<< topページへ次のページへ >>
TOP
2013.12.19
 人は何にふるさとへの思いを馳せ、郷愁を感じるのだろうか。

 生まれ育った土地に住み続ける人。故郷を離れ、第二のふるさとで暮らす人。数十年の後、再び故郷に戻り暮らす人。縁があって新たな土地に住み続ける人。転勤などで各地を渡り歩く人………。
 様々な人々が、ふるさとを思い続け、愛し続けているだろう。

 生まれ育った土地に長く住み続ける人が最もふるさとを愛している人達とは言い切れない。
 故郷の良さ、欠けている点を客観視できないからである。
 生まれ故郷を離れ、第二の土地で暮らす人や長い年月の後、再び故郷に戻ってきた人が、ほかの土地との比較などによって、故郷を客観視でき、故郷への思い入れ、愛着が最も強い人達と言えるかも知れない。

 それぞれの立場の、故郷への愛ある人々の中で、ある人は家族に、ある人は旧知の人々に故郷を感じることだろう。
 しかし、最も普遍的な対象は、ふるさとの山であったり、川であったり、海であったり、ふるさとの自然そのものではないだろうか。
 そして、学生時代の通学路であったり、良く通った公園、建物など造形物、思い出深い場所に郷愁を感じるものである。

 自分のふるさとから、親しんできた、思い出の場所や良き造形物が消えるのは、悲しいことであり、そして、ふるさとの魅力が一つ消え去ることになる。
 自分の住む街が、魅力のない、つまらない街になってほしくない。
 秋田市の千秋公園の一角にあり、周囲の景観に溶け込み、秋田の文化の象徴であった「平野政吉美術館」。
 この魅力ある美術館を閉鎖してしまった秋田県。
 秋田の良きものがまた一つ消されようとしているようだ。
 秋田県は、こうも情けない、哀れな県なのか?



<関連記事>
失われた「文化の殿堂」、秋田県記念館
現秋田県立美術館・平野政吉美術館と新県立美術館の共存を考える … 藤田嗣治が望み、指示した大空間で「秋田の行事」を観る重要性




スポンサーサイト



藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)


関連記事
平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


お薦め記事 … 郷土・秋田の文化遺産を継承する会
ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


ブログランキング・にほんブログ村へ   にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ


  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Yahoo!ブックマークに登録



  • 2013.12.19(05:30)|随想||TOP↑
    2011.12.22
     今日の地元紙の社説(秋田魁新報、2011年12月22日)で、現県立美術館の建物の存廃の結論を急げという主旨の記事が載っていた。存続する場合のコストとその効果を見極め、結論を急げと主張しているらしい。現美術館は開館以来、独特の景観が周囲と調和し、県民に親しまれ、移転計画が持ち上がった際も、各方面から反対の声が強く上がったが、「だからといって、保存そのものを目的に、建物を存続させる財政的余裕が県にあるとも思われない」とも述べている。どうやら、コスト論を根拠に、存廃の結論を急ぐよう求めているようだ。
     私たちは、いかにコスト論が当てにならず、行政側の都合の良いように利用されたかを経験した。2007年11月に、現県立美術館(平野政吉美術館)の移転を県が所有者である財団法人・平野政吉美術館に要請した際も、コスト論があった。現美術館が老朽化し、今後10年以内に耐震補強工事が必要であり、今回、移転すれば、県有地との相殺により、県の現金支出がほとんどゼロで済み、県の財政上有利だと迫り、このことが財団が移転を受け入れた理由の一つになった。しかし、その後、昨年の県議会において、県の支出が9億円以上であることが判った事実がある。しかも、県有地で相殺する分も合わせると、実際は、新美術館建設のために約20億円の県の支出があるのだ。このことは、行政―土木行政―の都合の良いようにコスト論が利用されたことを証明している。現県立美術館について、「存廃」をコスト論で結論づけようとするなら、容易に取り壊したほうがよいとの答えになってしまうであろう。
     私たちは、「秋田の良き文化」を後世に伝えることの意義、大切さを認識し、自覚することからスタートし、考えていくべきである。言うまでもなく、現県立美術館(平野政吉美術館)は、秋田の先人、平野政吉が、世界的画家・藤田嗣治(レオナール・フジタ)との長年の交友によって収集した作品を中心に収蔵した美術館であり、「秋田」の地に、収集した作品を残したいと願った平野政吉の想いが実現された美術館である。その建物は、特徴的な屋根に取り付けられた採光のための丸窓、高床式の造りなどに藤田のアドバイスが活かされおり、大壁画「秋田の行事」の展示方法も、藤田の助言通り、床から1.8メートルの位置に据え付けられ、両端が少しずつ迫り出した展示になっているなど、藤田嗣治と関わりの深い、世界的に見ても極めて希少な美術館である。必要に応じ、補強を加え、後世に伝えることが、秋田県全体にとって、日本にとっても重要な意義のあることである。
     経済が低成長の時代になった今日、私たちは、街づくりにおいても、新しい建物の建設によって街を創るという発想ではなく、先人達が残してくれた、自然、文化、産業などの遺産を新しい知恵や工夫で光り輝かせ、今に活かし、後世に伝えていくという発想が必要となっている。また、そうした取り組みは、人々が郷土を愛することにも繋がるはずである。
     平野政吉美術館も同様である。「秋田の郷土愛の拠点」として、これからも、秋田の偉大な先人、平野政吉が生涯を懸け、収集した作品を収蔵し、展示する美術館として、後世に末永く伝えていくべきであろう。


    <お薦め記事>
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    平野政吉の業績…平野コレクションと美術館
    美術館と自然光について
    平野政吉のエピソード
    平野政吉美術館と一体である藤田嗣治作品
    平野政吉美術館の移転理由は何か [新規構成]
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 1 … 出会い
    大壁画「秋田の行事」誕生、美術館の壁画に … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 3
    18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
    最後の作品「平和の聖母礼拝堂」、永遠の別れ、永遠の友情 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 5
    藤田嗣治が助言した平野政吉美術館の採光
    発見された藤田嗣治の日記と「秋田への思い」、「秋田の行事」、「美術館建設」






    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


    関連記事
    平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

    秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
    美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


    お薦め記事 … 郷土・秋田の文化遺産を継承する会
    ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
    現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


    ブログランキング・にほんブログ村へ   にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ


  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Yahoo!ブックマークに登録



  • 2011.12.22(23:55)|論説||TOP↑
    2011.10.23
     平野政吉美術館の入館者が少ないから、平野政吉美術館を移転すべきだという人が稀にいる。昨年の県議会でもそう主張する議員がいた。こういった人達は藤田画伯の「秋田の行事」が描かれた経緯や美術館建設の経緯についてどれだけの理解をしているのだろうか。

     美術館の入館者数は常設展も大切だが企画展の良し悪しに影響されると言われる。秋田県立美術館(平野政吉美術館)の企画展の予算は、「企画運営や広報などに使える事業費は年間100万円」(2010年3月12日、毎日新聞「検証-中通再開発-」より)であったとのことだ。他の美術館と比べて極めて少ないと言われる。これでは満足できる企画展ができないだろう。また、企画展を地元のメディアなどに取り上げられたり、広告宣伝されたりする機会も少なかったようだ。メディアによる宣伝が行き届けば、多くの入場者を集めることは、最近の「藤城清治の世界展」などを見てもよく分かることである。平野政吉美術館においても企画や広報に十分な予算があれば、相当の入館者を集めることが容易に想像できる。

     また、昨年の県議会で東京など全国各地で行われた藤田嗣治の巡回展と比べて平野政吉美術館の入館者が少ないことを問題視する意見があったが、秋田県の人口が首都圏の人口の約32分の1(注1)に過ぎないことをよく考慮する必要がある。平野政吉美術館の100人の入館者は、首都圏の3280人に相当し、年間1万3000人(2008年度)の入館者数は首都圏の42万6400人に相当していることになる。入館者が少ないとは決して言えないはずである。平野政吉美術館の入館者が少ないから移転すべきだという論理は言い掛かり的であり、土木行政を推進するための論理にしか過ぎないだろう。


    (注1)2010年国勢調査の結果によると首都圏(1都3県)の人口は35,623,327人であり、秋田県人口は約32分の1の1,085,878人である。単純計算で見ても秋田市にある平野美術館の100人の入館者は、首都圏の3280人に相当している。
    平野政吉美術館の移転理由は何か 2 を参照ください。



    藤田嗣治「秋田の行事」が描かれた経緯、美術館建設の経緯 … 下記の記事を参照ください。

    大壁画「秋田の行事」誕生、美術館の壁画に … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 3

    後世に伝えたい「平野政吉と藤田嗣治の思い」 … 文化と未来 culture and future

    藤田嗣治「秋田の行事」と平野政吉美術館は一体の文化遺産 … Creative Akita

    美術館の壁画に … 「秋田の行事」 … Creative Akita



    <お薦め記事>
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    平野政吉の業績…平野コレクションと美術館
    美術館と自然光について
    平野政吉のエピソード
    平野政吉美術館と一体である藤田嗣治作品
    千秋公園の景観に溶け込む平野政吉美術館
    平野政吉美術館の移転理由は何か [新規構成]
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 1 … 出会い
    大壁画「秋田の行事」誕生、美術館の壁画に … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 3
    18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
    最後の作品「平和の聖母礼拝堂」、永遠の別れ、永遠の友情 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 5
    藤田嗣治が助言した平野政吉美術館の採光
    発見された藤田嗣治の日記と「秋田への思い」、「秋田の行事」、「美術館建設」
    藤田嗣治画伯の「秋田の行事」はあの建物と一体になってこそ秋田の宝
    秋田の美術館に水が必要? 藤田嗣治作品に水が必要?







    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


    関連記事
    平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

    秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
    美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


    お薦め記事 … 郷土・秋田の文化遺産を継承する会
    ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
    現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


    ブログランキング・にほんブログ村へ   にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ


  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Yahoo!ブックマークに登録



  • 2011.10.23(12:30)|評論||TOP↑
    2011.09.20
     秋田市中通の再開発地区に予定されている安藤忠雄氏設計の新県立美術館は、建物の2階部分屋上に大量の水を取り込んだ設計になっている。公共施設にこのような大量の水をプールのように溜め込む設計は、様々なリスクが予想される。まず地震発生時に揺れによって水が外部に流出する危険がある。防水対策を取っていても防水設備が破損する危険がある。また、昨今、地球温暖化の影響も指摘されている異常気象による集中豪雨、台風の際の異常な豪雨が各地で発生しているが、このような豪雨が発生した際、排水機能が働かず水が外部に溢れ出る危険もある。水鳥の飛来による糞害や病原菌に対する不安もある。水道使用料や清掃代金なども相当なコストが掛かることが予想される。このようなリスクの高い建物が出来上がってしまった際、そのつけは、我々秋田県民が負う事になってしまうのである。美術館でなくても公共施設にこのような大量の水を取り込んだ建物は、問題であり、中止すべきである。公共施設は、住民の税金が充てられており、機能性が最も重視されるべきである。設計者の自己満足、自己主張とも取れる無駄が多い設計の建物は好ましくなく、住民に迷惑をかけることになり兼ねない。


    <お薦め記事>
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    平野政吉の業績…平野コレクションと美術館
    美術館と自然光について
    平野政吉のエピソード
    平野政吉美術館と一体である藤田嗣治作品
    平野政吉美術館の移転理由は何か [新規構成]
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 1 … 出会い
    大壁画「秋田の行事」誕生、美術館の壁画に … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 3
    18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
    最後の作品「平和の聖母礼拝堂」、永遠の別れ、永遠の友情 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 5
    失われた「秋田の文化」 … 藤田嗣治「優美神」
    藤田嗣治が助言した平野政吉美術館の採光
    発見された藤田嗣治の日記と「秋田への思い」、「秋田の行事」、「美術館建設」
    藤田嗣治画伯の「秋田の行事」はあの建物と一体になってこそ秋田の宝






    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


    関連記事
    平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

    秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
    美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


    お薦め記事 … 郷土・秋田の文化遺産を継承する会
    ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
    現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


    ブログランキング・にほんブログ村へ   にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ


  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Yahoo!ブックマークに登録



  • 2011.09.20(20:37)|メッセージ||TOP↑
    2011.08.22
     新聞報道によると、新県立美術館のオープンが、当初の予定より1年半遅れて2013年秋になるとのことだ。館内の環境を整えるための期間が必要のためらしいが、最近まで言われていた話との違いに驚くばかりだ。美術館の移転話が出た当初、県の出費がほとんどゼロと言っていたのが、いつのまにか9億2千万円になったことにも似ている話だ。見通しが甘いと言うより、不誠実な印象を受ける。誠実で真摯な行政であってほしい。この機会に秋田市民、秋田県民は、新しい建物の展示について、何が最も相応しいかを見直し、行政に変更を求めるべきである。地元紙などによると、新美術館の展示は(財)平野政吉美術館所蔵の藤田嗣治作品と決め付けているようだが、藤田嗣治作品の展示に最も相応しいのは、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)である。大壁画「秋田の行事」の展示の仕方、館内の採光形式に藤田嗣治のアドバイスが取り入れられている(注)。このような建物は、国内に他にない。後世に伝えるべきである。また、平野政吉と藤田嗣治が若い頃に構想した正倉院を模した高床式になっており、日本宮殿流れ式と言われる優美な曲線の屋根の形、丸い採光窓など、顕著な特徴を有している。必要に応じてこの建物を改修し、秋田の文化遺産として末永く後世に伝えていくのが最善の方法である。新しい建物は、例えば、伝統芸能を披露する場を兼ね備えてもいいし、小田野直武「不忍池図」(国指定重要文化財)の展示、若い人や子供が楽しめる現代アートの展示なども考えられるのではないか。     


    (注) 当ブログ著者が、2011年(平成23年)12月6日、平野政吉美術館にて確認したところ、美術館の屋根の丸窓から展示室に降り注ぐ自然光が、現在、設置された仕切りで遮られています。藤田嗣治が助言した自然光の採光形式にすべきと考えます。



    <お薦め記事>
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    平野政吉の業績…平野コレクションと美術館
    美術館と自然光について
    藤田嗣治「秋田の行事」と平野政吉美術館は一体の文化遺産
    平野政吉のエピソード
    平野政吉美術館と一体である藤田嗣治作品
    平野政吉美術館の移転理由は何か [新規構成]
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 1 … 出会い
    大壁画「秋田の行事」誕生、美術館の壁画に … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 3
    18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
    最後の作品「平和の聖母礼拝堂」、永遠の別れ、永遠の友情 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 5
    発見された藤田嗣治の日記と「秋田への思い」、「秋田の行事」、「美術館建設」


    <最近のお薦め記事>
    テレビ東京「美の巨人たち」で 藤田嗣治「秋田の行事」が放送されます
    美の巨人たち「藤田嗣治 秋田の行事」 BSジャパンで7月22日放送!!
    藤田嗣治「秋田の行事」の魅力







    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


    関連記事
    平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

    秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
    美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


    お薦め記事 … 郷土・秋田の文化遺産を継承する会
    ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
    現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


    ブログランキング・にほんブログ村へ   にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ


  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Yahoo!ブックマークに登録



  • 2011.08.22(02:05)|評論||TOP↑
    2011.07.28
     平野政吉美術館(秋田県立美術館)の移転計画が、秋田県民に知らされたのは、2007年(平成19年)11月のことであった。県、市、再開発組合、商工会議所によって決められたとのことだった。当事者である財団法人・平野政吉美術館には、事後に説明され、当初、財団は原則反対と言っていたが、これ以上待たせると行政に迷惑をかけるからと言う、極めて不明朗な形で移転を受け入れたようだ。その間、財団や地元新聞社には、移転に反対する多くの「県民の声」が寄せられたとのことだ。地元紙の「読者の声」欄でも8割以上が移転反対の声であった。しかし、県は「県民の声」に真摯に向き合うことなく、新県立美術館基本計画策定委員会なるものを設置し、安藤忠雄氏設計の美術館作りに邁進していった。昨年2月の県議会において、新県立美術館取得負担金など再開発事業関連費を含む予算が審議された際も、美術館の移転反対署名運動が起きるなどし、地元紙に掲載された意見を見ても移転反対の意見が圧倒的に多かった。しかし、県議会は県の事業計画に瑕疵はないなどとし、この予算案に賛成し、現在に至っている。予算案に賛成した議員の中にも、美術館移転の問題に関心のある県民の声を聞くべきだと声もあった。しかし、その後設置された「にぎわい創出会議」なるものも、県、市、商工会議所の会議となっている。また、昨年の県議会以後1年3カ月の間、県のしてきたことは、「秋田の行事」を東京に運び出し、展示することの検討、「秋田の行事」の縮小版レプリカ作成、横手と能代での藤田展の開催、安藤忠雄氏講演会の開催など、新美術館のPR事業だけである。2007年以来、単発的なもの以外は一度も「県民の声」を聞いてこなかったのである。8割の県民が反対する事業はすべきでない。突き切ればなんとかなるというものではない。権力を持った者が何でも許される時代ではない。


    <お薦め記事>
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    平野政吉の業績…平野コレクションと美術館
    美術館と自然光について
    平野政吉のエピソード
    平野政吉美術館と一体である藤田嗣治作品
    平野政吉美術館の移転理由は何か [新規構成]
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 1 … 出会い
    大壁画「秋田の行事」誕生、美術館の壁画に … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 3
    18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
    最後の作品「平和の聖母礼拝堂」、永遠の別れ、永遠の友情 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 5
    藤田嗣治が助言した平野政吉美術館の採光
    発見された藤田嗣治の日記と「秋田への思い」、「秋田の行事」、「美術館建設」
    藤田嗣治画伯の「秋田の行事」はあの建物と一体になってこそ秋田の宝
    レオナール・フジタ最後の作品「平和の聖母礼拝堂」と平野政吉美術館






    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


    関連記事
    平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

    秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
    美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


    お薦め記事 … 郷土・秋田の文化遺産を継承する会
    ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
    現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


    ブログランキング・にほんブログ村へ   にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ


  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Yahoo!ブックマークに登録



  • 2011.07.28(15:00)|評論||TOP↑
    2011.07.18
     秋田市中通の再開発地区に建設予定の新県立美術館の設計は安藤忠雄氏であるとのことだが、秋田との関わりは極めて薄い方のようだ。2008年5月に北秋田市で開催された全国植樹祭の式典会場の設計を担当したが、その2年前の2006年5月に秋田市の県民会館で開催された経済・文化フォーラムにパネリストとして参加している。その際、秋田の印象について問われ、「何もないところですね」と語っていたとのことだ。(参加者の話)県によって設計者の選定コンペもなく選ばれた安藤忠雄氏だが、残念ながら、秋田についての認識はその程度のものであったようだ。それ以前に秋田との関わりはない方のようだ。秋田県の担当者は、2006年5月中旬に全国植樹祭の件で安藤氏と会っているが、その直後にあたる5月29日に県庁若手職員有志によるプランという事で藤田嗣治作品の移設案(県立美術館移転案)が発表されている。この案がどういった経緯で出され、誰かの関与があったのかどうか疑問が持たれる。また、今回秋田で予定されている建物は、秋田の冬場の積雪を考えていないようなもので、2階部分屋上にプールのように水板を張るものだと言う。同じように「水」を題材にした安藤氏設計の美術館がある中国地方の町の住民は、安藤氏の美術館を「無機質、冷え冷えとした感じ」と語っている。機能的でない、無駄が多いなどの意見も聞く。この美術館が必要なのか秋田市民、秋田県民もよく考える必要がある。


    <お薦め記事>
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    平野政吉の業績…平野コレクションと美術館
    美術館と自然光について
    平野政吉のエピソード
    平野政吉美術館と一体である藤田嗣治作品
    平野政吉美術館の移転理由は何か [新規構成]
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 1 … 出会い
    大壁画「秋田の行事」誕生、美術館の壁画に … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 3
    18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
    最後の作品「平和の聖母礼拝堂」、永遠の別れ、永遠の友情 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 5
    藤田嗣治が助言した平野政吉美術館の採光
    発見された藤田嗣治の日記と「秋田への思い」、「秋田の行事」、「美術館建設」
    藤田嗣治画伯の「秋田の行事」はあの建物と一体になってこそ秋田の宝
    レオナール・フジタ最後の作品「平和の聖母礼拝堂」と平野政吉美術館






    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


    関連記事
    平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

    秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
    美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


    お薦め記事 … 郷土・秋田の文化遺産を継承する会
    ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
    現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


    ブログランキング・にほんブログ村へ   にほんブログ村 ニュースブログ 時事ニュースへ


  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Yahoo!ブックマークに登録



  • 2011.07.18(00:25)|評論||TOP↑
    プロフィール

    akitacolumn

    Author:akitacolumn
    秋田市在住
    性別 : 男

    カレンダー
    07 | 2017/08 | 09
    - - 1 2 3 4 5
    6 7 8 9 10 11 12
    13 14 15 16 17 18 19
    20 21 22 23 24 25 26
    27 28 29 30 31 - -
    ブログランキング
    メール
    My Yahoo!
    My Yahoo!に追加
    最新記事
    全記事表示リンク
    最新記事②
    Twitter
    サイト内ランキング
    hatena bookmark
    タグ

    歴史的建造物 現代壁画論 にぎわい交流館 新県立美術館 相乗効果 平野政吉 神奈川県立近代美術館鎌倉館 現県立美術館 御隅櫓 都市公園 美の巨人たち 銀座コロンバン天井画 現秋田県立美術館 秋田駅前 再開発 耐用年数 巴里の横顔 佐竹史料館 秋田 ルーブル美術館 秋田県記念館 花鳥図 秋田県 現代日本 地を泳ぐ 秋田県立美術館 ニューヨーク近代美術館新館 壁画 平野政吉美術館 SANAA 自然光 現代アート 藤田嗣治「秋田の行事」 文化的価値 北の丸公園 建築家 公共施設 平野政吉コレクション 県民の声 欧人日本へ渡来の図 ルーブル美術館新館 藤田嗣治「秋田の行事」展示館 秋田市 安藤忠雄講演会 SANAA 美術館の価値 巴里の昼と夜 十和田市現代美術館 市民公園 幻の藤田美術館 課題山積県 学芸員 眠れる女 市民 共存 文化ゾーン 秋田市中通 美術館 藤田嗣治 詩の国秋田 新秋田県立美術館 郷愁 千秋公園 久保田城 秋田の行事 (公財)平野政吉美術財団 レオナール・フジタ 再開発事業 マドレーヌ 入館者数 秋田市中通再開発 乳白色の下地 金沢21世紀美術館 ルーブル美術館別館 藤田の思い、メッセージ 藤田嗣治への旅 秋田の全貌 丸窓 ミュージカル カーニバルの後 平和の聖母礼拝堂 魅せられたる河 

    カテゴリ
    秋田の文化遺産を考える
    このブログをリンクに追加する
    リンク
    FC2ブログランキング
    フリーエリア
    Bダッシュ
    月別アーカイブ
    RSSリンクの表示
    QRコード
    QR
    お知らせ
    ※ 掲載の記事、写真等の無断転載を禁止します。