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2013.09.25
 9月22日、BS朝日で放送された「藤田嗣治・秋田への夢路 地を泳ぎ 天を歩く」という番組を見た。(秋田朝日放送では、9月21日放送)
 昨年12月にパリで初めて撮影されたという、連合国軍人クラブ所蔵の壁画「花鳥図」、秋田の平野政吉邸(米蔵)で描かれた大壁画「秋田の行事」、1913年、初めてパリに渡って以来の、藤田の画業の大まかな足跡などを紹介し、藤田像に迫ろうとした番組のようだった。
 1929年(昭和4年)に描かれたと言う「花鳥図」は、藤田の作品としては珍しい金箔を張った琳派風の作品で、藤田らしい線の美しさなども見られるが、花鳥画としては、江戸中期の天才絵師、伊藤若冲の「群鶏図」(1757年-1766年頃、宮内庁所蔵)などと比較すると少し差があるような気がした。
 この壁画の複製パネルを、秋田県教委、秋田市教委、秋田朝日放送で構成した制作展示委員会が制作したとのことだが、パリに出掛け、撮影してわざわざパネルにする意味が感じられない。写真パネルでは、市場の価値も制作費以下だろう。

 新県立美術館の話題作りのための浪費だろうが、秋田はそれほど裕福な県なのか?と感じた。

 藤田の画業の足跡を辿った部分は、大雑把で掘り下げた内容ではなく、目新しさもなく、物足りなさが否めない印象であった。

 一方で、フランス人の美術史家、シルヴィー・ビュイッソンさんの藤田への見方は、興味深かった。

「ボーモン伯の依頼にせよ(壁画「花鳥図」)、バロン薩摩氏にせよ(壁画「欧人日本へ渡来の図」)、フジタは実際には常に自画像を描いたのです。… フジタの表現するものは、すべて、ある一つの形の精神的自画像になる訳です」

「ラテンアメリカへの旅は、実はパリとの決別でした。…マドレーヌとともにモンパルナスから逃げたのです…」 ~ 藤田によると「自分の将来に、行きづまりを感じたので、何とか打開しようという気持ちからであった」(「随筆集 地を泳ぐ」1942年、書物展望社[復刻:1984年、講談社]) ~

「(マドレーヌはフジタにとって)まさにセラピーです。この治療が彼に新しい形の色や絵を描かせます。彼は生涯それを手放しませんでした」

「(フランス人は)フジタが言わば人質に取られているような思いでした。1940年に日本に帰国した時点からですね。…フランス人はすぐに理解しました。(戦争画は)プロバカンダの道具にされたと…」 など

 また、君代夫人から、メゾン・アトリエ・フジタに寄贈された、1929年から1939年までにフジタが撮影した約2500枚の未公開写真(ネガ)には、1936年当時の秋田のものなども残されており興味深かった。

 秋田県立美術館に展示された「秋田の行事」の場面を見て、何故この美術館から「秋田の行事」を移設しなければならないのかという思いを改めて感じ、寂しさを感じさせた。

 8月31日に移設された「秋田の行事」の移転作業の様子も流れていたが、藤田と平野が関わった県立美術館・平野政吉美術館への惜別の思いも少しは感じられる内容ではあった。

 藤田が、故国、日本への思いを込め、描き残した大作「秋田の行事」。その展示のために、藤田は、晩年(1963年~1966年頃)、平野政吉や平野の親族に、展示室のスペースや館内の自然光の採光形式、細かい展示の仕方などを助言している。

 この「秋田の行事」のための本来の展示室、県立美術館・平野政吉美術館の展示室で、再び「秋田の行事」が観れる日が来ることを願いたい。
 また、我々はそのための英知を絞るべきではないだろうか。



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藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)


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平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


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ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • 2013.09.25(23:00)|未分類||TOP↑
    2013.09.20
     7月頃の新聞に、藤田嗣治の未公開の「花鳥図」の複製パネルが制作され、新県立美術館の開館記念に展示されるという記事があった。
     1929年(昭和4年)の作ということだが、この年の5月には、薩摩治郎八に依頼され描いた大壁画、「欧人日本へ渡来の図」(1928年作)を飾った、パリ国際大学都市日本館が開館している。9月28日には、藤田は、当時の妻ユキを伴なって16年ぶりに帰国を果たし、12月には自身初の随筆「巴里の横顔」(実業之日本社)が刊行され、好評を博している。

     この時期に、パリで「花鳥図」を描いたことは、ほとんど知られてなく、夏堀全弘著「藤田嗣治芸術試論」(2004年、三好企画)の「藤田嗣治年譜」に僅かに「フォーブル・サントレノ街のクラブに壁画『鳥と花』を制作」(2004年、夏堀全弘著「藤田嗣治芸術試論」、三好企画)とあった。 

     藤田の作品としては珍しい琳派風の作品で、黒地に金箔を張り、空間に「陸鳥」と「水鳥」が描かれている。連合国クラブという高級会員制クラブが所蔵しており、クラブのサロンの5メートルの高さに完全に埋め込まれた壁画で、会員以外は建物にも入れず、この壁画を目にすることは一般にはほとんどないということだ。

     この壁画の複製パネルの制作は、新県立美術館の目玉にということで、秋田県教育委員会、秋田市教育委員会、秋田朝日放送でつくった制作展示委員会が行ったものだと言う。
     希少な藤田作品のパネルではあるが、原寸大の幅14.21メートル、高さ1.45メートルの巨大なパネルで、報道によると制作費用は650万円であったと伝えられている。
     民間のテレビ局は別だが、県と秋田市の教育委員会がこの制作に加わっていることには、疑問だ。藤田のパリでの作品の複製パネルをわざわざパリに出かけ、作ることが、秋田の教育委員会の仕事とは思えない。秋田の子供たちのために必要なものとも思えない。その費用は寧ろ美術館の修繕費に充てるべきではないか。客寄せのための目玉を作るのが、教育委員会の仕事ではないだろう。






    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



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     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2013.09.20(23:00)|未分類||TOP↑
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