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2012.08.29
 秋田市の千秋公園は、関ヶ原の合戦の後、秋田に転封された初代秋田藩主佐竹義宣が自然の丘陵を利用して築城した久保田城の城址を、1896年(明治29年)、P1010469 千秋公園造園家、長岡安平の設計により日本庭園として整備された公園である。公園の入口付近には、お堀があり、広さは162,900平方メートル。園内には御隅櫓、久保田城表門が再建されている。秋田市民の憩いの場として親しまれている市民公園である。
 この千秋公園と似た公園に、東京都千代田区の北の丸公園がある。北の丸公園は江戸城の北の丸であった場所にあり、1963年(昭和38年)に建設省が森林公園として整備を開始し、1969年(昭和44年)、昭和天皇の還暦を記念して開園、一般公開された。現在は環境省の管理する国民公園の一つとなっている。干鳥ヶ淵、牛ヶ淵、清水濠のお堀に囲まれ、広さは193,297平方メートル。園内には、旧江戸城の遺構である田安門、清水門(どちらも重要文化財)の城門があり、多くの文化施設を公園内に持ち、緑豊かな都会のオアシスと言える公園である。
 北の丸公園では、樹木の間を縫ってウォーキング、ジョギングを楽しむ人達のためにコースが整備されおり、休憩所も数箇所建てられている。また、園内には日本武道館、科学技術館、東京国立近代美術工芸館等の文化施設があり、多種多様な人々が大勢訪れている。
 秋田市の千秋公園は、JR秋田駅から至近であると言う好立地にあるのだが、城址公園であるかのような色彩が強いのが惜しまれる。田安門の中に日本武道館がある北の丸公園のように、再建された表門の内側に多彩な施設があっても全くおかしくないことだ。P1010466_01 千秋公園
千秋公園では1950年(昭和25年)から22年間、動物園があった時期もあるが、少なくても現在より多くの子供や市民が訪れ、賑わっていた。千秋公園にもジョギングコース、散策コース、休憩所などが整備をされれば、より楽しい公園になることだろう。
 お堀に面した位置にある現県立美術館(平野政吉美術館)も都市公園の多様性の役割を果たしており、現在のままの形の美術館として末永く残して行くべきである。

P1010559_01 千秋公園の堀を前景にした平野政吉美術館(7月)
千秋公園の堀を前景にした平野政吉美術館




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藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)


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提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
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  • 2012.08.29(02:00)|評論||TOP↑
    2011.09.06
     秋田市中心部にある千秋公園は、1602年(慶長7年)、初代秋田藩主佐竹義宣が自然の丘陵を利用して築城した久保田城の城址を、1896年(明治29年)、造園家、長岡安平の設計により日本庭園P1010527 空800x600-3.jpgとして整備された公園である。明治2年(1869年)、陸軍省の所管になり、1890年(明治23年)、佐竹氏へ払い下げとなって、本丸・二の丸を秋田市が借り受け、その後、管理が秋田県、秋田市と移り、1984年(昭和59年)、佐竹宗家・佐竹義榮氏の遺志に沿い、公園用地(約14万6千㎡)が佐竹氏から秋田市へ寄贈になっている。千秋公園は、藩政時代からの歴史がある一方、中心市街地に立地し、市民公園、都市公園として定着している。歴史的部分の継承も大切だが、駅からも至近であるという好立地を十分に生かす意味でも、市民が集い、楽しみ、憩い、安らげるという役割、散策して楽しめるという役割を十分に果たせる公園を目指していくべきである。そのためには、歴史的部分が強調されることなく、多様性を持ち、調和の取れた公園を目指していくべきである。千秋公園内に「佐竹史料館」という文化施設がある。秋田藩主・佐竹氏由来の品々を展示した施設である。鎧、刀剣、旗、馬具など貴重な品が展示され、企画展では書画も展示されている。しかし、P1010514 佐竹史料館 800x600-2.jpg何度も繰り返し見てみたいという性質の展示ではない。現在の規模で十分役割を果たしている。万一改修が必要な場合は、公園と調和のとれた現在地が最適である。





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    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

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    (2015年9月)



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    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
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    (2014年2月)




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     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2011.09.06(17:05)|評論||TOP↑
    2011.06.23
     秋田市民の憩いの場所、千秋公園。秋田駅から至近の場所にあり、非常に好立地の公園である。初代秋田藩主佐竹義宣が築城した久保田城の城址を、1896年(明治29年)、造園家、長岡安平が日本庭園として、設計し、整備され、秋田県出身の漢学者狩野良知によって、命名され、「千秋公園」がスタートしている。以来市民公園として、市民に親しまれ、1950年(昭和25年)から22年間、動物園があった時期もあり、桜の名所、つつじの名所として、子供からお年寄りまで、幅広く市民に愛されてきた公園であった。1988年(平成元年)には、日本の都市公園100選にも選ばれている。ところが、最近の千秋公園を散策してみると、市民公園としての機能が十分に発揮されていないのが気にかかる。1989年(平成元年)御隅櫓を建設して以来、2001年(平成13年)には、久保田城表門が再建されるなど、久保田城址公園を作り上げようとしているかのようだ。公園内には、御本丸跡、埋門跡、多門長屋跡、裏門跡などの標柱も多く、まるで久保田城を偲ぶための公園であるかの印象だ。これでは市民公園としてスタートし、評価も得てきた「千秋公園」の良さが生かしきれてないような気がする。子供向けのオブジェを造るなど、すぐに実行できることもあるのではないか。一部の歴史好きの人達だけが満足する「千秋公園」であってはならない。子供からお年寄りまで、幅広く市民が集い、憩う都市公園、千秋公園であって欲しい。



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    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
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    階上の左右から見ることが出来なくなった。
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    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
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  • 2011.06.23(18:10)|評論||TOP↑
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    カテゴリ
    秋田の文化遺産を考える
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