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2014.11.18
 「ユニークな美術館めぐり」 (新潮選書、新潮社) という書籍で、全国の特色ある87美術館の一つとして、秋田市の平野政吉美術館も選ばれていた。

 大美術館にはない独自の個性のある美術館として、誕生のいきさつや収蔵作品等がユニークな館として高く評価されていた。全87館中、東北では僅か4館しか選ばれていなかった。
 大原美術館、MOA美術館、彫刻の森美術館、横山大観記念館、浮世絵太田記念美術館、根津美術館、玉堂美術館著、山梨県立美術館、足立美術館 ……… 等の著名美術館の中に交じり、秋田市の資産家・平野政吉が集めた藤田嗣治作品に際立った特色を持つ美術館として、高く評されていた。

P1010417 平野政吉美術館(2011年7月)800x600-新2


 在りし日の平野政吉が、「秋田の行事」誕生のいきさつなどを語り、
 「日本画の伝統に根を下ろして日本の油絵を国際的に評価させた先駆者フジタ ― 画家になりたかったが地主の家をついだ平野氏、その出会いと交遊が東北の一都市にユニークな美術館を残した」 (ユニークな美術館めぐり 《新潮選書》、 新潮社) と記述されている。
 
 この書籍は、昭和57年に初版発行されているが、人気、反響が高かったようで、12年後の平成6年には第21刷まで刊行されていた。

 平野政吉美術館ように、全国的に見ても、顕著な特色、個性を持つ美術館を閉館させるとは、本当に惜しまれることだし、この館を閉館させた街の人々の神経とは、一体どんなものなのだろうか。

 自分の街の中にある、真の魅力を自覚できない、広い世間を知らない、感性の鈍い人々なのか。
 あるいは、文化、芸術に疎く、心の豊かさに欠ける人々なのか。

 この平野政吉美術館・秋田県立美術館は、行政によって老朽化のため新築が必要と言われたが、何度訪れても、外観上、使用不可の状態にはとても見えなかった。

 それが何と、新美術館を建設し、引っ越しを終えてから、旧館の建物の老朽化検査を行うのだそうだ。
 頭がどうかしているとしか思えない。

 美術館の真の価値も認識出来ないまま、新しい建物を建て、移転を急いだその目的、意図は一体何であったのか。

 そこには、再開発予定地の空地に、建物=箱を造ることを、何より優先させた卑しき利権構造が見える。
 その結果が、開業僅か1年半での、隣接新商業施設の大量の空スペース、半シャッター街状態である。
 当初から良識ある市民によって、指摘された事態が今、必然として起きているのである。

 公共事業、公共施設の建設は、公共のために行われるべきものである。
 市民のニーズを徹底的に調査、把握した後に、計画されるべきである。
 秋田市中通の日赤跡地再開発は、そういったプロセスを経たものだったのか。
 美術館の移転は、本当に必要なものだったのか。
 特定の人達の、特定の目的を実現するための再開発事業であったとしか思えない。


<参考記事>
平野政吉、1955年(昭和30年)開催「平野コレクション展」での挨拶


<お薦め記事>
藤田嗣治の壁画「秋田の行事」が描かれた時代の背景 ~ 一体感を持つ「平野政吉美術館」
レオナール・フジタ(藤田嗣治)に大壁画「秋田の行事」を描かせた、秋田の傑人・平野政吉




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藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)


関連記事
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提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • 2014.11.18(23:30)|未分類||TOP↑
    2013.12.19
     人は何にふるさとへの思いを馳せ、郷愁を感じるのだろうか。

     生まれ育った土地に住み続ける人。故郷を離れ、第二のふるさとで暮らす人。数十年の後、再び故郷に戻り暮らす人。縁があって新たな土地に住み続ける人。転勤などで各地を渡り歩く人………。
     様々な人々が、ふるさとを思い続け、愛し続けているだろう。

     生まれ育った土地に長く住み続ける人が最もふるさとを愛している人達とは言い切れない。
     故郷の良さ、欠けている点を客観視できないからである。
     生まれ故郷を離れ、第二の土地で暮らす人や長い年月の後、再び故郷に戻ってきた人が、ほかの土地との比較などによって、故郷を客観視でき、故郷への思い入れ、愛着が最も強い人達と言えるかも知れない。

     それぞれの立場の、故郷への愛ある人々の中で、ある人は家族に、ある人は旧知の人々に故郷を感じることだろう。
     しかし、最も普遍的な対象は、ふるさとの山であったり、川であったり、海であったり、ふるさとの自然そのものではないだろうか。
     そして、学生時代の通学路であったり、良く通った公園、建物など造形物、思い出深い場所に郷愁を感じるものである。

     自分のふるさとから、親しんできた、思い出の場所や良き造形物が消えるのは、悲しいことであり、そして、ふるさとの魅力が一つ消え去ることになる。
     自分の住む街が、魅力のない、つまらない街になってほしくない。
     秋田市の千秋公園の一角にあり、周囲の景観に溶け込み、秋田の文化の象徴であった「平野政吉美術館」。
     この魅力ある美術館を閉鎖してしまった秋田県。
     秋田の良きものがまた一つ消されようとしているようだ。
     秋田県は、こうも情けない、哀れな県なのか?



    <関連記事>
    失われた「文化の殿堂」、秋田県記念館
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    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
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    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2013.12.19(05:30)|随想||TOP↑
    2012.08.29
     秋田市の千秋公園は、関ヶ原の合戦の後、秋田に転封された初代秋田藩主佐竹義宣が自然の丘陵を利用して築城した久保田城の城址を、1896年(明治29年)、P1010469 千秋公園造園家、長岡安平の設計により日本庭園として整備された公園である。公園の入口付近には、お堀があり、広さは162,900平方メートル。園内には御隅櫓、久保田城表門が再建されている。秋田市民の憩いの場として親しまれている市民公園である。
     この千秋公園と似た公園に、東京都千代田区の北の丸公園がある。北の丸公園は江戸城の北の丸であった場所にあり、1963年(昭和38年)に建設省が森林公園として整備を開始し、1969年(昭和44年)、昭和天皇の還暦を記念して開園、一般公開された。現在は環境省の管理する国民公園の一つとなっている。干鳥ヶ淵、牛ヶ淵、清水濠のお堀に囲まれ、広さは193,297平方メートル。園内には、旧江戸城の遺構である田安門、清水門(どちらも重要文化財)の城門があり、多くの文化施設を公園内に持ち、緑豊かな都会のオアシスと言える公園である。
     北の丸公園では、樹木の間を縫ってウォーキング、ジョギングを楽しむ人達のためにコースが整備されおり、休憩所も数箇所建てられている。また、園内には日本武道館、科学技術館、東京国立近代美術工芸館等の文化施設があり、多種多様な人々が大勢訪れている。
     秋田市の千秋公園は、JR秋田駅から至近であると言う好立地にあるのだが、城址公園であるかのような色彩が強いのが惜しまれる。田安門の中に日本武道館がある北の丸公園のように、再建された表門の内側に多彩な施設があっても全くおかしくないことだ。P1010466_01 千秋公園
    千秋公園では1950年(昭和25年)から22年間、動物園があった時期もあるが、少なくても現在より多くの子供や市民が訪れ、賑わっていた。千秋公園にもジョギングコース、散策コース、休憩所などが整備をされれば、より楽しい公園になることだろう。
     お堀に面した位置にある現県立美術館(平野政吉美術館)も都市公園の多様性の役割を果たしており、現在のままの形の美術館として末永く残して行くべきである。

    P1010559_01 千秋公園の堀を前景にした平野政吉美術館(7月)
    千秋公園の堀を前景にした平野政吉美術館




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    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
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    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2012.08.29(02:00)|評論||TOP↑
    2012.06.12
     秋田市中通の再開発地区(エリアなかいち)のマスコットキャラクターは与次郎というキツネだと言う。秋田市千秋公園内の八幡秋田神社の隣にひっそり佇む稲荷神社、與次郎稲荷神社に祭られている「与次郎」がモデルとのことだ。伝説では、与次郎は並外れた能力を持つ、飛脚に姿を変えたキツネであったが、その能力を妬んだ仲間に殺害され、その後、霊を慰めるため、藩主によって祭られたとのこと。今は閑静な千秋公園の片隅に人知れずひっそりと安らかに祭られている。この「与次郎」を賑々しい再開発地区、商業地区のキャラクターに引っ張り出すとのことだ。イベントなども企画されているようだ。与次郎もさぞ困惑していることだろう。秋田市の街の賑わいづくりにはミスマッチなキャラクターである。



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    藤田嗣治が助言した平野政吉美術館の採光
    発見された藤田嗣治の日記と「秋田への思い」、「秋田の行事」、「美術館建設」
    藤田嗣治「秋田の行事」の魅力







    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
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    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  •    tag : 秋田市 再開発

    2012.06.12(23:39)|短評||TOP↑
    2012.06.12
     秋田市中通の再開発事業にも関わっている大手建設会社のテレビコマーシャルを少し前に見た。子供達が大勢登場し、子供達が歌い、自社が関わった事業の映像を流し、「子供に誇れる仕事を」と言うキャッチコピーが流れるものであった。そのCMを見て、この建設会社が、秋田市中通再開発で、いつのまにか再開発事業の組合員になり、組合に数億円融資し、この事業の建設を競争なしで請け負ったことを思い出した。あれは子供に誇れる手法だったのかと。最新の建造物に無邪気な子供が喜ぶのは当然だ。子供騙しという言葉もある。彼らは「地域住民に誇れる仕事を」「子供が大人になった時に誇れる仕事を」するべきである。



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    発見された藤田嗣治の日記と「秋田への思い」、「秋田の行事」、「美術館建設」
    藤田嗣治「秋田の行事」の魅力







    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


    関連記事
    平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

    秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
    美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


    お薦め記事 … 郷土・秋田の文化遺産を継承する会
    ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
    現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  •    tag : 秋田市 再開発

    2012.06.12(21:43)|短評||TOP↑
    2012.03.13
     2010年2月の県議会で、再開発事業の事業費の圧縮を県が回答し、県議会与党などが、再開発事業関連予算含む一般会計当初予算案に賛成し、秋田市中通の再開発事業が承認された形だったはずだが、現在の再開発地区の工事現場付近の状況などを見ると派手な宣伝が目に付く。巨大な写真が工事現場の周囲を覆っている。新美術館のロゴなどを選定したうえに、再開発地区の愛称(エリア なかいち)とロゴ、マスコットキャラクター、にぎわい交流館の愛称、ロゴなども経費をかけ、公募し選定している。マスコットキャラクターは、市民に馴染みのない千秋公園にある小さな神社に祭られている、初代秋田藩主、佐竹義宣に仕えたという伝説上のキツネとのこと。佐竹氏との関連を強調したいためなのか。多くの市民が納得していない再開発計画を象徴しているような、ミスマッチなキャラクターだ。派手な宣伝より中身の充実が大切である。子供からお年寄りまで、幅広い市民に愛される街づくりをすべきである。



    P1010216 新県立美術館 800x600
    建設中の新県立美術館、にぎわい交流館



    P1010241 再開発 写真 800x600-2

    P1010258 再開発 写真 800x600
    工事現場の周囲を覆う等身大の巨大写真、かなりの数があった



    P1010227 秋田市再開発 ロゴ 800x600
    再開発地区、にぎわい交流館、新県立美術館のロゴ、キャラクター




    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)について


     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、移転の必要がない。この美術館から、大壁画「秋田の行事」を始めとする藤田嗣治作品を移設することは、建物と藤田嗣治作品の文化的価値を損なうものであり、同時に秋田県、秋田県民の利益を損なうものである。
     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は従来通り、平野政吉が生涯を懸け収集した藤田嗣治作品の展示、鑑賞の場として末永く後世に伝えるべきである。





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    平野政吉のエピソード
    平野政吉美術館と一体である藤田嗣治作品
    平野政吉美術館の移転理由は何か [新規構成]
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 1 … 出会い
    大壁画「秋田の行事」誕生、美術館の壁画に … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 3
    18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
    最後の作品「平和の聖母礼拝堂」、永遠の別れ、永遠の友情 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 5
    藤田嗣治が助言した平野政吉美術館の採光
    発見された藤田嗣治の日記と「秋田への思い」、「秋田の行事」、「美術館建設」






    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


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    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
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  • 2012.03.13(00:25)|短評||TOP↑
    2012.03.12
     秋田市中通の再開発地区に建設中だと言う新秋田県立美術館。著名な安藤忠雄氏設計の建物だと言うことだが、建物の屋上部分に大量の水を溜め、水庭として2階から眺める構造だと言う。どれだけの秋田の人が、水を眺める美術館を望んでいるのだろうか。しかも、秋田では、12月から3月までの冬場は雪に覆われた景色を眺めることになる。設計者、安藤忠雄氏は、雪国、秋田に住む人々の心情をどれだけ理解していたのだろうか。雪と格闘する日常生活の中で、美術館と言う非日常的な空間に来てまで秋田の人は雪景色を眺めたいとは思わないだろう。
     古来より、悠久の水の流れは人生の流れにも例えられてきた。日本画家、奥田元宋(1912年-2003年)は、かつて京都・慈照寺(銀閣寺)の障壁画を制作する際に、「人生の流れになぞらえて悠久の水を描きたい」と語り、障壁画を描いたと言う。自然の中に身を置き、眺める水の流れにこそ、人生への想いを感じ、ひと時の安らぎを覚えるのである。


    P1010255 堀の雪景色 800x600
    雪に覆われた千秋公園の掘
    新県立美術館の窓から眺める景色はこのようなものか




    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)について


     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、移転の必要がない。この美術館から、大壁画「秋田の行事」を始めとする藤田嗣治作品を移設することは、建物と藤田嗣治作品の文化的価値を損なうものであり、同時に秋田県、秋田県民の利益を損なうものである。
     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は従来通り、平野政吉が生涯を懸け収集した藤田嗣治作品の展示、鑑賞の場として末永く後世に伝えるべきである。





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    大壁画「秋田の行事」誕生、美術館の壁画に … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 3
    18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
    最後の作品「平和の聖母礼拝堂」、永遠の別れ、永遠の友情 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 5
    藤田嗣治が助言した平野政吉美術館の採光
    発見された藤田嗣治の日記と「秋田への思い」、「秋田の行事」、「美術館建設」







    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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    美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


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    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
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  • 2012.03.12(21:08)|短評||TOP↑
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