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2014.05.29
 新築された秋田県立美術館の入館者が、本オープンの昨年9月末以来、10月、11月こそ、地元メディアの膨大な報道、テレビの特集番組の放送(3局),JR東日本の「秋田の行事」PRのためのテレビCMなどの影響により、来館者を集めることができたが、その後は、順調?に数を減らし続け、先月は、5900人ほどの入館者しか集められなかったという。一日平均200人足らずといったところか。

 なかいち商業施設の総合食品売り場運営会社が契約解除したことについて、大きく報道された一方で、隣りに建てられた新美術館も、予想以上の早さで、来館者を減らし続けていたのである。

 秋田市中央街区に、にぎわいを創出する目的の再開発事業によって、公金112億円を投入し、4つの新しい建物を建てて以来、僅か1年半でこの有り様である。
  
 「県立美術館の入館者は本オープン後、順調に推移。昨年10、11月はそれぞれ2万人を超え、11月23日に5万人に達した。しかし、その後は12月と今年1月が1万4千人前後、2月7649人、3月5903人と減少」(2014年4月21日、秋田魁新報)

 県教育庁生涯学習課では「10~12月の秋田デスティネーションキャンペーン(DC)以降、冬季の落ち込みが予想以上に大きかった」(2014年4月21日、秋田魁新報)としている。


 秋田デスティネーションキャンペーン(DC)当時の膨大な宣伝も、今後は期待できないだろうし、当初、2~3年で飽きられ入館者が激減すると予測していたが、それを上回る早さで、入館者が減少しそうである。

 画家・藤田嗣治が壁画「秋田の行事」をどう見せたかったのか。その思いが伝わらない美術館を建てた責任は、誰がどう取るのだろうか。
 藤田嗣治の細かい助言を受け建てられた、「秋田の行事」に最適であった、魅力的な美術館を閉館させて、「秋田の行事」を移した責任は、誰がどう取るのだろうか。



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藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)


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現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


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ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • 2014.05.29(09:00)|未分類||TOP↑
    2014.03.29
     2カ月程前のある地方紙に、現在の秋田県立美術館の館長をしている人の話が載っていた。
     その記事によると、この人は、来館者の中にあって、冴えない顔で語っていたと言う。その理由が「この先を考えると浮き足立ってもいられない。実は収蔵作品を増やすめどが立っていないんです」(2014年1月30日、北日本新聞)ということで、公立秋田美術大学の学長のH氏も「必要な作品を集めていくことが必要だ」(2014年1月30日、北日本新聞)とし、同意見であると伝えている。秋田の地元紙などでは見ることのない話だが、ご両人は、新県立美術館の今後に不満なようである。
     平野財団の不明朗な移転受け入れの後、県によって選ばれた、元高校教師、教育庁出身である現館長と県が設置した新県立美術館基本計画策定委員会の会長として、誰かの思惑通りの移転を促進させた学長が、「収蔵作品を増やすめどが立っていない」として新県立美術館の今後に不満であるとのことだ。

     随分と虫のいい話ではないだろうか。彼らは20億円を費やした、新築の美術館の「建物」のほかに、藤田と平野の思いがまるで感じられないこの美術館に、さらに新たな藤田作品を収蔵することを求めているということである。

     平野政吉が収集した藤田嗣治作品は、1920年代後半の藤田とマドレーヌの出会いとその後のラテンアメリカの旅、壁画「秋田の行事」に代表される日本帰国後の作品等に集約され、特徴付けされる。そして、1930年代を中心に、これ程の藤田作品を所蔵するコレクションは、世界でも稀であることは周知の事実である。
     この特徴を掘り下げ、理解を深め、新たな魅力を見出だし、世界の人々に発信をすることが、平野政吉の功績、遺志を継承する美術館の使命ではないのか。収蔵作品を増やすことに頼り、美術館の将来をそれに求めることは、安易な甘い考えだろう。

     また、新県立美術館の建設前、世界的建築家・安藤忠雄氏が、 「秋田の行事」に、 新しい息吹を入れるとか、藤田画伯と安藤忠雄氏のコラボだとか、関係者がしきりに宣伝文句を謳っていたが、そんなものは何もなかったどころか、藤田画伯と平野政吉について、さして深い理解をしていなかった安藤忠雄氏のコンセプトでは、意味のない三角形に拘った程度であり、とりわけ「秋田の行事」の展示環境として、平野政吉美術館の展示室より、相当に劣化、退化したものになってしまったのが明白な事実である。

     平野政吉の功績、遺志を継承するコンセプトから見ても、藤田画伯と平野政吉の交友の歴史を永く後の世に伝える意味においても、「秋田の行事」が描かれた時代の息遣いが感じられた平野政吉美術館こそ、「秋田の行事」と藤田嗣治作品に最も相応しい美術館であることは、将来に亘っても変わらないことだろう。





    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
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    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

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    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
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     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2014.03.29(05:00)|未分類||TOP↑
    2013.10.06
     新県立美術館の本オープンを伝える、9月29日の地元紙の記事を読むと、新県立美術館の展示室について、「奥行きは旧美術館より約9メートル短い13メートル」(2013年9月29日、秋田魁新報)、「『ちょっと狭くて、壁画も窮屈に感じた』と、初めての空間に戸惑う秋田市の会社員女性(52)も」(2013年9月29日、秋田魁新報)という話が載っていた。
     行政に迎合的な姿勢がある魁紙でさえ、記事にして伝えている位だから、実際の鑑賞者は、かなり窮屈で戸惑いがあったと思われる。また、美術館側の話として「3階から見たときの迫力は旧美術館よりはるかに増した。新しい空間で新しい鑑賞の仕方を楽しんでほしい」(2013年9月29日、秋田魁新報)とも伝えていた。どうも、この新展示室では、正面から壁画と向き合える、最も一般的な2階部分から「秋田の行事」を観た場合、平野政吉美術館の大展示室と比べ、相当窮屈に見えるらしく、「秋田の行事」の迫力は、吹き抜けの3階部分に行って見ないと分らないようである。

     9メートルも奥行きが短くなったのだから、その分だけ「迫ってくる」(2013年9月29日、秋田魁新報)のは当然だろう。一方で、その分、この展示室では、この壁画の持つ雄大さ、スケール感を感じることは出来ないだだろうし、藤田の助言を取り入れた大展示室で観た時のような、重厚感や壁画と一体化したような感覚も持てないだろう。まして、絵から、描かれた時代の音が聞こえる、息遣いが聞こえるという感覚も当然持てないだろう。また、藤田が、壁画のために指示した上方からの自然光による採光形式も取り入れていない。完全に、平野政吉美術館の展示室より、劣化した展示室と言える。

     そして、今、新美術館を訪れている人々は、言ってみれば、有名女優のテレビコマーシャルに誘われてやって来た、物見遊山の見物人がほとんどであり、CM終了とともに、姿を消していくことが明白である。
     今朝の新聞に、「6日間で、7211人が来館した」(2013年10月5日、秋田魁新報)という県の話が載っていたが、何も意味のない数字と言える。

     この展示室では、「秋田の行事」に出会った「感動」は伝わらないだろう。平野政吉美術館では、「秋田の行事」を観て、感動して涙を流す人さえいた。安藤忠雄氏設計の展示室では独自のメッセージが何も無ければ、平野政吉が藤田嗣治から受けた指示を、真摯に継承している姿勢も見受けられない。(床から約1.8メートル上げた展示方法のみ)

     引っ越すこと自体が目的であって、平野政吉美術館の展示室を超える意欲もなければ、斬新さも、魅力もない展示室である。

     グレーのコンクリート剥き出しの建物で、周囲のざわざわした喧噪に囲まれながら、重厚さのない展示室で、藤田嗣治渾身の大壁画を観ようとは思わない。

     先日、ツイッターで、初めて「秋田の行事」を観た人が、寧ろ他の作品のほうが良かったと言っていた。こういう来館者が増えれば、新美術館の「秋田の行事」展示室は、失敗であったと言うことになるだろう。






    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
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    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
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    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2013.10.06(01:00)|未分類||TOP↑
    2013.08.27
    建築家・安藤忠雄氏の講演会が、昨年、一昨年に続き、三年連続で秋田市で開催されるとのことである。今度は、新秋田県立美術館オープン記念だそうだが、昨年は竣工記念、一昨年も新県立美術館の設計者ということで開催されている。テーマは一昨年が「地方都市の可能性を探る」、昨年が「生き残りをかけて街づくりを考える」、今年が「地方都市は生き残りをかけて」と似通ったものばかりのようだ。また、全国各地で開催されている講演会を見ても、「地方都市の生き残りをかけて」、「◯◯に可能性はあるか」、「生き残りを賭けて」、「可能性について」、「生き残りをかけて考える」… など類似した題目が多い。日本全国が危機的状況にあり、それ故、氏の建築、発想が必要だということか。それにしても秋田県では三年連続と異常に多い。大先生の美術館+講演会ビジネスに協力している感すらある。各地の講演会の中には、1000円の参加費用を取り、高額の講演料に充てている所もあるが、秋田県では全て無料だ。公平性を考え、参加者負担にすべきではないのか。プロボクサーなどを経験した後、独学で建築家となり、斬新さを感じさせるデザインで、世界的に評価された安藤氏だが、国内の専門家達では必ずしも高く評価されていないとも聞く。新県立美術館の三角螺旋階段は不便なだけだし、水庭越しの千秋公園の風景をわざわざ見たいとも思わない。造形美の表現なら自らの金を使ってすべきである。




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  • 2013.08.27(00:00)|コラム||TOP↑
    2013.08.25
    新県立美術館の美術顧問に美術史学者、美術評論家で大原美術館館長である高階秀爾(たかしなしゅうじ)氏(81)が委嘱され、美術館の設計者・安藤忠雄氏とともに記念講演も行われるとのことだ。安藤忠雄氏の講演会は3年連続であり、なぜこれ程安藤氏の美術館建設、講演会ビジネスに協力する必要があるのか疑問だ。高階氏は東京生まれだが、父親が美郷町出身で、戦時中に秋田に疎開した経験があることなどから起用されたと思われる。一方で、国立西洋美術館長や文化審議会会長などを歴任しており、官僚的立場が強い方でもあるようだ。また、昨年、美術評論家として初の文化勲章を受章され、ルネサンス以後の西洋美術史がご専門とのこと。また、ある書籍によると、高階氏は若い頃、フランス留学時に、画家・藤田嗣治に会った経験があるとのことだが、氏の著作を読むと、必ずしも藤田嗣治を高く評価している訳ではないようだ。著者の手元にある「近代絵画史」(2008年、中央公論新社)では、第二十章にエコール・ド・パリの記述があるが、藤田嗣治についての記述は、エコール・ド・パリの一人として「日本の藤田嗣治」とあるだけである。因みにユトリロ、モディリアーニ、スーティン、パスキン、キスリングについては、1ページ~5ページに亘って記述しておられる。「西洋美術史」(2010年、美術出版社)でも「エコール・ド・パリと素朴派」の項に「日本人の藤田嗣治」とあるだけであった。




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    藤田嗣治が助言した平野政吉美術館の採光
    発見された藤田嗣治の日記と「秋田への思い」、「秋田の行事」、「美術館建設」







    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


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    ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
    現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • 2013.08.25(07:00)|コラム||TOP↑
    2013.06.02
     秋田県では、1967年(昭和42年)以来、県内外の人々に親しまれてきた現秋田県立美術館・平野政吉美術館を6月末で閉館し、収蔵作品をすべて昨年完成の新県立美術館に移す予定と言われているが、国内には、古い美術館と新築の美術館の共存を図り、見事に成功している地域がある。

     石川県金沢市では、かつて金沢大学附属中学校・小学校・幼稚園があった場所に、2004年(平成16年)10月9日に、金沢21世紀美術館が開館した。
     この美術館の建設に際して、すぐ近くに石川県立美術館があるのに金沢市の美術館を作って何になる、税金の無駄遣いだとの意見が県民の間で多かったとのことだが、完成した美術館は、どこにもない斬新な美術館として、県民だけでなく、県外からも多くの人々を引きつけている。

     金沢市の中心部に位置するこの美術館の周囲には、石川県立美術館のほか、金沢能楽美術館、石川近代文学館、石川県立歴史博物館など様々なテーマの文化施設があり、各々が相乗効果を生み出し、金沢市の「文化ゾーン」を形成していると言う。

     そのうち、石川県立美術館は、石川県の芸術的個性を生かした地方色豊かな美術館を理念として運営され、石川県ゆかりの古美術品から現代作品までを収蔵している。加賀蒔絵、古九谷から再興九谷までの九谷焼、人間国宝を中心とする伝統工芸作品などに特徴があり、野々村仁清作の国宝「色絵雉香炉」、重要文化財「色絵雌雉香炉」なども展示している。

     これに対し、金沢21世紀美術館は、モントリオール美術館、インディアナポリス美術館の東洋部長などの経験がある蓑豊館長の下に運営され、全面ガラス張りで東西南北4か所の出入口から、自由に敷地内へ立ち入りが出来る、斬新な構造の美術館として、県民や県外の人にも人気を集めている、現代美術の美術館である。
     また、「交流ゾーン」と呼ばれるイベント施設も作られ、娯楽映画の上映会、音楽会など多彩なジャンルの催し物を次々と企画し、多くの入場者を呼び込んでいると言う。

     このような全く基本理念の異なる二つのタイプの美術館が、金沢市では、共存し、相乗効果も生み、県民に受け入れられ、街全体に賑わいをもたらしている。

     秋田市では、昨年、中通一丁目再開発地区に、新秋田県立美術館が作られたが、この美術館は、現県立美術館・平野政吉美術館にある藤田嗣治「秋田の行事」など平野政吉コレクションを移転させることを中心に考えられただけの新築であって、理念が希薄であり、今後が危ぶまれる。
     
    二人の想いが籠められた美術館で、「秋田の行事」、藤田嗣治作品を観ることの重要性

     「秋田の行事」の制作依頼者であり、美術館の全作品の寄贈者である平野政吉が、藤田嗣治との交友の中で、藤田から直接受けた数々の助言を活かして建設された現秋田県立美術館・平野政吉美術館の文化的な価値を深く認識すれば、この美術館は今後も残すべきである。
     藤田嗣治と平野政吉の交友の歴史と、二人の想いが籠められている美術館で、「秋田の行事」を始めとする藤田嗣治作品を観ることは、藤田嗣治作品を観賞する者にとって極めて重要な意味を持つことである。

     建設された安藤忠雄氏設計の新県立美術館は、周囲にない現代美術を中心とした展示の美術館にするのが、最も良いことではないか。
     金沢21世紀美術館だけでなく、青森県十和田市現代美術館、安藤氏設計の代表的な美術館である、香川県直島の地中美術館も、現代美術を活かした展示によって成功していることは広く知られている。

    秋田市に新たな「文化ゾーン」を形成するチャンス

     秋田市中通二丁目には、岡田謙三作品などを展示した秋田市立千秋美術館・岡田謙三記念館もあり、「秋田の行事」などの藤田嗣治作品を収蔵、展示する現県立美術館・平野政吉美術館、現代美術を中心として、様々な企画展、イベントを開催する新美術館とともに、千秋公園、中通一・二丁目地区を、「文化ゾーン」として全国に売り込むチャンスだと捉えるべきである。さらに、千秋公園二の丸には、秋田市立佐竹史料館もある。

     先人から受け継いだ文化と新しく創造する文化が融合した地区、「文化ゾーン」を秋田市に作る絶好のチャンスであり、その意味でも、平野政吉コレクションを所蔵、展示する現県立美術館・平野政吉美術館は、欠くことができない存在であり、新美術館を、従来の美術館の枠に囚われないユニークなものにすることも重要である。

    後援会や民間企業や個人からの寄付金導入などで、経営改善を

     一方で、現県立美術館・平野政吉美術館の運営は、赤字の状態が続き、ある記事によると、年間4000万円の赤字であった言う。

    「財団では管理費に年間5000万円かかる。しかし収入は入場料と貸しホールの利用料を合わせて1000万円ほどで4000万円の赤字になる。残りは県から補助をいただいている」(平成22年1月8日、週刊アキタ)

     全国の地方美術館が厳しい経営状態にある中、岡山県倉敷市の大原美術館は、地域や社会に対してメッセージを発しながら活動をしていく、展示だけではない活動する美術館の運営理念の下、安定した経営状態だという。
     所蔵作品の保存・修復などを支援する後援会があるほか、さらに海外の美術館と同様な寄付金制度も取り入れ、経営改善に取り組んでいるとのことだ。

     平野政吉美術館の創設者・平野政吉は、戦前、昭和13年に最初に美術館建設に取り掛かった時、昭和5年に開館した大原美術館を強く意識していたと言う。
     今日の現県立美術館・平野政吉美術館の経営や運営理念においても、大原美術館の取り組みで学ぶべき所が多いのではないか。

     現県立美術館・平野政吉美術館、新美術館の運営も、県民や県外からの来館者に受け入れられる新たな理念と、従来のような県の補助に頼る姿勢から脱却が必要だろうし、厳しい経営感覚が求められるだろう。
     後援会や民間企業や個人からの寄付金の受け入れも、今後は当然考える必要があるのではないか。

     また、新聞記事によると、県立美術館の学芸員を6人に増員するとのことであるが、数人程度に抑えるべきではないか。その結果、年間2~3000万円位は、捻出できるはずである。

     また、一過性の効果を求めるだけで、長期的には期待できない広報宣伝事業に傾注するより、他にはない独自の美術館運営理念と、タイプの異なる美術館から形成された「文化ゾーン」としての街づくりの構築が、新しい街と秋田市に魅力を生み、人を呼び込むものと確信する。

    オリジナルの、本来の「秋田の行事」の姿を全国から来た人々に観せるべきである

     また、新県立美術館において、9月に「秋田の行事」の企画展、12月に藤田嗣治渡仏100周年記念展(全国巡回展)が、予定されていると目にしたが、これらの企画展において、現県立美術館・平野政吉美術館の大展示室の「秋田の行事」を全国からの来観者の方々にお見せすべきである。

     藤田嗣治が望み、指示した大空間、自然光が柔らかく照らす館内で、藤田がアドバイスした展示方法を取っている、オリジナルの、本来の「秋田の行事」の姿を見せるべきである。

     最後に、現秋田県立美術館・平野政吉美術館の館内の照明が、あくまで主観だが、数十年前頃と比べ、暗くなっていることが気になる。適切な照明に改善すべきであることを要望しておきたい。




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    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

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    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2013.06.02(19:35)|提言、意見||TOP↑
    2012.07.09
     少し前の地元紙の「にぎわい再来」(2012年7月5日、秋田魁新報)という連載記事の中で、1967年(昭和42年)に、秋田市大町の平野家の土蔵から、藤田嗣治が制作した壁画「秋田の行事」が県立美術館に運ばれる様子を撮影した写真が大きく掲載されていた。わざわざ45年前の古い写真を一面に取り上げ、新県立美術館に「秋田の行事」を移設することを強調したいかのようであった。25万部という秋田県内一の発行部数を誇る秋田魁に大きく取り上げられれば絶大な宣伝効果があるのかも知れない。
     「秋田の行事」は縦3.65メートル、横20.5メートルの大きさがあり、5分割して運搬されたものの、現在の県立美術館に搬入する際、完成したばかりの美術館の側面を壊して中に入れたことが知られている。現県立美術館から「秋田の行事」を移設することはそのまま現県立美術館を壊すことに繋がることになる。そのようなことを安易にして良いのだろうか。
     現県立美術館(平野政吉美術館)は、藤田と平野のアイディアにより、館内の採光を考えた末、ギリシャ式柱廊と宮殿造りを折衷したデザインになっている。「秋田の行事」のための大展示室は、広さが500平方メートル、高さが18メートルある。このゆったりとした大空間で観ればこそ、壁画の大迫力を感じることができるのだ。安藤忠雄氏が設計したという新美術館の展示室は、広さ440平方メートルで、高さが推定で7メートル程度しかないようだ。現県立美術館と比較するとかなり狭い環境になり、現県立美術館と同様の迫力を感じることは不可能だろう。

     また、安藤氏の新美術館は内装が三角形をモチーフにしていると言う。現美術館の屋根が「三角屋根」だから、モチーフを継承したつもりなのかも知れないが、大きな勘違いである。
     現県立美術館は、正倉院を模した高床式、双曲線を描いた日本宮殿流れ式の屋根が特徴である。日本古来の建物の伝統的な建築美を踏襲している意匠がテーマになっており、「三角屋根」が強調されているわけではない。「三角屋根」という表現は、地元紙のコラムを書いている脚本家などが言っていただけである。現県立美術館と「三角形」は全く関連性がない。
     また、新県立美術館には「平野政吉コレクション」という表示も掲げられていると言う。公立の美術館に個人コレクションの名を併記し掲げることは、公共性から見て相応しいものなのだろうか。
     新県立美術館はあくまで県民のための県立美術館として運営され、平野政吉美術館は平野コレクションのための独立した美術館として運営される形が、最も良いのではないか。

     平野政吉が生涯を懸け、収集した藤田嗣治作品と、二人の友情と信頼関係を礎に藤田嗣治が秋田と平野政吉の為に描いた大壁画「秋田の行事」に相応しい展示、公開の場所は、平野政吉が藤田の助言を忠実に守り、情熱の全てを注ぎ込み、建てた現県立美術館(平野政吉美術館)であることは疑いようのないことだ。



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    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

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    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2012.07.09(22:57)|評論||TOP↑
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