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藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)


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平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


お薦め記事 … 郷土・秋田の文化遺産を継承する会
ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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    2011.10.23
     平野政吉美術館の入館者が少ないから、平野政吉美術館を移転すべきだという人が稀にいる。昨年の県議会でもそう主張する議員がいた。こういった人達は藤田画伯の「秋田の行事」が描かれた経緯や美術館建設の経緯についてどれだけの理解をしているのだろうか。

     美術館の入館者数は常設展も大切だが企画展の良し悪しに影響されると言われる。秋田県立美術館(平野政吉美術館)の企画展の予算は、「企画運営や広報などに使える事業費は年間100万円」(2010年3月12日、毎日新聞「検証-中通再開発-」より)であったとのことだ。他の美術館と比べて極めて少ないと言われる。これでは満足できる企画展ができないだろう。また、企画展を地元のメディアなどに取り上げられたり、広告宣伝されたりする機会も少なかったようだ。メディアによる宣伝が行き届けば、多くの入場者を集めることは、最近の「藤城清治の世界展」などを見てもよく分かることである。平野政吉美術館においても企画や広報に十分な予算があれば、相当の入館者を集めることが容易に想像できる。

     また、昨年の県議会で東京など全国各地で行われた藤田嗣治の巡回展と比べて平野政吉美術館の入館者が少ないことを問題視する意見があったが、秋田県の人口が首都圏の人口の約32分の1(注1)に過ぎないことをよく考慮する必要がある。平野政吉美術館の100人の入館者は、首都圏の3280人に相当し、年間1万3000人(2008年度)の入館者数は首都圏の42万6400人に相当していることになる。入館者が少ないとは決して言えないはずである。平野政吉美術館の入館者が少ないから移転すべきだという論理は言い掛かり的であり、土木行政を推進するための論理にしか過ぎないだろう。


    (注1)2010年国勢調査の結果によると首都圏(1都3県)の人口は35,623,327人であり、秋田県人口は約32分の1の1,085,878人である。単純計算で見ても秋田市にある平野美術館の100人の入館者は、首都圏の3280人に相当している。
    平野政吉美術館の移転理由は何か 2 を参照ください。



    藤田嗣治「秋田の行事」が描かれた経緯、美術館建設の経緯 … 下記の記事を参照ください。

    大壁画「秋田の行事」誕生、美術館の壁画に … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 3

    後世に伝えたい「平野政吉と藤田嗣治の思い」 … 文化と未来 culture and future

    藤田嗣治「秋田の行事」と平野政吉美術館は一体の文化遺産 … Creative Akita

    美術館の壁画に … 「秋田の行事」 … Creative Akita



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    藤田嗣治が助言した平野政吉美術館の採光
    発見された藤田嗣治の日記と「秋田への思い」、「秋田の行事」、「美術館建設」
    藤田嗣治画伯の「秋田の行事」はあの建物と一体になってこそ秋田の宝
    秋田の美術館に水が必要? 藤田嗣治作品に水が必要?




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    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
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    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
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  • 2011.10.23(12:30)|評論||TOP↑
    2011.10.20
     著名建築家の設計したもので「水」を題材にした美術館はほとんど見当たらない。大量の水の使用はリスクが多く、美術館には不適当であるからだろう。美術館は言うまでもなく、訪れた人が美術作品と向き合う場であり、優れた美術品に触れ合い、心豊かな充足感を得る場所である。水を眺めて安らぐ場所ではない。

     一方、著名建築家の設計したもので「光」を題材にした美術館は多くある。クロード・モネのように「自然光で見て欲しい」と語った画家もいるように、美術品や美術館は光とよく合う。モネの「睡蓮」を収蔵しているオランジュリー美術館やルーブル美術館も館内に豊かな自然光を採り入れている。日本の妹島和世氏と西沢立衛氏の建築ユニットSANAAが設計したランスのルーブル美術館新館も自然光を最大限に活用するためのガラスの平屋根を採用しているなど、光がテーマになっている。

     秋田の平野政吉美術館も「光」が一つのテーマになっている美術館である。平野政吉が生前、パリ郊外の藤田嗣治を訪ねた際、藤田から「美術館の屋根は、ランス礼拝堂のような採光の形式にしてくれ」と言われ、平野政吉はその助言を忠実に守り、平野美術館の屋根には丸窓が付けられ、館内に自然光が降り注いでいる。

     平野政吉美術館が藤田嗣治と平野政吉の心が込められた、自然光を採り入れた美術館であることを我々はよく自覚すべきである。先人が残してくれた貴重な文化遺産として大切に後世に伝えていくべきである。



    (注、当ブログ著者からのお知らせ) 当ブログ著者が、2011年(平成23年)12月6日、平野政吉美術館にて確認したところ、美術館の屋根の丸窓から展示室に降り注ぐ自然光が、現在、設置された仕切りで遮られています。藤田嗣治が助言した自然光の採光形式にすべきと考えます。



    (関連記事) 
    大量の水を使用した美術館は危険である
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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
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  • 2011.10.20(00:55)|メッセージ||TOP↑
    2011.09.30
     秋田市中通の再開発地区に建設中だいう新秋田県立美術館は、安藤忠雄氏の設計ということだが、屋上に大量の水を入れ、2階から水面を眺める構造になっている。美術館に来て水を眺めたいと思うものなのか。水は、川、湖など自然の中で眺めてこそ安らぎがあるのではないか。秋田にはそれに見合う豊かな自然がある。安藤忠雄氏は「水の都」とも言われる大阪市出身で、そのためかどうかは分からないが、水を題材にした建築物を数多く設計している。北海道占冠(しむかっぷ)村の「水の教会」、京都市左京区にある京都府立陶板名画の庭、大阪府大阪狭山市の大阪府立狭山池博物館、岡山県高梁市にある高梁市成羽美術館、香川県高松市にある四国村ギャラリー、愛媛県西条市の「南岳山光明寺」、海外ではドイツ、デュッセルドルフ郊外のノイスにある「ホンブロイッヒ・ランゲン美術館」などがある。秋田市は、海もあり、山もあり、川もある街だが、特別に「水」に特徴がある街ではない。千秋公園の堀もささやかな市民の憩いの場である。また、平野政吉美術館所蔵の藤田嗣治作品と安藤忠雄氏の「水」とは全く関連性が見当たらないし、まして「秋田の行事」との関連性もない。結局、この建物は安藤氏の自己満足、自己主張の建物ではないか。この建物に藤田嗣治作品は相応しくない。藤田作品の移設は止めるべきである。


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  • 2011.09.30(23:20)|評論||TOP↑
    2011.09.20
     秋田市中通の再開発地区に予定されている安藤忠雄氏設計の新県立美術館は、建物の2階部分屋上に大量の水を取り込んだ設計になっている。公共施設にこのような大量の水をプールのように溜め込む設計は、様々なリスクが予想される。まず地震発生時に揺れによって水が外部に流出する危険がある。防水対策を取っていても防水設備が破損する危険がある。また、昨今、地球温暖化の影響も指摘されている異常気象による集中豪雨、台風の際の異常な豪雨が各地で発生しているが、このような豪雨が発生した際、排水機能が働かず水が外部に溢れ出る危険もある。水鳥の飛来による糞害や病原菌に対する不安もある。水道使用料や清掃代金なども相当なコストが掛かることが予想される。このようなリスクの高い建物が出来上がってしまった際、そのつけは、我々秋田県民が負う事になってしまうのである。美術館でなくても公共施設にこのような大量の水を取り込んだ建物は、問題であり、中止すべきである。公共施設は、住民の税金が充てられており、機能性が最も重視されるべきである。設計者の自己満足、自己主張とも取れる無駄が多い設計の建物は好ましくなく、住民に迷惑をかけることになり兼ねない。


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    失われた「秋田の文化」 … 藤田嗣治「優美神」
    藤田嗣治が助言した平野政吉美術館の採光
    発見された藤田嗣治の日記と「秋田への思い」、「秋田の行事」、「美術館建設」
    藤田嗣治画伯の「秋田の行事」はあの建物と一体になってこそ秋田の宝






    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


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    ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
    現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • 2011.09.20(20:37)|メッセージ||TOP↑
    2011.07.28
     平野政吉美術館(秋田県立美術館)の移転計画が、秋田県民に知らされたのは、2007年(平成19年)11月のことであった。県、市、再開発組合、商工会議所によって決められたとのことだった。当事者である財団法人・平野政吉美術館には、事後に説明され、当初、財団は原則反対と言っていたが、これ以上待たせると行政に迷惑をかけるからと言う、極めて不明朗な形で移転を受け入れたようだ。その間、財団や地元新聞社には、移転に反対する多くの「県民の声」が寄せられたとのことだ。地元紙の「読者の声」欄でも8割以上が移転反対の声であった。しかし、県は「県民の声」に真摯に向き合うことなく、新県立美術館基本計画策定委員会なるものを設置し、安藤忠雄氏設計の美術館作りに邁進していった。昨年2月の県議会において、新県立美術館取得負担金など再開発事業関連費を含む予算が審議された際も、美術館の移転反対署名運動が起きるなどし、地元紙に掲載された意見を見ても移転反対の意見が圧倒的に多かった。しかし、県議会は県の事業計画に瑕疵はないなどとし、この予算案に賛成し、現在に至っている。予算案に賛成した議員の中にも、美術館移転の問題に関心のある県民の声を聞くべきだと声もあった。しかし、その後設置された「にぎわい創出会議」なるものも、県、市、商工会議所の会議となっている。また、昨年の県議会以後1年3カ月の間、県のしてきたことは、「秋田の行事」を東京に運び出し、展示することの検討、「秋田の行事」の縮小版レプリカ作成、横手と能代での藤田展の開催、安藤忠雄氏講演会の開催など、新美術館のPR事業だけである。2007年以来、単発的なもの以外は一度も「県民の声」を聞いてこなかったのである。8割の県民が反対する事業はすべきでない。突き切ればなんとかなるというものではない。権力を持った者が何でも許される時代ではない。


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    最後の作品「平和の聖母礼拝堂」、永遠の別れ、永遠の友情 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 5
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    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

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    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2011.07.28(15:00)|評論||TOP↑
    2011.07.18
     秋田市中通の再開発地区に建設予定の新県立美術館の設計は安藤忠雄氏であるとのことだが、秋田との関わりは極めて薄い方のようだ。2008年5月に北秋田市で開催された全国植樹祭の式典会場の設計を担当したが、その2年前の2006年5月に秋田市の県民会館で開催された経済・文化フォーラムにパネリストとして参加している。その際、秋田の印象について問われ、「何もないところですね」と語っていたとのことだ。(参加者の話)県によって設計者の選定コンペもなく選ばれた安藤忠雄氏だが、残念ながら、秋田についての認識はその程度のものであったようだ。それ以前に秋田との関わりはない方のようだ。秋田県の担当者は、2006年5月中旬に全国植樹祭の件で安藤氏と会っているが、その直後にあたる5月29日に県庁若手職員有志によるプランという事で藤田嗣治作品の移設案(県立美術館移転案)が発表されている。この案がどういった経緯で出され、誰かの関与があったのかどうか疑問が持たれる。また、今回秋田で予定されている建物は、秋田の冬場の積雪を考えていないようなもので、2階部分屋上にプールのように水板を張るものだと言う。同じように「水」を題材にした安藤氏設計の美術館がある中国地方の町の住民は、安藤氏の美術館を「無機質、冷え冷えとした感じ」と語っている。機能的でない、無駄が多いなどの意見も聞く。この美術館が必要なのか秋田市民、秋田県民もよく考える必要がある。


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    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

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    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
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    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

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    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

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  • 2011.07.18(00:25)|評論||TOP↑
    2011.07.09
     千秋公園のお堀を前景にして建てられた平野政吉美術館は、日本宮殿流れ式と言われる優美な曲線の屋根、そこに付けられた採光のための丸い窓が特徴だ。この丸い窓は、平野政吉が美術館建設の報告のため、パリ郊外の藤田嗣治を訪ねた際、藤田嗣治から直接助言されたためであることが明らかになっている。「美術館の屋根は、ランス礼拝堂のような採光の形式にしてくれ」藤田はそう平野政吉に語っている。複数の新聞、雑誌の中で平野政吉はその事実を明示している。平野政吉美術館は世界の巨匠・藤田嗣治画伯と深い関わりのある美術館である。この美術館を建物と一体である藤田画伯の作品とともに秋田の宝として、後世に伝えていくべきである。昨年の県議会において平野美術館の丸窓からの自然光が絵に悪い。だから移転が必要だという議論がされた。しかし、世界の美術館を見るとフランス、パリのルーブル美術館、オルセー美術館、アメリカ、ニューヨークのメトロポリタン美術館など自然光を採り入れている美術館は多くある。ルーブルでは、500年以上前の絵画も自然光がふんだんに採り入れられた環境の下、鑑賞されている。平野政吉美術館の館内に自然光を採り入れているのは、藤田嗣治の助言によるものだ。美術館移転の理由には到底なり得ないのである。「秋田の行事」には、藤田嗣治の最後の大作、「平和の聖母礼拝堂」に描かれたフレスコ壁画と同じ様に柔らかな自然光が降り注いでいる(注)。


    (注) 当ブログ著者が、2011年(平成23年)12月6日、平野政吉美術館にて確認したところ、美術館の屋根の丸窓から展示室に降り注ぐ自然光が、現在、設置された仕切りで遮られています。藤田嗣治が助言した自然光の採光形式にすべきと考えます。


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  • 2011.07.09(02:01)|評論||TOP↑
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