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2014.03.29
 2カ月程前のある地方紙に、現在の秋田県立美術館の館長をしている人の話が載っていた。
 その記事によると、この人は、来館者の中にあって、冴えない顔で語っていたと言う。その理由が「この先を考えると浮き足立ってもいられない。実は収蔵作品を増やすめどが立っていないんです」(2014年1月30日、北日本新聞)ということで、公立秋田美術大学の学長のH氏も「必要な作品を集めていくことが必要だ」(2014年1月30日、北日本新聞)とし、同意見であると伝えている。秋田の地元紙などでは見ることのない話だが、ご両人は、新県立美術館の今後に不満なようである。
 平野財団の不明朗な移転受け入れの後、県によって選ばれた、元高校教師、教育庁出身である現館長と県が設置した新県立美術館基本計画策定委員会の会長として、誰かの思惑通りの移転を促進させた学長が、「収蔵作品を増やすめどが立っていない」として新県立美術館の今後に不満であるとのことだ。

 随分と虫のいい話ではないだろうか。彼らは20億円を費やした、新築の美術館の「建物」のほかに、藤田と平野の思いがまるで感じられないこの美術館に、さらに新たな藤田作品を収蔵することを求めているということである。

 平野政吉が収集した藤田嗣治作品は、1920年代後半の藤田とマドレーヌの出会いとその後のラテンアメリカの旅、壁画「秋田の行事」に代表される日本帰国後の作品等に集約され、特徴付けされる。そして、1930年代を中心に、これ程の藤田作品を所蔵するコレクションは、世界でも稀であることは周知の事実である。
 この特徴を掘り下げ、理解を深め、新たな魅力を見出だし、世界の人々に発信をすることが、平野政吉の功績、遺志を継承する美術館の使命ではないのか。収蔵作品を増やすことに頼り、美術館の将来をそれに求めることは、安易な甘い考えだろう。

 また、新県立美術館の建設前、世界的建築家・安藤忠雄氏が、 「秋田の行事」に、 新しい息吹を入れるとか、藤田画伯と安藤忠雄氏のコラボだとか、関係者がしきりに宣伝文句を謳っていたが、そんなものは何もなかったどころか、藤田画伯と平野政吉について、さして深い理解をしていなかった安藤忠雄氏のコンセプトでは、意味のない三角形に拘った程度であり、とりわけ「秋田の行事」の展示環境として、平野政吉美術館の展示室より、相当に劣化、退化したものになってしまったのが明白な事実である。

 平野政吉の功績、遺志を継承するコンセプトから見ても、藤田画伯と平野政吉の交友の歴史を永く後の世に伝える意味においても、「秋田の行事」が描かれた時代の息遣いが感じられた平野政吉美術館こそ、「秋田の行事」と藤田嗣治作品に最も相応しい美術館であることは、将来に亘っても変わらないことだろう。





藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)


関連記事
平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


お薦め記事 … 郷土・秋田の文化遺産を継承する会
ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • 2014.03.29(05:00)|未分類||TOP↑
    2014.02.02
     秋田市中通の新県立美術館の1階天井裏にある、屋上の水庭に水を供給するための長さ約50メートルに及ぶ水管に、結露が初めて発見され、水管下の防水シートを増やす対策が取られたことが、1月15日に分かったと言う。

     「秋田市の県立美術館で今月初め、1階県民ギャラリーの天井裏の水管に結露が見つかり、水管の下に敷く防水シートを増やす対策を取ったことが15日分かった。建物を管理する県教育委員会は『ギャラリーや作品に影響はないが、結露の防止策を考えたい』としている」(2014年1月16日、秋田魁新報)

     建物の施工業者が1月3日に点検した際、水管全体が結露し、防水シートに水滴が落ちているのを見つけたとのことだ。天井板への浸透は今のところなかったとされるが、今後、経年とともに、水滴の量が増えることや、天井板への浸透など、建物への被害が発生することが懸念される。

     新県立美術館は、安藤忠雄氏が設計した「水庭」という意匠のために、水を供給するため50メートルにも及ぶ水管を天井裏に廻らしており、絶えず「水」の危険に晒されている建物だが、早くも危険な兆候が見えてきたと言えるようだ。

     今後、水管の経年による劣化も当然あるだろうし、大規模な災害時などに、被害拡大の要因の一つになることも予測される。美術館にこんなリスクを負った建物が相応しいのだろうか。著名な安藤氏の設計だということで関係者は無条件で容認したのだろうか。近頃、安藤忠雄氏が審査委員長となり選ばれた新国立競技場のデザイン案には、多くの反対意見も出ている。
     
     当ブログ著者は、以前、大量の水を使用した美術館への危惧を下記の通り、取り上げた。
      大量の水を使用した美術館は危険である
      秋田の美術館に水が必要? 藤田嗣治作品に水が必要?
      冬場は雪に覆われた景色を眺めることになる、新県立美術館
      安藤忠雄氏設計の美術館は必要?


     また、画家・藤田嗣治は、かつて美術館建設を表明した平野政吉に、館内に「自然光」を採り入れ、「壁画」を照らす形式のデザインを助言した。「光」への拘りはあったが、「水」への拘りはなかった。

      ◇平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
      懸念される新県立美術館での藤田嗣治「秋田の行事」の展示
      平野政吉美術館(秋田県立美術館)の丸窓について
      レオナール・フジタ「平和の聖母礼拝堂」と「秋田の行事」
      自然光をテーマとしている「平野政吉美術館」


     藤田画伯も水の危険に晒された美術館への移転は決して望まなかったのではないか。






    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
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    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2014.02.02(07:00)|未分類||TOP↑
    2013.10.06
     新県立美術館の本オープンを伝える、9月29日の地元紙の記事を読むと、新県立美術館の展示室について、「奥行きは旧美術館より約9メートル短い13メートル」(2013年9月29日、秋田魁新報)、「『ちょっと狭くて、壁画も窮屈に感じた』と、初めての空間に戸惑う秋田市の会社員女性(52)も」(2013年9月29日、秋田魁新報)という話が載っていた。
     行政に迎合的な姿勢がある魁紙でさえ、記事にして伝えている位だから、実際の鑑賞者は、かなり窮屈で戸惑いがあったと思われる。また、美術館側の話として「3階から見たときの迫力は旧美術館よりはるかに増した。新しい空間で新しい鑑賞の仕方を楽しんでほしい」(2013年9月29日、秋田魁新報)とも伝えていた。どうも、この新展示室では、正面から壁画と向き合える、最も一般的な2階部分から「秋田の行事」を観た場合、平野政吉美術館の大展示室と比べ、相当窮屈に見えるらしく、「秋田の行事」の迫力は、吹き抜けの3階部分に行って見ないと分らないようである。

     9メートルも奥行きが短くなったのだから、その分だけ「迫ってくる」(2013年9月29日、秋田魁新報)のは当然だろう。一方で、その分、この展示室では、この壁画の持つ雄大さ、スケール感を感じることは出来ないだだろうし、藤田の助言を取り入れた大展示室で観た時のような、重厚感や壁画と一体化したような感覚も持てないだろう。まして、絵から、描かれた時代の音が聞こえる、息遣いが聞こえるという感覚も当然持てないだろう。また、藤田が、壁画のために指示した上方からの自然光による採光形式も取り入れていない。完全に、平野政吉美術館の展示室より、劣化した展示室と言える。

     そして、今、新美術館を訪れている人々は、言ってみれば、有名女優のテレビコマーシャルに誘われてやって来た、物見遊山の見物人がほとんどであり、CM終了とともに、姿を消していくことが明白である。
     今朝の新聞に、「6日間で、7211人が来館した」(2013年10月5日、秋田魁新報)という県の話が載っていたが、何も意味のない数字と言える。

     この展示室では、「秋田の行事」に出会った「感動」は伝わらないだろう。平野政吉美術館では、「秋田の行事」を観て、感動して涙を流す人さえいた。安藤忠雄氏設計の展示室では独自のメッセージが何も無ければ、平野政吉が藤田嗣治から受けた指示を、真摯に継承している姿勢も見受けられない。(床から約1.8メートル上げた展示方法のみ)

     引っ越すこと自体が目的であって、平野政吉美術館の展示室を超える意欲もなければ、斬新さも、魅力もない展示室である。

     グレーのコンクリート剥き出しの建物で、周囲のざわざわした喧噪に囲まれながら、重厚さのない展示室で、藤田嗣治渾身の大壁画を観ようとは思わない。

     先日、ツイッターで、初めて「秋田の行事」を観た人が、寧ろ他の作品のほうが良かったと言っていた。こういう来館者が増えれば、新美術館の「秋田の行事」展示室は、失敗であったと言うことになるだろう。






    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
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    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2013.10.06(01:00)|未分類||TOP↑
    2013.09.02
     秋田の地元紙、秋田魁新報の「北斗星」(2013年9月1日)というコラムに、壁画についての藤田嗣治の言葉として「国民全部に、美術愛好と鑑賞の機会を、解放することに努力しなければならぬ」(「腕一本 巴里の横顔」、講談社)が引用され、「その思いをぶつけたのが大壁画なのだろう」(2013年9月1日、秋田魁新報)として、「秋田の行事」についての藤田の思いであるかのように書いてあったが、誤りである。

     まず、「腕一本 巴里の横顔」(近藤史人編、藤田嗣治、講談社)は、藤田嗣治の生前の随筆集「巴里の横顔」、「腕一本」、「地を泳ぐ」からの抜粋と君代夫人が保管していた未発表の2編から成っているが、魁が引用した「壁画について」の文は、随筆集「地を泳ぐ」(1942年《昭和17年》、書物展望社、昭和10年付記述[復刻:1984年《昭和59年》、講談社])に収録されたもので、昭和10年に記述された文である。

     この年、銀座コロンバン天井画の完成後、

     「自分は、さきにブラジル珈琲店の壁画を描き、大阪十合の壁画を描き、今度銀座コロンバンの天井を描いたが、これについても画家の街頭進出を慫慂したいと思う」(1942年《昭和17年》、書物展望社、昭和10年付記述[復刻:1984年《昭和59年》、講談社])
     「画家が、いたずらに名門富豪の個人的愛玩のみに奉仕することなく、大衆のための奉仕も考えなければならないと思う。国民全部に、美術愛好と鑑賞の機会を、解放することに努力しなければならぬ」(同前)
     「コロンバン氏が、この挙を敢てして、銀座をして美術に眼を開かしめた功は、大いに讃ゆべきである」(同前)

    などと記している。

     文意から、天井画の依頼者、コロンバン氏や完成した天井画を称える意味合いが強い文である。また、パリ時代、自分の絵がサロンで一部の富裕層、愛好家を喜ばせていたに過ぎなかったことを省みた文でもある。

     大壁画「秋田の行事」は、その後、1937年(昭和12年)に制作されており、前述の文は、「秋田の行事」を意識して書かれたものでない。

     「秋田の行事」は、妻マドレーヌの急死後、平野政吉が提案した美術館建設構想を受け制作されたもので、依頼主の平野政吉個人に捧げる大壁画という意味合いが強い作品である。

     完成した作品には、「為 秋田平野政吉 嗣治 Foujita 1937 昭和12年 自二月廿一日 至三月七日 百七十四時間完成」と署名され、

     「この大きさと時間の記録は、世界が終わるまで破られまい」
     「四百年後に、再びこの壁画の前に立ってみたい」(1983年《昭和58年》1月9日、朝日新聞)と興奮し、語っていたのは有名な話だ。

     後世での評価を強く意識していた、歴史的意味を持つ作品である。

     また、「北斗星」が取り上げた「詩の国秋田に壁画時代を現出させよう」(2013年9月1日、秋田魁新報)は、壁画制作への藤田の強い意気込みを示しており、「北斗星」の言うように、「一人でも多くの秋田の人が壁画を見て、芸術に親しんでほしい」(2013年9月1日、秋田魁新報)という思いからではないことは、画家・藤田嗣治の全生涯を振り返れば分かるはずだ。藤田嗣治は誇り高き画家である。

     藤田の思いと違い、現県立美術館・平野政吉美術館が、多くの人が訪れていないので、新県立美術館を造ったという論理が語られるが、藤田の思いについても誤りがあり、移転の理由にならないだろう。さらに、入館者数を増やすことは、美術館の建物の問題でなく、広報宣伝活動の問題であることは、当ブログでも何度も指摘している通りだ。

     「秋田の行事」の移設は、地元紙などが、多くの紙面を割いて、大々的に報じているようだが、多くの秋田県民、秋田市民は冷めた眼で見ているようだ。長い年月を掛けて、愛されてきた壁画の移転を多くの人が寂しい、残念だと感じていることだろう。
     移転によって、物見遊山の客が多少増えたとしても、ほんの数年で激減することは容易に想像できることである。



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    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

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    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



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     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
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  • 2013.09.02(22:00)|未分類||TOP↑
    2013.08.30
     現秋田県立美術館・平野政吉美術館にある藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」が昨年完成した新県立美術館に移されようとしています。
     「秋田の行事」は、1937年(昭和12年)に、秋田市の資産家で、美術品収集家の平野政吉が、親交のあった画家・藤田嗣治に制作依頼して描かれた、縦3.65メートル、横20.5メートルの巨大壁画です。秋田の四季の祭りと風俗が色彩豊かに描かれ、藤田の画風がパリ当時から変化を遂げた時代の頂点に位置する重要な作品であり、観る者を圧倒する作品です。
     作品には「為秋田 平野政吉 嗣治 Foujita 1937」と署名されており、藤田嗣治と平野政吉が一体となって制作した作品でもあります。P1010224_03 「秋田の行事」-1
     また、「秋田の行事」は、平野政吉の美術館建設構想を受け、美術館の壁画として描かれており、30年の歳月を経て、1967年(昭和42年)に二人にとって念願の秋田県立美術館・平野政吉美術館が完成致しました。美術館完成までに、何度も平野政吉の親族が、パリ郊外に住む藤田を訪ね、美術館の設計図を持参したり、藤田の意向を聞くなどしております。秋田県立美術館・平野政吉美術館も藤田嗣治と平野政吉が一体となって制作した建物でもあるのです。
     秋田県では、現県立美術館の老朽化や耐震補強工事を伴う改修が必要なため新築のほうが良いなど様々な理由を付け、新県立美術館を新築しましたが、すべての理由が現美術館で対応可能なものばかりでした。しかも、新県立美術館完成後の現在、現美術館の建物を他の施設に活用することについて、県と秋田市が協議しており、新県立美術館の建設理由の正当性が疑問視されます。
     こうした状況の中で「秋田の行事」を移設することは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為ですので、一秋田県民として、強く非難致しますとともに移設の中止を強く求めます。
    (メッセージ、8月30日)





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    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2013.08.30(00:00)|メッセージ||TOP↑
    2013.08.24
     6月30日で閉館扱いになり、収蔵作品の移転が準備されていると言う平野政吉美術館だが、その際の企画展で公開されていた、元名誉館長の平野誠氏(平野政吉の長男)が平野政吉に宛てた手紙などによって、現県立美術館(平野政吉美術館)の建設に際し、藤田嗣治の関与があったことが、一層明確になっている。
     手紙は、パリ郊外の藤田を訪ねた平野誠氏が、平野政吉に宛てたもので、1966年(昭和41年)2月8日付けになっていた。藤田のアトリエに秋田県立美術館の平面図と立面図を持参したこと、壁画「秋田の行事」の展示の仕方などが綴られ、主な内容は、

     「こちらがお届けした設計図は平面と側面、断面と建物だけのもので全体の敷地と配置図、つまり堀の位置と館の建物と周りの庭の図が入っておらず、私が前に地図で見た記憶で大体の様子をお話しました。又朝日の複写を持って行きましたので、それも差し上げておきました。大変によろこばれておられました。…… 壁画は真直ぐにせず一寸曲げて、観る人が端の方が余り遠くならぬ様にしたら良いだろうと云われましたので、ご報告します。又、4月頃来佛する予定でありますことを話して来ました」

    などというものであった。

     また、1963年(昭和38年)11月、藤田が平野家親族に、秋田に建設する美術館のイメージを示したメモが公開されており、現県立美術館(平野政吉美術館)と同様に、礼拝堂のような大空間に壁画を展示し、建物上方の窓から自然光を採り入れ、壁画を照らす方法が図示されていた。

     さらに、平野誠氏は、1966年2月8日と、平野政吉に同行した5月、さらに秋と少なくても三度以上、美術館建設の件で渡仏し、藤田嗣治に会っておられる。

     2010年(平成22年)2月の秋田県議会で、県立美術館の新築について議論された際、県は、現県立美術館を設計した設計会社の元設計士の話として、建物のデザインは設計側が発想したものであり、藤田や平野の関与はなかったとしきりに答弁していたが、平野政吉が生前、証言していたことを裏付ける資料、証拠の存在が明らかになっているのである。

     世界的画家・レオナール・フジタ(藤田嗣治)との関わりが深いことがはっきりし、フジタの意向が反映されている、文化的価値の高い現県立美術館(平野政吉美術館)を閉館、移転することは、愚行であることは明確だろう。




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    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
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  • 2013.08.24(01:25)|未分類||TOP↑
    2013.08.05
     昨年完成した新県立美術館に、平野政吉美術館収蔵の藤田嗣治の壁画「秋田の行事」などのコレクションが移転されるとのことだが、この美術館での展示には、多くの懸念がある。
     著名な建築家・安藤忠雄氏が設計したという新秋田県立美術館は、千秋公園方面を眺望できる水庭や螺旋階段に特徴があるようだが、コンクリート剥き出しの建物の外観が、温かさや開放感が感じられない。秋田らしさがない。三角形に拘ったデザインに、必要性が感じられない。四角い土地に三角の建物は、土地の無駄遣いだなど多くの批判的意見が既に出ているようだ。
     また、この美術館の問題の一つに、美術館が、賑わいづくりのためのイベント会場、屋台会場として使用されている「広場」に隣接していることがある。既にイベント開催時には大音響の音楽を流すこともあり、かなり騒がしい状況になっている。なぜ、この場所に美術館なのかという疑問を多くの県民、市民が内心思っていることだろうし、県外からの観光客も首を傾げるのは間違いないだろう。
     また、この美術館の入口は、仲小路方向に1ヵ所、コンクリートをくり抜いたようにあるが、駅方向だけを向いており、観光客のみを意識しているかのように存在している。秋田市の人口が、この美術館の入口とは反対の西側に圧倒的に多いことを設計者は認識していなかったのではないか。市民にとっては、不便な入口である。

     機能性が重視されず、設計者の自己満足が感じられる印象が強い新県立美術館だが、藤田嗣治の壁画「秋田の行事」を展示する予定だとされる展示室も、平野政吉美術館の展示室と比較し、多くの劣っている点が見受けられる。
     まず、展示室の広さにおいて、平野政吉美術館の約550平方メートルに対し、新県立美術館は、約440平方メートルになっている。これは、平野政吉美術館の展示室より、5メートル程手前からしか、「秋田の行事」を鑑賞できないことになる。縦3.65メートル、横20.5メートルの巨大壁画を観るうえで、この差は大きい。
     また、新県立美術館の展示室の天井高は、推定約7メートル程で、四角く区切られており、圧迫感がある。これに対し、平野政吉美術館の展示室の天井高は、約18メートルあり、しかも、屋根の形から生み出されたなだらかな曲線を描いており、上方への広がり、奥行きを一層感じさせている。
     藤田嗣治は「秋田の行事」を描くにあたって、三次元的空間、奥行き感を出すことに注意を払い、構図に様々な配慮をしていたことが既に分かっている。

    (参照 藤田嗣治「秋田の行事」の構図と奥行き感、臨場感パリでの「乳白色」から、色彩と三次元表現の「秋田の行事」へ … 藤田嗣治の変貌

     平野政吉美術館の展示室が、藤田嗣治の壁画に込めた意図を忠実に表した空間であったことが分かるのである。
     また、体育館を思わせる茶色のフロア、薄茶の壁が、空の「青」、雪の「白」、祭りの「赤」が基調の色彩である「秋田の行事」と調和するとは、とても思えない。「秋田の行事」の展示には似合わない展示室である。

     また、新県立美術館の展示室の照明は、藤田嗣治が平野政吉に自然光による採光形式を助言したことを無視し、人工照明のみになっているが、この展示室では「秋田の行事」が平面的に見えることは間違いないだろう。
     先日のNHKテレビ(8月1日、クローズアップ現代)で放送された、伊藤若冲コレクションの第一者、ジョー・プライスさんも、ご自身の鑑賞室を自然光のみで観れるようにしていた。その理由を、自然光で観ると絵に奥行きが出るが、人工照明で観ると絵が平面的に見えることを挙げていた。
     藤田嗣治が、クロード・モネなど多くの偉大な画家と同じく、大壁画「秋田の行事」を自然光で観るよう、助言したのは、絵に奥行き感、臨場感を出すことを求めたためであることは間違いないだろう。

     その意味でも、平野政吉美術館の展示室は、藤田嗣治の意図を的確に反映しており、新県立美術館の展示室は不的確と言えるだろう。




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    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2013.08.05(02:00)|評論||TOP↑
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