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2015.01.27
 昨年8月末に、藤田嗣治の大作「秋田の行事」を移転させた、新秋田県立美術館の展示室における、藤田嗣治の壁画「秋田の行事」の見え方について、旧来の展示室(平野政吉美術館の大展示室)より、「絵が縮んで見える」「窮屈に見える」「迫力が感じられない」「絵の輝きが失われた」…などの指摘があるが、光源、照明に対する問題点、不満も指摘されている。

 「光源が少し残念。もう少し温かい光源にして欲しい」「照明の反射が気になる」「照明の照り返しがきつい」………と言ったものである。

 新美術館では、紫外線対策とかいう理由で、人工照明、LEDが使用されているが、これによって、従来の展示室(平野政吉美術館の大展示室)での見え方に比べて、大きく変化したという指摘である。

 著者が平野政吉美術館において、藤田嗣治の大壁画「秋田の行事」を鑑賞する際、充足感を得た見方の一つに、壁画の中央正面に立ち、目の前の「竿灯」、画面右側の「梵天」の場面に視線を向け、鑑賞することがあった。

 倒れた竿灯とともに、頭上高く掲げられた竿灯の竿(下の部分のみ)を描いたシーンでは、視線を上方に向けると、画面の枠を突き抜け、遥か上方にある提灯が目に浮かぶような迫力を体感できた。梵天のシーンでも石段を駆け抜ける男たちが、画面を突き抜け、天空にまで駆け抜けるような迫力を感じることができた。藤田嗣治の天才的な表現力が感じられた。

 また、画面左側に目を向けると、かまくら(雪室)、雪だるま、馬、香爐木橋(こうろぎばし)の入り口、平野家の愛犬・錦風まで、中央を向いており、奥行き感や後方への広がりを体感できた。

 こららは、緩やかな双曲線を描いた約18メートルの天井の高さを持つ、550平方メートルの大展示室と、目に優しい光源(自然光)によって産み出されていたものである。

 藤田嗣治が、平野家に示したメモ (2013年6月、企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」で展示) によると、美術館のイメージは、教会のような大空間の展示室、上方から自然光が採られ、壁画に柔らかく差し込む形式が取られている。
 また、平野政吉にも、美術館の屋根は、自然光の採光形式にするよう、助言したと伝えられている。

 「藤田は『美術館の屋根は、ランス礼拝堂のような採光の形式にしてくれ』と注文をつけた。私は、それを忠実に守った。平野美術館の特徴ある丸窓は、このためだ。」 (1983年《昭和58年》1月12日、朝日新聞「聞き書き わがレオナルド藤田」より)

 藤田は壁画の最善の見方として、圧倒的に広い空間と上方への広がり、絵の自然な色が見える自然光による採光形式を考えていたと思われる。
 平野政吉美術館 (秋田県立美術館 《旧》 ) は、それらを忠実に実現していたと言える。

 新県立美術館の壁画展示室では、それらが何も活かされていない。
 竿灯、梵天の場面では、満足に上方を見上げることすらできず、画家が意図した迫力感が減少した状態になっている。これは、鑑賞するものにとって、とても残念なことと言えるだろう。

 新美術館建設に際して、秋田県議会では、2010年当時、現県立美術館 (当時) の自然光の採光形式が、絵に悪い。だから移転が必要だという議論がされた。

 しかし、世界に目を向けると、例えば、パリのルーブル美術館では、500年以上前の絵画も自然光がふんだんに採り入れられた環境の下、鑑賞されているし、オランジュリー美術館では、クロード・モネの「自然光で見てほしい」という遺志を再現するために、自然光を採り入れた展示室がフランス政府によって造られている。

 そのほか、アメリカ・ニューヨークのメトロポリタン美術館、ニューヨーク近代美術館、スペイン・バルセロナのミロ美術館なども館内に自然光を採り入れている著名美術館である。
 そして、それらの美術館から紫外線による絵の被害等が報告されたことはない。

 また、日本でも東京都江東区の東京都現代美術館、神奈川県横須賀市の横須賀美術館、神奈川県葉山市の神奈川県立近代美術館葉山館なども館内に自然光を取り入れた美術館である。

 さらに、新秋田県立美術館の設計者でもある、安藤忠雄氏が手掛けた、滋賀県の織田廣喜美術館は、人工照明を一切使わず、自然光だけで鑑賞する日没閉館の美術館となっている。安藤氏は展示室の壁に 「作品は自然光で見てもらうのがいいと思います」 の文言まで残している。

 そして、伊藤若冲作品の世界的コレクターとして知られる、ジョー・プライス氏も自身が持つ展示室を自然光で鑑賞できるようにしており、その理由として、 「自然光で観ると絵に奥行きが出るが、人工照明で観ると絵が平面的に見える」 ことを挙げている。

 秋田県議会での、自然光による採光形式が絵に悪い。だから、美術館移転が必要だという議論が如何に貧困なものであったのがよく分かる。

 藤田嗣治が、大壁画「秋田の行事」を自然光で観るよう、平野に助言したのも、大空間に身を置くこととの相乗的効果で、奥行き感、臨場感、立体感を出すことを求め、観る者に迫力を感じとって欲しいと願ったからに違いない。

 そして、それらが、忠実に実現された平野政吉美術館 (秋田県立美術館 《旧》 )こそが、藤田嗣治が魂を込めた大作「秋田の行事」の展示に最も相応しい美術館、展示室であることは疑いないだろう。




<関連記事>
パリでの「乳白色」から、色彩と三次元表現の「秋田の行事」へ … 藤田嗣治の変貌
懸念される新県立美術館での藤田嗣治「秋田の行事」の展示
藤田嗣治「秋田の行事」の構図と奥行き感、臨場感
藤田嗣治が助言した平野政吉美術館の採光
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について







藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)


関連記事
平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


お薦め記事 … 郷土・秋田の文化遺産を継承する会
ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • ≫「新県立美術館における「秋田の行事」の見え方について ~ 藤田嗣治が求めたのは自然光による採光形式であった (2014.12.27)」の全文を読む


    2015.01.27(03:00)|未分類||TOP↑
    2014.12.23
     秋田県知事、佐竹氏が、新築された県立美術館への移転によって、空になっている(旧)県立美術館について、「いい利用法が見つからない場合は外観だけ残すか、解体するのが筋だ」 (2014年12月17日、秋田魁新報) と発言したとのことだ。

     一方、地元紙のコラムによれば、「張りぼてでは天下に無策ぶりをさらすことにならないか。まずは『いい利用法』を見つけることが筋だろう」 (2014年12月18日、秋田魁新報「北斗星」) としており、珍しく反論を記述している。

     一体、この知事に、(旧)県立美術館に関して、「 ~ が筋だ」 という筋論を言う資格があるのだろうか。

     この(旧)県立美術館を現地改修するか否かを、客観的に判断するために、老朽化検査や耐震診断を実施するのが、正当な道筋、手順であるのに、再開発事業の一環として、巨額の公費を投入し、新築の美術館を完成させた後に、県民の要望が高いからという理由で、今頃、耐震診断を実施しているなど、筋違いが甚だしい。

     また、2007年11月に、財団法人・平野政吉美術館 (当時) に美術館移転を要請した際 (この時は寺田前知事であった) 、平野政吉美術館 (当時) が求めた耐震診断を、県は、結局、実施しなかったが、その理由が 「県は今日的社会的要請に応えた新しい美術館を建てることを構想しているのであり耐震診断結果の必要性や費用によって構想が変わるものではない」 (平成20年3月28日、週刊アキタ) からだとのことだ。一体、誰の、どんな要請があったというだろうか。

     県知事の、(旧)県立美術館について、「外観だけ残すか、解体するのが筋だ」という発言は、説得力が全くないばかりか。天下に認識の欠如をさらす発言だろう。

     また、魁紙のコラムの記事に同調するように、「県と市がお互いに負担の少ない形で建物を再利用するのも一つの選択肢」 (2014年12月17日、秋田魁新報) と語ったとのことだ。

     そもそも、この知事は、2007年、秋田市長当時に、県立美術館(旧)の跡地を念頭にし、市が管理する千秋公園内の某施設について、「県立美術館跡地における改築も視野に、別途検討を要する」と市議会で発言している。

     道義的に問題あるこの企ては、その後、頓挫したとも伝えられているが、未だに、そのような意図が、闇の中で続いているだろうか。
     
     以前からこのブログで主張しているように、(旧)県立美術館の建物は、 「秋田の行事」展示館 として、後世に伝えるのが最も自然な、最善の利用法である。

     高さ約18メートルの天井高、約550平方メートルの大空間の展示室は、壁画「秋田の行事」の展示のために、藤田嗣治の助言を取り入れ、設計されたものだ。(平野政吉の新聞、雑誌での証言のほか、藤田の助言を示すメモ、手紙が残されている。 《参照》 藤田嗣治の助言、指示が明確になった現県立美術館(平野政吉美術館) ― この美術館の閉館、移転は愚行である。 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙 開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問
     これ以外の使用は邪道だろう。

     また、「秋田の行事」展示を中心とした、「県立美術館・本館」として残すのも良いのではないか。

     (旧)県立美術館の延床面積は2,860㎡、新県立美術館は、3,746.66㎡となっている。合計しても6,606.66㎡しかない。他県の美術館の延床面積と比較し、青森県立美術館の15,837.41㎡、岩手県立美術館の13,000㎡、宮城県美術館の15,120㎡(本館 12,130㎡、佐藤忠良記念館 2,990㎡)と比べても、かなり狭い状況にある。

     宮城県美術館が本館、佐藤忠良記念館となっている例と同様に、旧館を本館(あるいは別館)、新築した美術館を新館として、2館を併用すれば、建物の有効利用になるはずだし、観光や県民の文化振興等にもより効果が増すだろう。

     また、新県立美術館のラウンジから、水面越しに旧館が象徴的に映し出されているが、設計した安藤忠雄氏自らが講演会で、「旧美術館と、関わった人たちの情熱を県民に忘れないでほしいと思い、水面を挟み新旧美術館が対となるようにした」 (2013年9月8日、秋田魁新報) と語っていた事実もあり、2館の併用は、設計者の意図にも合致するのではないか。
           
     その際、熊のための慈善事業としか思えない豪華飼育施設を、3億5千万円もかけ建設した秋田県に、費用対効果などの「コスト論」をいう資格はないことを、当然、自覚すべきであることを申し添えたい。



    <関連記事>
    藤田嗣治の助言、指示が明確になった現県立美術館(平野政吉美術館) ― この美術館の閉館、移転は愚行である。
    発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    「秋田の行事」を鑑賞できず苦情が殺到 ― 解決策は、旧来の県立美術館を「藤田嗣治『秋田の行事』展示館」として利用すること
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について


    <参考記事>
    平野政吉、1955年(昭和30年)開催「平野コレクション展」での挨拶






    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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    平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

    秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
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    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
    現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • 2014.12.23(07:00)|未分類||TOP↑
    2014.12.14
     秋田県(県教委)が、旧県立美術館(秋田市千秋明徳町)の耐震診断を実施し、その結果、活用するために、耐震補強などの費用が、2億3200万円から最大で11億4500万円かかるとの試算を明らかにしたと言う。

     「県教育委員会は10日、旧県立美術館(秋田市千秋明徳町)の老朽度などを調査した結果、耐震基準を満たしておらず、活用するには耐震補強などの費用が少なくとも2億3200万円、最大で11億4500万円かかるとの試算を明らかにした」 (2014年12月11日、読売新聞)

     美術館使用の場合 … 6億8700万円
     多目的ホールとする場合(コンサート、講演用) … 11億4500万円 (非常階段、スプリク ラーなどの設置が義務づけら れる)
     建物の一部をホールとする場合 … 8億4900万円
     館内の利用ができないモニュメントとした場合 … 2億3200万円
     解体した場合の費用 … 1億5千万円~1億6千万円

                      (2014年12月11日、秋田魁新報の記事より、抜粋)


     旧来の県立美術館(平野政吉美術館)の耐震診断については、秋田県が2007年12月に、当時の財団法人・平野政吉美術館に美術館の移転を求めた際に、P1010594 平野政吉美術館(2011年10月) 800x600-新財団法人・平野政吉美術館が耐震診断を実施するように求めたのに対して、県は「実施しない」と回答した。そのため、財団が、これ以上待たせると、行政、再開発組合(当時、再開発準備組合)に迷惑がかかるからと言う理由で、止む無く移転を受け入れたと言う経緯がある。


     また、2008年2月に、県は財団法人・平野政吉美術館の理事会に対して、新美術館を建設した場合、県有地である土地の売却によって、建設費が相殺され、現金支出がほぼゼロで済むので、財政上有利だとの説明し、美術館移転を促した経緯がある。

     「日赤・婦人会館跡地へ移転新築した場合、建設費は15億程度(注、当時の試算)と見込まれるが、同跡地内にある県有地約一・二ヘクタールが資産として建設費に充当され、県の現金支出がほぼゼロになるとの見通しをあらためて説明。財政的な面から、現地改修より実現性が高いことを強調して理解を求めた」 (2008年2月18日、秋田魁新報)       

     この「ゼロ負担」はやがて、2009年9月の秋田県議会では8億円の負担に、2009年12月、2010年2月の秋田県議会においては、9億2千万円に上昇し (県有地の評価額の下落と建設費が約20億円に跳ね上がったことによる)、虚偽であったことが分かったが、2009年12月、2010年2月の県議会で、今度は、従来の美術館の改修し存続させる場合は、今後10年間で10億円の費用が発生すると言う数字を出し、またしても新築の方が有利だと主張したのである。美術館新築はもはや動くことのない既定事実にされ (一体誰の望みなのか?)、理性的、客観的な判断で、現地改修と移転についての検討がされることは全くなかったのである。

     「県が取得を予定している新県立美術館建設に伴う県負担額が、概算で約8億円になることが、24日明らかになった。県が9月定例県議会建設交通委員会に提出した資料で示した」 (2009年9月25日、秋田魁新報)

     (県立美術館の移転新築について) 「当初計画よりも床面積が約600平方メートル広くなり、県の負担金も約9億2千万円に膨らむ見通し」 (2009年12月11日、秋田魁新報)

     「県は2010年度一般会計当初予算案に、… 新県立美術館館の取得負担金約9億2千万円のうち約3億3千万円を計上している」 (2010年2月23日、秋田魁新報)

     (従来の県立美術館の建物の維持管理費用について) 「根岸教育長は 『10年間で約10億円の工事を行い、さらに年間5200万円の管理運営費がかかることを考えると、年間約1億5千万円が必要になる』と説明」 (2009年12月11日、秋田魁新報)

     (2010年2月県議会での従来の県立美術館についての佐竹知事の答弁) 「耐震化を含めた改修費用については、『今後10年以内に約10億円が必要と推定され、… 』」 (2010年2月24日、秋田魁新報)


     2012年に県の予定通り、新県立美術館が完成し、旧来の県立美術館(平野政吉美術館)にある大壁画「秋田の行事」を含むすべての収蔵作品をそこに移転完了させ、今になって、空になってしまった旧来の美術館の耐震診断を実施したという秋田県の方々。

     しかも、旧来の美術館を従来通りの美術品の展示使用で改修する際は、2010年に議員を説得するために出された改修費、10年で10億円という額を大きく下回る、15年で6億8700万円で改修可能である という試算額が、今になって明らかにされているのである。

     これでは、移転は全く不要であり、6億8700万円で、従来の美術館を改修しておれば、県財政上もはるかに有利で、文化的価値の高いこの建物の恒久的使用が可P1010010_05 平野政吉美術館(2013年4月)能となったのである。

     何という、欺瞞的で、でたらめな議論の末、県立美術館の移転新築が決まったというのか!

     しかも、従来の県立美術館(平野政吉美術館)の歴史的な意義 (秋田県内初の美術館で、県民などからの寄付金等も投入されている) や、文化的な価値 (藤田嗣治と平野政吉の交友関係の積み重ねの末、建設され、開館となった事実。藤田のアドバイス、イメージが反映されている ― 平野政吉が生前、明確に証言している。県はこの証言を信じないのか。《参考》平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について「秋田の行事」展示室としての優れた特性 (注、「現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由」を参照) などを、把握さえ出来ないまま、この美術館は、閉鎖という形を取られているのである。

     ネット上で、どこぞの県の職員はIQが低いのではないかと言われかねない哀れむべき事態だ。

    <関連記事>
    「秋田の行事」の引っ越し後に、県立美術館(旧)の建物について「耐用年数を見極めたい」と言い出した知事 ― 順番が逆ではないか?


    藤田嗣治の助言、指示が明確になった現県立美術館(平野政吉美術館) ― この美術館の閉館、移転は愚行である。

    <参考記事>
    平野政吉、1955年(昭和30年)開催「平野コレクション展」での挨拶





    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
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    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


    お薦め記事 … 郷土・秋田の文化遺産を継承する会
    ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
    現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • 2014.12.14(06:00)|未分類||TOP↑
    2014.11.18
     「ユニークな美術館めぐり」 (新潮選書、新潮社) という書籍で、全国の特色ある87美術館の一つとして、秋田市の平野政吉美術館も選ばれていた。

     大美術館にはない独自の個性のある美術館として、誕生のいきさつや収蔵作品等がユニークな館として高く評価されていた。全87館中、東北では僅か4館しか選ばれていなかった。
     大原美術館、MOA美術館、彫刻の森美術館、横山大観記念館、浮世絵太田記念美術館、根津美術館、玉堂美術館著、山梨県立美術館、足立美術館 ……… 等の著名美術館の中に交じり、秋田市の資産家・平野政吉が集めた藤田嗣治作品に際立った特色を持つ美術館として、高く評されていた。

    P1010417 平野政吉美術館(2011年7月)800x600-新2


     在りし日の平野政吉が、「秋田の行事」誕生のいきさつなどを語り、
     「日本画の伝統に根を下ろして日本の油絵を国際的に評価させた先駆者フジタ ― 画家になりたかったが地主の家をついだ平野氏、その出会いと交遊が東北の一都市にユニークな美術館を残した」 (ユニークな美術館めぐり 《新潮選書》、 新潮社) と記述されている。
     
     この書籍は、昭和57年に初版発行されているが、人気、反響が高かったようで、12年後の平成6年には第21刷まで刊行されていた。

     平野政吉美術館ように、全国的に見ても、顕著な特色、個性を持つ美術館を閉館させるとは、本当に惜しまれることだし、この館を閉館させた街の人々の神経とは、一体どんなものなのだろうか。

     自分の街の中にある、真の魅力を自覚できない、広い世間を知らない、感性の鈍い人々なのか。
     あるいは、文化、芸術に疎く、心の豊かさに欠ける人々なのか。

     この平野政吉美術館・秋田県立美術館は、行政によって老朽化のため新築が必要と言われたが、何度訪れても、外観上、使用不可の状態にはとても見えなかった。

     それが何と、新美術館を建設し、引っ越しを終えてから、旧館の建物の老朽化検査を行うのだそうだ。
     頭がどうかしているとしか思えない。

     美術館の真の価値も認識出来ないまま、新しい建物を建て、移転を急いだその目的、意図は一体何であったのか。

     そこには、再開発予定地の空地に、建物=箱を造ることを、何より優先させた卑しき利権構造が見える。
     その結果が、開業僅か1年半での、隣接新商業施設の大量の空スペース、半シャッター街状態である。
     当初から良識ある市民によって、指摘された事態が今、必然として起きているのである。

     公共事業、公共施設の建設は、公共のために行われるべきものである。
     市民のニーズを徹底的に調査、把握した後に、計画されるべきである。
     秋田市中通の日赤跡地再開発は、そういったプロセスを経たものだったのか。
     美術館の移転は、本当に必要なものだったのか。
     特定の人達の、特定の目的を実現するための再開発事業であったとしか思えない。


    <参考記事>
    平野政吉、1955年(昭和30年)開催「平野コレクション展」での挨拶


    <お薦め記事>
    藤田嗣治の壁画「秋田の行事」が描かれた時代の背景 ~ 一体感を持つ「平野政吉美術館」
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    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2014.11.18(23:30)|未分類||TOP↑
    2014.04.01
     1967年(昭和42年)、秋田県で、史上初の美術館として開館した、秋田県立美術館・平野政吉美術館は、46年間で、100万人ほどの来館者を集めたということだが、最初の1年目は、年間35万人以上の入館者があったようです。
    (初年度入館者、一日平均1000人以上《「平野政吉 世界のフジタに世界一巨大な絵を描かせた男」より、 渡部琴子著 新潮社 2002年》)

     平野政吉美術館の入館者数が少ないことを問題視し、県などが移転新築を進めたが、開館当初は盛況であり、その後の広報活動や管理運営の在り方に問題があったに過ぎないことが分かります。

     また、県民待望の美術館であったことや、秋田県民の熱しやすく冷めやすい気質が、開館当初の数字に垣間見えているようです。

    P1010363 平野政吉美術館と堀(5月) 800x300

     46年間の長い歴史の中で、多くの県内外の人々が、収蔵作品の寄贈者であった、平野政吉館長(当時)に、実際に出会い、人柄に触れる経験を持ったことは広く知られています。

     そのうちの極一例だが。
     ある秋田出身の人は、「帰郷するたびに、広小路からお堀越しに見える、傾斜した屋根を持つ平野政吉美術館を懐かしく思い、藤田の絵に会いに来ては、『秋田の行事』と展示室の大空間に『いつもの感じ』を確認し、時の過ぎゆく中、変わらぬものに迎えられる『安らぎ』を感じることができた」と話し、その際に、紋付き袴に草履姿の平野政吉に話しかけられ、館長室で藤田画伯の話や秋田蘭画を見せて頂いたことなどが思い出深いと語っています。

     また、ある人は、「子供の頃、学校の帰りなどにP1010455 平野政吉 720x540平野政吉美術館に行くと、羽織袴の老齢の平野政吉がとことこと傍にやって来て、絵の説明や親交の深かった藤田画伯のことを事細かに説明してくれ、そのうえ、いつもお菓子を食べていきなさいと言ってくれた」と懐かしく語っています。

     著者自身も、高校生当時、平野政吉美術館を訪れた際、平野政吉に話しかけられ館長室に招かれ、絵の説明などを伺った経験があります。
     その際の平野政吉の楽しそうで、誇らしげな姿が今も思い出されます。私にとって、氏は、気品溢れた、雲の上の存在のように感じられました。帰り際、氏は絵葉書にサインをし、私に呉れました。そこには、壁画「秋田の行事」に藤田画伯が書いた署名と同様に、「秋田 平野政吉」と記してあります。いかに氏が郷土・秋田を愛し、誇りにしていたかが今でも伝わって来るようです。

     命懸けで藤田嗣治コレクションを収集し、美術館建設に生涯を捧げた平野政吉の思いを無にするようなことは止めて頂きたいと、切に願い、今後も訴えていきたいと思う。






    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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    平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

    秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
    美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


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    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
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  • 2014.04.01(23:30)|随筆||TOP↑
    2014.03.29
     2カ月程前のある地方紙に、現在の秋田県立美術館の館長をしている人の話が載っていた。
     その記事によると、この人は、来館者の中にあって、冴えない顔で語っていたと言う。その理由が「この先を考えると浮き足立ってもいられない。実は収蔵作品を増やすめどが立っていないんです」(2014年1月30日、北日本新聞)ということで、公立秋田美術大学の学長のH氏も「必要な作品を集めていくことが必要だ」(2014年1月30日、北日本新聞)とし、同意見であると伝えている。秋田の地元紙などでは見ることのない話だが、ご両人は、新県立美術館の今後に不満なようである。
     平野財団の不明朗な移転受け入れの後、県によって選ばれた、元高校教師、教育庁出身である現館長と県が設置した新県立美術館基本計画策定委員会の会長として、誰かの思惑通りの移転を促進させた学長が、「収蔵作品を増やすめどが立っていない」として新県立美術館の今後に不満であるとのことだ。

     随分と虫のいい話ではないだろうか。彼らは20億円を費やした、新築の美術館の「建物」のほかに、藤田と平野の思いがまるで感じられないこの美術館に、さらに新たな藤田作品を収蔵することを求めているということである。

     平野政吉が収集した藤田嗣治作品は、1920年代後半の藤田とマドレーヌの出会いとその後のラテンアメリカの旅、壁画「秋田の行事」に代表される日本帰国後の作品等に集約され、特徴付けされる。そして、1930年代を中心に、これ程の藤田作品を所蔵するコレクションは、世界でも稀であることは周知の事実である。
     この特徴を掘り下げ、理解を深め、新たな魅力を見出だし、世界の人々に発信をすることが、平野政吉の功績、遺志を継承する美術館の使命ではないのか。収蔵作品を増やすことに頼り、美術館の将来をそれに求めることは、安易な甘い考えだろう。

     また、新県立美術館の建設前、世界的建築家・安藤忠雄氏が、 「秋田の行事」に、 新しい息吹を入れるとか、藤田画伯と安藤忠雄氏のコラボだとか、関係者がしきりに宣伝文句を謳っていたが、そんなものは何もなかったどころか、藤田画伯と平野政吉について、さして深い理解をしていなかった安藤忠雄氏のコンセプトでは、意味のない三角形に拘った程度であり、とりわけ「秋田の行事」の展示環境として、平野政吉美術館の展示室より、相当に劣化、退化したものになってしまったのが明白な事実である。

     平野政吉の功績、遺志を継承するコンセプトから見ても、藤田画伯と平野政吉の交友の歴史を永く後の世に伝える意味においても、「秋田の行事」が描かれた時代の息遣いが感じられた平野政吉美術館こそ、「秋田の行事」と藤田嗣治作品に最も相応しい美術館であることは、将来に亘っても変わらないことだろう。





    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
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    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

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    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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    美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


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    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
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  • 2014.03.29(05:00)|未分類||TOP↑
    2014.03.24
     秋田市千秋公園入口高台の県民会館がある場所に、1960年(昭和35年)まで、ルネサンス様式建築の格調高い建物、秋田県記念館(正式名称、大正天皇御即位記念会館)があった。「文化の殿堂」、「秋田のシンボル」と称されたこの建物は、当時を知る市民に、あの建物が残っていれば貴重な近代文化遺産になっていただろうにと今も惜しまれている。建物の設計には、明治・大正時代、日本建築界の重鎮と言われた辰野金吾が顧問として参加している。辰野金吾は東京駅(国指定重要文化財、1914年《大正3年》竣工)、日本銀行本店(国指定重要文化財、1896年《明治29年》竣工)やお隣り岩手県の旧岩手銀行本店本館(国指定重要文化財、1911年《明治44年》竣工)などを設計している。秋田県記念館は、特徴的なドーム屋根を中央にした、左右対称の木造2階建、ヨーロッパ風のルネサンス様式の建物であった。大ホールを有していたので、演奏会、美術展、講演会、スポーツなどのイベントにも利用され、多くの市民に愛されていた。戦後の高度経済成長期に、老朽化を理由に取り壊され、コンクリート造りの在り来たりの、今の県民会館に変わってしまったのである。秋田では古い建物が次々に取り壊され、姿を消してしまったようだ。お隣りの山形県とは対照的である。山形では、旧山形県庁舎(国指定重要文化財、1916年《大正5年》竣工)、 旧山形県会議事堂(国指定重要文化財、1916年《大正5年》竣工)、 山形県立博物館教育資料館(国指定重要文化財、1901年《明治34年》竣工)など多くの明治以降の近代建築が今も大切に保存されている。秋田では古き良き建物、文化を大切にするという意識が乏しく、人々に根付いていないのだろうか。行政が先頭に立ち、古き良きものを大切にする意識を持って欲しいものである。かつて秋田県記念館があった場所の向かい側に、1967年(昭和42年)に建設された平野政吉美術館(秋田県立美術館)がある。この特徴的なデザインの建物も、収蔵されている平野コレクションとともに長く保存されることにより、昭和の文化遺産として、価値を高めていくはずである。

    (再投稿、2012.2.15)



      


    <関連記事>
    秋田への郷愁を感じるもの


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    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
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    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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