延床面積と比較し、青森県立美術館の15,837.41㎡、岩手県立美術館の13,000㎡、宮城県美術館の15,120㎡(本館 12,130㎡、佐藤忠良記念館 2,990㎡)と比べても、かなり狭い状況にある。

     宮城県美術館が本館、佐藤忠良記念館となっている例と同様に、旧館を本館(あるいは別館)、新築した美術館を新館として、2館を併用すれば、建物の有効利用になるはずだし、観光や県民の文化振興等にもより効果が増すだろう。

     また、新県立美術館のラウンジから、水面越しに旧館が象徴的に映し出されているが、設計した安藤忠雄氏自らが講演会で、「旧美術館と、関わった人たちの情熱を県民に忘れないでほしいと思い、水面を挟み新旧美術館が対となるようにした」 (2013年9月8日、秋田魁新報) と語っていた事実もあり、2館の併用は、設計者の意図にも合致するのではないか。
           
     その際、熊のための慈善事業としか思えない豪華飼育施設を、3億5千万円もかけ建設した秋田県に、費用対効果などの「コスト論」をいう資格はないことを、当然、自覚すべきであることを申し添えたい。



    <関連記事>
    藤田嗣治の助言、指示が明確になった現県立美術館(平野政吉美術館) ― この美術館の閉館、移転は愚行である。
    発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    「秋田の行事」を鑑賞できず苦情が殺到 ― 解決策は、旧来の県立美術館を「藤田嗣治『秋田の行事』展示館」として利用すること
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について


    <参考記事>
    平野政吉、1955年(昭和30年)開催「平野コレクション展」での挨拶






    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



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    (2013年8月31日)



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    (2013年8月1日)



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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2014.12.23(07:00)|未分類||TOP↑
    2014.12.14
     秋田県(県教委)が、旧県立美術館(秋田市千秋明徳町)の耐震診断を実施し、その結果、活用するために、耐震補強などの費用が、2億3200万円から最大で11億4500万円かかるとの試算を明らかにしたと言う。

     「県教育委員会は10日、旧県立美術館(秋田市千秋明徳町)の老朽度などを調査した結果、耐震基準を満たしておらず、活用するには耐震補強などの費用が少なくとも2億3200万円、最大で11億4500万円かかるとの試算を明らかにした」 (2014年12月11日、読売新聞)

     美術館使用の場合 … 6億8700万円
     多目的ホールとする場合(コンサート、講演用) … 11億4500万円 (非常階段、スプリク ラーなどの設置が義務づけら れる)
     建物の一部をホールとする場合 … 8億4900万円
     館内の利用ができないモニュメントとした場合 … 2億3200万円
     解体した場合の費用 … 1億5千万円~1億6千万円

                      (2014年12月11日、秋田魁新報の記事より、抜粋)


     旧来の県立美術館(平野政吉美術館)の耐震診断については、秋田県が2007年12月に、当時の財団法人・平野政吉美術館に美術館の移転を求めた際に、P1010594 平野政吉美術館(2011年10月) 800x600-新財団法人・平野政吉美術館が耐震診断を実施するように求めたのに対して、県は「実施しない」と回答した。そのため、財団が、これ以上待たせると、行政、再開発組合(当時、再開発準備組合)に迷惑がかかるからと言う理由で、止む無く移転を受け入れたと言う経緯がある。


     また、2008年2月に、県は財団法人・平野政吉美術館の理事会に対して、新美術館を建設した場合、県有地である土地の売却によって、建設費が相殺され、現金支出がほぼゼロで済むので、財政上有利だとの説明し、美術館移転を促した経緯がある。

     「日赤・婦人会館跡地へ移転新築した場合、建設費は15億程度(注、当時の試算)と見込まれるが、同跡地内にある県有地約一・二ヘクタールが資産として建設費に充当され、県の現金支出がほぼゼロになるとの見通しをあらためて説明。財政的な面から、現地改修より実現性が高いことを強調して理解を求めた」 (2008年2月18日、秋田魁新報)       

     この「ゼロ負担」はやがて、2009年9月の秋田県議会では8億円の負担に、2009年12月、2010年2月の秋田県議会においては、9億2千万円に上昇し (県有地の評価額の下落と建設費が約20億円に跳ね上がったことによる)、虚偽であったことが分かったが、2009年12月、2010年2月の県議会で、今度は、従来の美術館の改修し存続させる場合は、今後10年間で10億円の費用が発生すると言う数字を出し、またしても新築の方が有利だと主張したのである。美術館新築はもはや動くことのない既定事実にされ (一体誰の望みなのか?)、理性的、客観的な判断で、現地改修と移転についての検討がされることは全くなかったのである。

     「県が取得を予定している新県立美術館建設に伴う県負担額が、概算で約8億円になることが、24日明らかになった。県が9月定例県議会建設交通委員会に提出した資料で示した」 (2009年9月25日、秋田魁新報)

     (県立美術館の移転新築について) 「当初計画よりも床面積が約600平方メートル広くなり、県の負担金も約9億2千万円に膨らむ見通し」 (2009年12月11日、秋田魁新報)

     「県は2010年度一般会計当初予算案に、… 新県立美術館館の取得負担金約9億2千万円のうち約3億3千万円を計上している」 (2010年2月23日、秋田魁新報)

     (従来の県立美術館の建物の維持管理費用について) 「根岸教育長は 『10年間で約10億円の工事を行い、さらに年間5200万円の管理運営費がかかることを考えると、年間約1億5千万円が必要になる』と説明」 (2009年12月11日、秋田魁新報)

     (2010年2月県議会での従来の県立美術館についての佐竹知事の答弁) 「耐震化を含めた改修費用については、『今後10年以内に約10億円が必要と推定され、… 』」 (2010年2月24日、秋田魁新報)


     2012年に県の予定通り、新県立美術館が完成し、旧来の県立美術館(平野政吉美術館)にある大壁画「秋田の行事」を含むすべての収蔵作品をそこに移転完了させ、今になって、空になってしまった旧来の美術館の耐震診断を実施したという秋田県の方々。

     しかも、旧来の美術館を従来通りの美術品の展示使用で改修する際は、2010年に議員を説得するために出された改修費、10年で10億円という額を大きく下回る、15年で6億8700万円で改修可能である という試算額が、今になって明らかにされているのである。

     これでは、移転は全く不要であり、6億8700万円で、従来の美術館を改修しておれば、県財政上もはるかに有利で、文化的価値の高いこの建物の恒久的使用が可P1010010_05 平野政吉美術館(2013年4月)能となったのである。

     何という、欺瞞的で、でたらめな議論の末、県立美術館の移転新築が決まったというのか!

     しかも、従来の県立美術館(平野政吉美術館)の歴史的な意義 (秋田県内初の美術館で、県民などからの寄付金等も投入されている) や、文化的な価値 (藤田嗣治と平野政吉の交友関係の積み重ねの末、建設され、開館となった事実。藤田のアドバイス、イメージが反映されている ― 平野政吉が生前、明確に証言している。県はこの証言を信じないのか。《参考》平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について「秋田の行事」展示室としての優れた特性 (注、「現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由」を参照) などを、把握さえ出来ないまま、この美術館は、閉鎖という形を取られているのである。

     ネット上で、どこぞの県の職員はIQが低いのではないかと言われかねない哀れむべき事態だ。

    <関連記事>
    「秋田の行事」の引っ越し後に、県立美術館(旧)の建物について「耐用年数を見極めたい」と言い出した知事 ― 順番が逆ではないか?


    藤田嗣治の助言、指示が明確になった現県立美術館(平野政吉美術館) ― この美術館の閉館、移転は愚行である。

    <参考記事>
    平野政吉、1955年(昭和30年)開催「平野コレクション展」での挨拶





    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


    関連記事
    平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

    秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
    美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


    お薦め記事 … 郷土・秋田の文化遺産を継承する会
    ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
    現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • 2014.12.14(06:00)|未分類||TOP↑
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