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2014.03.29
 2カ月程前のある地方紙に、現在の秋田県立美術館の館長をしている人の話が載っていた。
 その記事によると、この人は、来館者の中にあって、冴えない顔で語っていたと言う。その理由が「この先を考えると浮き足立ってもいられない。実は収蔵作品を増やすめどが立っていないんです」(2014年1月30日、北日本新聞)ということで、公立秋田美術大学の学長のH氏も「必要な作品を集めていくことが必要だ」(2014年1月30日、北日本新聞)とし、同意見であると伝えている。秋田の地元紙などでは見ることのない話だが、ご両人は、新県立美術館の今後に不満なようである。
 平野財団の不明朗な移転受け入れの後、県によって選ばれた、元高校教師、教育庁出身である現館長と県が設置した新県立美術館基本計画策定委員会の会長として、誰かの思惑通りの移転を促進させた学長が、「収蔵作品を増やすめどが立っていない」として新県立美術館の今後に不満であるとのことだ。

 随分と虫のいい話ではないだろうか。彼らは20億円を費やした、新築の美術館の「建物」のほかに、藤田と平野の思いがまるで感じられないこの美術館に、さらに新たな藤田作品を収蔵することを求めているということである。

 平野政吉が収集した藤田嗣治作品は、1920年代後半の藤田とマドレーヌの出会いとその後のラテンアメリカの旅、壁画「秋田の行事」に代表される日本帰国後の作品等に集約され、特徴付けされる。そして、1930年代を中心に、これ程の藤田作品を所蔵するコレクションは、世界でも稀であることは周知の事実である。
 この特徴を掘り下げ、理解を深め、新たな魅力を見出だし、世界の人々に発信をすることが、平野政吉の功績、遺志を継承する美術館の使命ではないのか。収蔵作品を増やすことに頼り、美術館の将来をそれに求めることは、安易な甘い考えだろう。

 また、新県立美術館の建設前、世界的建築家・安藤忠雄氏が、 「秋田の行事」に、 新しい息吹を入れるとか、藤田画伯と安藤忠雄氏のコラボだとか、関係者がしきりに宣伝文句を謳っていたが、そんなものは何もなかったどころか、藤田画伯と平野政吉について、さして深い理解をしていなかった安藤忠雄氏のコンセプトでは、意味のない三角形に拘った程度であり、とりわけ「秋田の行事」の展示環境として、平野政吉美術館の展示室より、相当に劣化、退化したものになってしまったのが明白な事実である。

 平野政吉の功績、遺志を継承するコンセプトから見ても、藤田画伯と平野政吉の交友の歴史を永く後の世に伝える意味においても、「秋田の行事」が描かれた時代の息遣いが感じられた平野政吉美術館こそ、「秋田の行事」と藤田嗣治作品に最も相応しい美術館であることは、将来に亘っても変わらないことだろう。





藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)


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平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

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美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


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ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • 2014.03.29(05:00)|未分類||TOP↑
    2013.12.30
     JR東日本のテレビCMで、吉永小百合さんが話した「たった一枚の絵を観に行く。旅に出る理由は簡単でいいと思います」
     この言葉に誘われて、藤田嗣治画伯の大壁画「秋田の行事」を観に新県立美術館を訪れた旅行客が、「秋田の行事」を観れないという事態が起こったらしい。
     首都圏から秋田まで、通常のJR運賃なら往復3万円以上は掛かるが、「秋田の行事」を観る ― ただそれだけの理由で旅に出た人にとって、その「秋田の行事」を鑑賞できないとは夢にも思わなかったことだろうし、苦情が殺到したというのもよく分かることだ。
     企画展の展示準備のため12月5日、6日に、壁画展示室を閉鎖せざるを得なくなり、「秋田の行事」を公開出来なくなったのが原因らしい。
     「おもてなし」の掛け声の下、秋田県内全域でDC(デスティネーションキャンペーン)が行われている最中にこの不祥な出来事である。
     こういった出来事が口コミになり、秋田県の評価の低下を招いていくことを、関係者は気づいているのだろうか。
     現在の企画展が終了した際にも、同様の事態が起こることが予想されており、再び苦情が噴出することが十分予想される。また、ある程度の規模の企画展開催の際は、同様に「秋田の行事」非公開の事態になることも予測される。
     県はこういった事態に起こらぬように、建物の設計に十分配慮すべきであったのに、それが出来なかったようだ。「世界的」であるという建築家・安藤忠雄氏の言いなりの建物を造ったつけが回ってきたようである。

     最も良い解決策は、従来の県立美術館を耐震補強、改修を施した後、「秋田の行事」専用の「藤田嗣治『秋田の行事』展示館」として、再び利用することだろう。
     秋田を訪れた人々をもてなす、「迎賓館」の機能も持たせるとさらに良いのではないか。

     藤田嗣治直々のアドバイスを取り入れた、悠々とした広いスペースと、上方からの自然光による採光形式の展示室は、「秋田の行事」の鑑賞に最適な空間であったし、遠来の来観者を相乗的に感動させるに違いない。

     県は、従来の県立美術館を閉館にし新築の美術館への移転を終えた後、今になって耐震診断、老朽化調査を行うとしている。順序が全く逆であり、定まった方向性もない。解体するための口実を造ろうとしているようにさえ思える。

     千秋公園の景観に溶け込んでいると、新美術館への県内外からの来館者にも評価されている、旧来の県立美術館は残すべきだろう。
     そして、「藤田嗣治『秋田の行事』展示館」として再出発させるべきである。
     新美術館と共存共立させることにより、企画展準備のために「秋田の行事」を公開できないという事態も防止できるのである。
     「たった一枚の絵を観る」ために訪れた人が、その絵を観れないという事態は回避させるべきである。

     以上が、当ブログからの提言だが、ご賛同いただける方は、是非、お考え頂きたいと思う。



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    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

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    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



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     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2013.12.30(05:00)|提言、意見||TOP↑
    2013.11.23
     藤田嗣治は、晩年、自ら描き残した壁画「秋田の行事」のための美術館を建設するにあたって、美術館建設を実現させようとしていた平野政吉に、教会のような大空間、建物の上方からの自然光による採光形式をアドバイスし、それらが守られ、実現したのが平野政吉美術館であったが、このような藤田の考え方は、実は、壁画「秋田の全貌」(後に「秋田の行事」と呼ばれる)が制作される以前の1936年(昭和11年)頃からあったものだった。

     1936年(昭和11年)2月に、藤田嗣治は、「現代壁画論」を著わし、当時の日本社会における「壁画」の必要性を述べ、メキシコ、フランスなどでの壁画作品の実情や、自身の壁画制作の遍歴などを語っている。

     その中で、藤田は「各県の県庁、物産陳列場等(著者注、公共施設等)にその土地の風俗、お祭り、ダンス、踊り、其他の産物等を壁画として描くことは紹介の最良策と考えて居る」と語り、これらは、そのまま翌年「秋田の全貌」に描かれた竿灯、梵天、かまくら(雪室)、秋田音頭を踊る踊り手、米俵、酒樽、木材などにも通じており、「秋田の行事」の制作意図が暗示されているようである。

     また、湿気が多く、さらに地震国でもある日本では、直接、壁に描く壁画は不適当であるとして、「カンバスを尤も理想的なものと考えて居る」と語っている。「秋田の行事」が、巨大なキャンバス画である理由には、このような藤田の容易周到な考え方、見識があったことが分かる。

     さらに、藤田は、壁画は絵画の作品とは異なり、技巧も特殊な方法でなくてはならないとして、

    「広い面積と遠距離から眺める事、下方から見上げる事等の考慮を忘却してはならぬ特殊の遠近法、変形法誇張法(デホルメーション エキジアジレーション)、奇想構図等も独創的でなくてはならぬ」

    と語っている。

     壁画制作において、広い面積と遠距離から眺める事、下方から見上げる事等の考慮を忘れてはならない、その目的にあった、独創的な奇想、構図、特殊の遠近法、変形法誇張法(デホルメーション エキジアジレーション)が必要だとしている。
     実際に、「秋田の全貌」には、藤田が意図する独創的な技法、構図が取られ、広い面積と遠距離から眺める事、下方から見上げる事への十分な配慮がなされている。

     当然、美術館なりの展示室においては、広い面積と遠距離から眺める事、下方から見上げる事への十分な配慮がなされていることが絶対的な必要条件であると言える。

     それらを考えると、平野政吉美術館の広さ550平方メートルの広い空間、見上げた際の高さ18メートルの天井を持つ展示室は、藤田の制作意図を反映した非常に意味のある展示場なのである。

     新県立美術館においては、壁画展示室の広さが、「秋田の行事」を鑑賞するうえで、狭く、遠距離から眺める事への配慮が欠如しており(約440平方メートル、奥行きが平野政吉美術館より9メートル短い)、十分に離れて観た時に分かる大壁画の全体の構図や、香爐木橋(こうろぎばし)を境にして変わる「静」と「動」の対比などを十分に理解、鑑賞出来るとは言い難い。
     また、下方から見上げる事への考慮が不十分で、天井が平野政吉美術館よりもかなり低くなっており(目測、約7メートル)、壁画を見上げた際、差し手が掲げる竿灯の棹や、石段を駆け上がる梵天の男たちなどが今にも画面を突き抜けて行くような雄大さを感じることが出来ない。

     藤田嗣治が、壁画制作において意図した「広い面積と遠距離から眺める事、下方から見上げる事等の考慮」が非常に良く反映されていたのが、今年6月に閉館になったと言う、平野政吉美術館であったのである。


    <関連記事>
    「壁画時代」の到来に意欲を燃やした藤田嗣治 ― 壁画「秋田の全貌」(後に「秋田の行事」と呼ばれる)は、藤田快心の壁画だった。

    「秋田の行事」の展示状況






    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

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    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
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  • 2013.11.23(06:00)|未分類||TOP↑
    2013.11.12
     昨日(10月11日)の秋田魁新報の地域面(秋田市)に、「秋田駅前フランス化計画」(イベント)という記事が載っていたが、今朝の魁のコラム欄でも取り上げていたようだ。

     郷土・秋田を愛する著者としては、違和感を持つとともに、情けない気持ちになった。

     ご承知の通り、藤田嗣治の壁画「秋田の行事」は、藤田が、1931年、パリと決別し、自分の将来を何とか打開したいという思いから、マドレーヌとともに、ラテンアメリカ各地を2年間に及ぶ放浪の旅をし、日本に帰国後、秋田の平野政吉との出会いがあって、誕生した作品である。
     マドレーヌの急死後、悲嘆に暮れる藤田を激励するため、平野が提案した美術館建設構想に応え、約束した壁画でもある。

     この壁画「秋田の行事」に込めた藤田の思い、メッセージは、非ヨーロッパ的世界、日本、秋田に生きる人々の営みへの賛歌である。

     藤田は、「山水皆これ 詩の国秋田」の歌詞がある秋田県民歌(昭和5年制定)に呼応するように、「詩の国秋田に壁画時代を現出させよう」とも語っている。
     秋田の自然、祭り、伝統行事、人々の日々の暮らしを称え、パリで喝采と栄光を得た藤田が、これこそが、秋田が、日本が、世界に誇り得るものなのだというメッセージが込められたのが「秋田の行事」なのである。

     藤田は、
    「日本の真の伝統の系統を保守して、古来の文化を味わい得るのは、全く裏日本の冬の国々にのみよって味われる」
    「吾等の持つ伝来の文化は、決して欧米の機械文明に負けたり、劣ったりしてはおらぬものがある」(地を泳ぐ)
    と語り、

     壁画についての記述でも、「壁画の時代を作れば、結局国の富、国の誇りを作り出す訳である」(現代壁画論)と語っている。

     藤田が壁画「秋田の行事」を描き、伝えたかったことは、日本古来の真の伝統文化を守っている、「秋田への誇り」、「日本への誇り」であったと言えるだろう。

     また、「私は真似事が嫌いであり まずくとも自分の画を描きたい」と語っていた藤田のメッセージも受け止めるべきだ。

     また、平野政吉が所蔵した藤田作品は、「カーニバルの後」(1932年)、「町芸人」(1932年)、「五人女」(1935年)などほとんどが、ラテンアメリカの旅の最中と、帰国後、日本で描かれた作品であり、パリ当時の作品は「眠れる女」(1931年)など極一部しかない。

     藤田は、戦後、「戦争画」を描いた画家の戦争責任をたった一人で背負うように、日本を離れ、二度と祖国日本の土を踏むことはなかった。生前、「私が日本を捨てたのではない。日本に捨てられたのです」と語り、1968年1月29日、スイスのチューリッヒで生涯を終えている。

     また、藤田に大壁画を依頼した平野政吉は、秋田に美術館を建てること、秋田の人にコレクションを見てもらうことを念願として生き、その生涯を終えた人である。郷土・秋田への愛着が誰よりも強い人であったと言える。

     若い人達のアイディアを全て否定する訳ではないが、藤田がフランス国籍を持ち、モンパルナスで活躍したから、秋田の「フランス化」だとか「モンパルナス通り」だとかいう発想は、あまりに単純で幼児的で、貧相に感じ、全く関心できない。もっと真摯に藤田の思いを学ぶべきだろう。
     秋田県人の格好ばかりを付ける悪しき性格が垣間見え、情けない気がした。

     藤田嗣治や平野政吉の思いに照らして考えれば、寧ろ、「秋田駅前 詩の国 秋田化計画」を志向すべきだろう。

     藤田と平野の思いと、二人で生み出した壁画、「秋田の行事」が描かれた時代の空気、息遣いまで感じられるのが、平野政吉美術館であった。






    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
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    (2015年9月)



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    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


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    ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
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    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
    現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • 2013.11.12(23:50)|未分類||TOP↑
    2013.10.06
     新県立美術館の本オープンを伝える、9月29日の地元紙の記事を読むと、新県立美術館の展示室について、「奥行きは旧美術館より約9メートル短い13メートル」(2013年9月29日、秋田魁新報)、「『ちょっと狭くて、壁画も窮屈に感じた』と、初めての空間に戸惑う秋田市の会社員女性(52)も」(2013年9月29日、秋田魁新報)という話が載っていた。
     行政に迎合的な姿勢がある魁紙でさえ、記事にして伝えている位だから、実際の鑑賞者は、かなり窮屈で戸惑いがあったと思われる。また、美術館側の話として「3階から見たときの迫力は旧美術館よりはるかに増した。新しい空間で新しい鑑賞の仕方を楽しんでほしい」(2013年9月29日、秋田魁新報)とも伝えていた。どうも、この新展示室では、正面から壁画と向き合える、最も一般的な2階部分から「秋田の行事」を観た場合、平野政吉美術館の大展示室と比べ、相当窮屈に見えるらしく、「秋田の行事」の迫力は、吹き抜けの3階部分に行って見ないと分らないようである。

     9メートルも奥行きが短くなったのだから、その分だけ「迫ってくる」(2013年9月29日、秋田魁新報)のは当然だろう。一方で、その分、この展示室では、この壁画の持つ雄大さ、スケール感を感じることは出来ないだだろうし、藤田の助言を取り入れた大展示室で観た時のような、重厚感や壁画と一体化したような感覚も持てないだろう。まして、絵から、描かれた時代の音が聞こえる、息遣いが聞こえるという感覚も当然持てないだろう。また、藤田が、壁画のために指示した上方からの自然光による採光形式も取り入れていない。完全に、平野政吉美術館の展示室より、劣化した展示室と言える。

     そして、今、新美術館を訪れている人々は、言ってみれば、有名女優のテレビコマーシャルに誘われてやって来た、物見遊山の見物人がほとんどであり、CM終了とともに、姿を消していくことが明白である。
     今朝の新聞に、「6日間で、7211人が来館した」(2013年10月5日、秋田魁新報)という県の話が載っていたが、何も意味のない数字と言える。

     この展示室では、「秋田の行事」に出会った「感動」は伝わらないだろう。平野政吉美術館では、「秋田の行事」を観て、感動して涙を流す人さえいた。安藤忠雄氏設計の展示室では独自のメッセージが何も無ければ、平野政吉が藤田嗣治から受けた指示を、真摯に継承している姿勢も見受けられない。(床から約1.8メートル上げた展示方法のみ)

     引っ越すこと自体が目的であって、平野政吉美術館の展示室を超える意欲もなければ、斬新さも、魅力もない展示室である。

     グレーのコンクリート剥き出しの建物で、周囲のざわざわした喧噪に囲まれながら、重厚さのない展示室で、藤田嗣治渾身の大壁画を観ようとは思わない。

     先日、ツイッターで、初めて「秋田の行事」を観た人が、寧ろ他の作品のほうが良かったと言っていた。こういう来館者が増えれば、新美術館の「秋田の行事」展示室は、失敗であったと言うことになるだろう。






    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2013.10.06(01:00)|未分類||TOP↑
    2013.09.25
     9月22日、BS朝日で放送された「藤田嗣治・秋田への夢路 地を泳ぎ 天を歩く」という番組を見た。(秋田朝日放送では、9月21日放送)
     昨年12月にパリで初めて撮影されたという、連合国軍人クラブ所蔵の壁画「花鳥図」、秋田の平野政吉邸(米蔵)で描かれた大壁画「秋田の行事」、1913年、初めてパリに渡って以来の、藤田の画業の大まかな足跡などを紹介し、藤田像に迫ろうとした番組のようだった。
     1929年(昭和4年)に描かれたと言う「花鳥図」は、藤田の作品としては珍しい金箔を張った琳派風の作品で、藤田らしい線の美しさなども見られるが、花鳥画としては、江戸中期の天才絵師、伊藤若冲の「群鶏図」(1757年-1766年頃、宮内庁所蔵)などと比較すると少し差があるような気がした。
     この壁画の複製パネルを、秋田県教委、秋田市教委、秋田朝日放送で構成した制作展示委員会が制作したとのことだが、パリに出掛け、撮影してわざわざパネルにする意味が感じられない。写真パネルでは、市場の価値も制作費以下だろう。

     新県立美術館の話題作りのための浪費だろうが、秋田はそれほど裕福な県なのか?と感じた。

     藤田の画業の足跡を辿った部分は、大雑把で掘り下げた内容ではなく、目新しさもなく、物足りなさが否めない印象であった。

     一方で、フランス人の美術史家、シルヴィー・ビュイッソンさんの藤田への見方は、興味深かった。

    「ボーモン伯の依頼にせよ(壁画「花鳥図」)、バロン薩摩氏にせよ(壁画「欧人日本へ渡来の図」)、フジタは実際には常に自画像を描いたのです。… フジタの表現するものは、すべて、ある一つの形の精神的自画像になる訳です」

    「ラテンアメリカへの旅は、実はパリとの決別でした。…マドレーヌとともにモンパルナスから逃げたのです…」 ~ 藤田によると「自分の将来に、行きづまりを感じたので、何とか打開しようという気持ちからであった」(「随筆集 地を泳ぐ」1942年、書物展望社[復刻:1984年、講談社]) ~

    「(マドレーヌはフジタにとって)まさにセラピーです。この治療が彼に新しい形の色や絵を描かせます。彼は生涯それを手放しませんでした」

    「(フランス人は)フジタが言わば人質に取られているような思いでした。1940年に日本に帰国した時点からですね。…フランス人はすぐに理解しました。(戦争画は)プロバカンダの道具にされたと…」 など

     また、君代夫人から、メゾン・アトリエ・フジタに寄贈された、1929年から1939年までにフジタが撮影した約2500枚の未公開写真(ネガ)には、1936年当時の秋田のものなども残されており興味深かった。

     秋田県立美術館に展示された「秋田の行事」の場面を見て、何故この美術館から「秋田の行事」を移設しなければならないのかという思いを改めて感じ、寂しさを感じさせた。

     8月31日に移設された「秋田の行事」の移転作業の様子も流れていたが、藤田と平野が関わった県立美術館・平野政吉美術館への惜別の思いも少しは感じられる内容ではあった。

     藤田が、故国、日本への思いを込め、描き残した大作「秋田の行事」。その展示のために、藤田は、晩年(1963年~1966年頃)、平野政吉や平野の親族に、展示室のスペースや館内の自然光の採光形式、細かい展示の仕方などを助言している。

     この「秋田の行事」のための本来の展示室、県立美術館・平野政吉美術館の展示室で、再び「秋田の行事」が観れる日が来ることを願いたい。
     また、我々はそのための英知を絞るべきではないだろうか。






    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2013.09.25(23:00)|未分類||TOP↑
    2013.09.15
     9月13日に、NHK秋田で放送された「世界のフジタ“伝統”への回帰 ~片岡鶴太郎×『秋田の行事』~」という番組を見た。

     フランス・パリを舞台に活躍し、時代の寵児と言われた画家・藤田嗣治が、日本に戻った際、秋田の地で描いた大作、壁画「秋田の行事」。この壁画と「平野政吉美術館」で出会い、魅せられた片岡鶴太郎さんが、藤田嗣治の創作の内側に迫り、秘話を探訪するという内容の番組であった。

     番組では、、随筆集「地を泳ぐ」(1942年《昭和17年》、書物展望社[復刻:1984年《昭和59年》、講談社])に収録されている「裏日本」の頁から、秋田に関するものを取り上げ、

    「城跡やら土手やら兵営やらが、明治初年頃の気分を直感させてくれる」(随筆集「地を泳ぐ」1942年《昭和17年》、書物展望社[復刻:1984年《昭和59年》、講談社])という千秋公園、「発動船に乗って北側の島々の間、奇岩珍岩の間を遊覧した」(随筆集「地を泳ぐ」1942年《昭和17年》、書物展望社[復刻:1984年《昭和59年》、講談社])という男鹿半島の椿白浜などを探訪していた。

     特に、昭和12年、藤田が監督を務めた映画「現代日本 子供編」の貴重なフィルムが映像で流れ、「秋田の行事」に通じる、躍動的で生き生きとした当時の子供達が映し出され、興味深かった。

     しかし、この番組では、「秋田でのフジタ」を語る場合、欠くことのできない、画家・藤田嗣治の支援者であり、かつ深い親交があった秋田の資産家・平野政吉について、何一つ取り上げておらず、秋田のフジタの番組として、極めて不十分なものになったようだ。

     また、現県立美術館(平野政吉美術館)から、その象徴であり、魂である壁画、「秋田の行事」を移すという、歴史的な愚行、蛮行を一大プロジェクトの如き捉え、その作業を番組の初めと終わりに放送する姿勢に、行政迎合的なPR番組にも感じられた。

     NHKは、「秋田の行事」を移設した行為に、「寂しい」、「残念だ」、「何故?」という思いを抱いている、多くの県民、市民の声なき声が存在することを理解すべきである。

     番組のラストに、新展示室に展示されていた「秋田の行事」が見えたが、何の期待感や喜びもない。
     体育館を連想させる茶色のフロア、四角く低い天井で観た「秋田の行事」は、平野政吉美術館で観た時のように、人々を重厚で、落ち着いた、豊かな気持ちにさせるだろうか。甚だ疑問である。


    <関連記事>
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    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
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    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

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    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2013.09.15(19:47)|未分類||TOP↑
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