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2012.02.15
 秋田市千秋公園入口高台の県民会館がある場所に、1960年(昭和35年)まで、ルネサンス様式建築の格調高い建物、秋田県記念館(正式名称、大正天皇御即位記念会館)があった。「文化の殿堂」、「秋田のシンボル」と称されたこの建物は、当時を知る市民に、あの建物が残っていれば貴重な近代文化遺産になっていただろうにと今も惜しまれている。建物の設計には、明治・大正時代、日本建築界の重鎮と言われた辰野金吾が顧問として参加している。辰野金吾は東京駅(国指定重要文化財、1914年《大正3年》竣工)、日本銀行本店(国指定重要文化財、1896年《明治29年》竣工)やお隣り岩手県の旧岩手銀行本店本館(国指定重要文化財、1911年《明治44年》竣工)などを設計している。秋田県記念館は、特徴的なドーム屋根を中央にした、左右対称の木造2階建、ヨーロッパ風のルネサンス様式の建物であった。大ホールを有していたので、演奏会、美術展、講演会、スポーツなどのイベントにも利用され、多くの市民に愛されていた。戦後の高度経済成長期に、老朽化を理由に取り壊され、コンクリート造りの在り来たりの、今の県民会館に変わってしまったのである。秋田では古い建物が次々に取り壊され、姿を消してしまったようだ。お隣りの山形県とは対照的である。山形では、旧山形県庁舎(国指定重要文化財、1916年《大正5年》竣工)、 旧山形県会議事堂(国指定重要文化財、1916年《大正5年》竣工)、 山形県立博物館教育資料館(国指定重要文化財、1901年《明治34年》竣工)など多くの明治以降の近代建築が今も大切に保存されている。秋田では古き良き建物、文化を大切にするという意識が乏しく、人々に根付いていないのだろうか。行政が先頭に立ち、古き良きものを大切にする意識を持って欲しいものである。かつて秋田県記念館があった場所の向かい側に、1967年(昭和42年)に建設された平野政吉美術館(秋田県立美術館)がある。この特徴的なデザインの建物も、収蔵されている平野コレクションとともに長く保存されることにより、昭和の文化遺産として、価値を高めていくはずである。


  


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最後の作品「平和の聖母礼拝堂」、永遠の別れ、永遠の友情 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 5
藤田嗣治が助言した平野政吉美術館の採光
発見された藤田嗣治の日記と「秋田への思い」、「秋田の行事」、「美術館建設」



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藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)


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提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
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  • 2012.02.15(02:27)|評論||TOP↑
    2012.02.06
    P1010152 平野美術館(冬)800x600.jpg
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)

    P1010172新県立美術館(冬)800x600.jpg
    建設中の新秋田県立美術館

     20億円の建設費を掛けて建設中の新秋田県立美術館。この美術館に相応しい展示、利用方法について、県民的な論議がされたことが一度でもあっただろうか。県によって、展示は初めから財団法人平野政吉美術館が所蔵している藤田嗣治作品と決めつけられているようだが、何故、藤田嗣治作品でなければならないのか。明確な理由があるのだろうか。藤田嗣治作品に相応しいのは、「秋田の行事」を始めとする藤田嗣治作品のために、平野政吉が建てた平野政吉美術館(現秋田県立美術館)であることは言うまでもない。
     世界的な画家、藤田嗣治が1937年(昭和12年)に秋田で描いた大壁画「秋田の行事」。昭和12年当時の秋田の人々の暮らし、祭り、年中行事が描かれ、当時の秋田の産業や歴史も読み取ることができる迫力ある大壁画である。藤田嗣治の作品中最大の壁画であるが、一方で現在の人々に魅力的に映っているかどうかは慎重に考える必要がある。県外からの入館者はこの作品を観て、感動して涙を流す人もいると言うが、現代の秋田との繋がりを感じ取れないと言う秋田の若い人たちもいるのが現実だ。また、平野政吉美術館所蔵の藤田嗣治作品は1930年代のものが多いが、これらの作品が、これからの時代の新しい街に最適なものなのかどうか、新しい街のにぎわい創出に適しているかどうかを冷静に考える必要がある。
     「秋田の行事」を始めとした平野政吉が生涯を懸け収集した藤田嗣治作品は、藤田嗣治の助言を取り入れた平野政吉美術館(現秋田県立美術館)にあってこそ、重厚な存在感を増す。観る者に感動を与える。
     県は初めから「秋田の行事」を再開発地区の目玉したいとし、藤田嗣治作品の移転を決めつけ、「新県立美術館基本計画策定委員会」を設置し、基本計画案を県教育長に提出するという手順を踏み、移転の既定事実化を計ったが、この策定委員会の人選も中立性のあるものではなかったし、幅広い県民の意見を聞き、熟慮、検討した結果の計画ではなかった。
     現代において、美術館が街のにぎわいに寄与し、注目を集めている例は、金沢21世紀美術館、十和田市現代美術館、香川県直島地中美術館など現代アートの展示によるものがほとんどである。先日、秋田を訪れた著名美術評論家も「21世紀の美術館は、人が集う文化創造の場である」と語っている。秋田の新美術館もそう言った視点に立ち、展示物や利用方法を熟慮すべきである。
     また、先月、現県立美術館で秋田市出身の現代アートの美術家が中心となった展示会があり、注目を集めていたが、そういった事実も踏まえ、新県立美術館は現代アートに着目した展示、利用方法を考えるのが最善ではないか。また、もう一つの案として、秋田の伝統芸能に着目し、全国最多(16件)を誇る重要無形文化財や秋田民謡を披露する場として利用するのもよいのではないか。


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    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

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    (2013年8月31日)



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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2012.02.06(02:01)|評論||TOP↑
    2011.12.27
     現県立美術館(平野政吉美術館)の建物について、活用方法はどうするとか、「存廃」の結論を急げと言った新聞記事を目にする。
     現県立美術館(平野政吉美術館)については、昨年2月の県議会において、建物の保存を求める1万6千人余りの署名が集まるなど、多くの県民が現在の建物を残すよう求め、美術館の移転に反対したが、知事が計画の見直し、中断を拒否し、新県立美術館の取得負担金を含む予算が成立し、今日に至っている。
     現県立美術館移転の主な理由は、現美術館が老朽化し、今後10年以内に耐震補強工事が必要である。今、移転すれば、県有地との相殺により、県の現金支出がほとんどゼロで済み、県財政上有利である。財団法人・平野政吉美術館所蔵の藤田嗣治「秋田の行事」を再開発地区の目玉にしたいなどであった。
     そのうち、県の現金支出がほとんどゼロだという話は、昨年9億円以上の支出(美術館の取得費は約20億円)があることが判明しており、「財政上有利だ」と言う理由は否定された。また、「秋田の行事」を再開発の目玉にしたいと言う話は、あくまで立案者の私的な希望であり、情緒的な想いである。再開発地区の活性化に寄与するものとして、何が最も相応しいかという視点からのものではなく、公的な施設を建設するうえでの理由に該当するとは思われない。
     そして、今日、現県立美術館の建物の活用方法を県が募集したり、「存廃」の結論を急げと言う新聞記事を目にし、建物の老朽化という理由も偽りであったのではと思わざるを得ない。結局、移転の理由は、全て正当性がないものであったと言われても仕方ないだろう。
     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の移転計画は、一体何のための計画であったのか、誰のための計画であったのか、大いに疑問が残る。検証する必要があるのではないか。


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    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

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    (2013年8月31日)



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    (2013年8月1日)



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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2011.12.27(01:30)|評論||TOP↑
    2011.12.22
     今日の地元紙の社説(秋田魁新報、2011年12月22日)で、現県立美術館の建物の存廃の結論を急げという主旨の記事が載っていた。存続する場合のコストとその効果を見極め、結論を急げと主張しているらしい。現美術館は開館以来、独特の景観が周囲と調和し、県民に親しまれ、移転計画が持ち上がった際も、各方面から反対の声が強く上がったが、「だからといって、保存そのものを目的に、建物を存続させる財政的余裕が県にあるとも思われない」とも述べている。どうやら、コスト論を根拠に、存廃の結論を急ぐよう求めているようだ。
     私たちは、いかにコスト論が当てにならず、行政側の都合の良いように利用されたかを経験した。2007年11月に、現県立美術館(平野政吉美術館)の移転を県が所有者である財団法人・平野政吉美術館に要請した際も、コスト論があった。現美術館が老朽化し、今後10年以内に耐震補強工事が必要であり、今回、移転すれば、県有地との相殺により、県の現金支出がほとんどゼロで済み、県の財政上有利だと迫り、このことが財団が移転を受け入れた理由の一つになった。しかし、その後、昨年の県議会において、県の支出が9億円以上であることが判った事実がある。しかも、県有地で相殺する分も合わせると、実際は、新美術館建設のために約20億円の県の支出があるのだ。このことは、行政―土木行政―の都合の良いようにコスト論が利用されたことを証明している。現県立美術館について、「存廃」をコスト論で結論づけようとするなら、容易に取り壊したほうがよいとの答えになってしまうであろう。
     私たちは、「秋田の良き文化」を後世に伝えることの意義、大切さを認識し、自覚することからスタートし、考えていくべきである。言うまでもなく、現県立美術館(平野政吉美術館)は、秋田の先人、平野政吉が、世界的画家・藤田嗣治(レオナール・フジタ)との長年の交友によって収集した作品を中心に収蔵した美術館であり、「秋田」の地に、収集した作品を残したいと願った平野政吉の想いが実現された美術館である。その建物は、特徴的な屋根に取り付けられた採光のための丸窓、高床式の造りなどに藤田のアドバイスが活かされおり、大壁画「秋田の行事」の展示方法も、藤田の助言通り、床から1.8メートルの位置に据え付けられ、両端が少しずつ迫り出した展示になっているなど、藤田嗣治と関わりの深い、世界的に見ても極めて希少な美術館である。必要に応じ、補強を加え、後世に伝えることが、秋田県全体にとって、日本にとっても重要な意義のあることである。
     経済が低成長の時代になった今日、私たちは、街づくりにおいても、新しい建物の建設によって街を創るという発想ではなく、先人達が残してくれた、自然、文化、産業などの遺産を新しい知恵や工夫で光り輝かせ、今に活かし、後世に伝えていくという発想が必要となっている。また、そうした取り組みは、人々が郷土を愛することにも繋がるはずである。
     平野政吉美術館も同様である。「秋田の郷土愛の拠点」として、これからも、秋田の偉大な先人、平野政吉が生涯を懸け、収集した作品を収蔵し、展示する美術館として、後世に末永く伝えていくべきであろう。


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     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


    お薦め記事 … 郷土・秋田の文化遺産を継承する会
    ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
    現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • 2011.12.22(23:55)|論説||TOP↑
    2011.08.22
     新聞報道によると、新県立美術館のオープンが、当初の予定より1年半遅れて2013年秋になるとのことだ。館内の環境を整えるための期間が必要のためらしいが、最近まで言われていた話との違いに驚くばかりだ。美術館の移転話が出た当初、県の出費がほとんどゼロと言っていたのが、いつのまにか9億2千万円になったことにも似ている話だ。見通しが甘いと言うより、不誠実な印象を受ける。誠実で真摯な行政であってほしい。この機会に秋田市民、秋田県民は、新しい建物の展示について、何が最も相応しいかを見直し、行政に変更を求めるべきである。地元紙などによると、新美術館の展示は(財)平野政吉美術館所蔵の藤田嗣治作品と決め付けているようだが、藤田嗣治作品の展示に最も相応しいのは、現秋田県立美術館(平野政吉美術館)である。大壁画「秋田の行事」の展示の仕方、館内の採光形式に藤田嗣治のアドバイスが取り入れられている(注)。このような建物は、国内に他にない。後世に伝えるべきである。また、平野政吉と藤田嗣治が若い頃に構想した正倉院を模した高床式になっており、日本宮殿流れ式と言われる優美な曲線の屋根の形、丸い採光窓など、顕著な特徴を有している。必要に応じてこの建物を改修し、秋田の文化遺産として末永く後世に伝えていくのが最善の方法である。新しい建物は、例えば、伝統芸能を披露する場を兼ね備えてもいいし、小田野直武「不忍池図」(国指定重要文化財)の展示、若い人や子供が楽しめる現代アートの展示なども考えられるのではないか。     


    (注) 当ブログ著者が、2011年(平成23年)12月6日、平野政吉美術館にて確認したところ、美術館の屋根の丸窓から展示室に降り注ぐ自然光が、現在、設置された仕切りで遮られています。藤田嗣治が助言した自然光の採光形式にすべきと考えます。



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    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2011.08.22(02:05)|評論||TOP↑
    2011.07.31
     フランス・シャンパーニュ地方の都市、ランスにある「平和の聖母礼拝堂」。レオナール・フジタ(藤田嗣治)が制作した最後の作品である。フジタは建物の設計、壁画、ステンドグラス、庭石の配置、彫刻などを自らの手で制作した。この「平和の聖母礼拝堂」と秋田の平野政吉美術館に展示されている大壁画「秋田の行事」は、フジタによって結び付けられている。1966年(昭和41年)5月、平野政吉が美術館建設の報告を兼ねフジタに会いに行った際、フジタは「美術館の屋根は、ランス礼拝堂のような採光の形式にしてくれ」(1983年《昭和58年》1月12日、朝日新聞「聞き書き わがレオナルド藤田」より)と平野政吉に注文をつけた。平野はそれを忠実に守ったと言い、平野美術館の特徴ある屋根の形、丸窓はそのためだと話している。フジタが壁画制作に入る直前のことであった。この訪問の時、フジタは1937年(昭和12年)に自ら制作した「秋田の行事」の展示の仕方に細かいアドバイスをしている。壁画を床から6尺(約1.8メートル)上げた位置に据えること、両端を少しずつ迫り出して据えることであった。フジタは当初、美術館のこけら落しへの招待に乗り気であったということだが、高齢を案じた夫人の反対で実現できなかったと言う。もし、この時、フジタが秋田に来ていたら、「藤田美術館」になっていただろうか。大壁画「秋田の行事」には、フジタの助言のように、柔らかな自然光が降り注いでいる(注)。


    (注) 当ブログ著者が、2011年(平成23年)12月6日、平野政吉美術館にて確認したところ、美術館の屋根の丸窓から展示室に降り注ぐ自然光が、現在、設置された仕切りで遮られています。藤田嗣治が助言した自然光の採光形式にすべきと考えます。


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    (2015年9月)



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    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



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     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2011.07.31(19:47)|評論||TOP↑
    2011.07.28
     平野政吉美術館(秋田県立美術館)の移転計画が、秋田県民に知らされたのは、2007年(平成19年)11月のことであった。県、市、再開発組合、商工会議所によって決められたとのことだった。当事者である財団法人・平野政吉美術館には、事後に説明され、当初、財団は原則反対と言っていたが、これ以上待たせると行政に迷惑をかけるからと言う、極めて不明朗な形で移転を受け入れたようだ。その間、財団や地元新聞社には、移転に反対する多くの「県民の声」が寄せられたとのことだ。地元紙の「読者の声」欄でも8割以上が移転反対の声であった。しかし、県は「県民の声」に真摯に向き合うことなく、新県立美術館基本計画策定委員会なるものを設置し、安藤忠雄氏設計の美術館作りに邁進していった。昨年2月の県議会において、新県立美術館取得負担金など再開発事業関連費を含む予算が審議された際も、美術館の移転反対署名運動が起きるなどし、地元紙に掲載された意見を見ても移転反対の意見が圧倒的に多かった。しかし、県議会は県の事業計画に瑕疵はないなどとし、この予算案に賛成し、現在に至っている。予算案に賛成した議員の中にも、美術館移転の問題に関心のある県民の声を聞くべきだと声もあった。しかし、その後設置された「にぎわい創出会議」なるものも、県、市、商工会議所の会議となっている。また、昨年の県議会以後1年3カ月の間、県のしてきたことは、「秋田の行事」を東京に運び出し、展示することの検討、「秋田の行事」の縮小版レプリカ作成、横手と能代での藤田展の開催、安藤忠雄氏講演会の開催など、新美術館のPR事業だけである。2007年以来、単発的なもの以外は一度も「県民の声」を聞いてこなかったのである。8割の県民が反対する事業はすべきでない。突き切ればなんとかなるというものではない。権力を持った者が何でも許される時代ではない。


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    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

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  • 2011.07.28(15:00)|評論||TOP↑
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