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2013.09.26
 画家・藤田嗣治は、「随筆集・地を泳ぐ」(1942年《昭和17年》、書物展望社、[復刻:1984年《昭和59年》、講談社])の中で、新しい街づくりにおいて、歴史ある建物は、保存を講ずべきだ。自分の郷土の文化を誇り、観光客に史料を与えるようにすれば、観光客もやってくるなどと語り、郷土の文化的遺産を保存することの大切さを語っている。

 これらの言葉は、そのまま、秋田市千秋公園にある、県立美術館・平野政吉美術館にも当て嵌まるものだと感じた。さすがに、世界を渡り歩いた、見聞の広い、見識在る藤田嗣治の考え方であると共感した。

 これらの言葉は、藤田嗣治が、昭和13年5月に沖縄を訪問した際、琉球新報社主催の講演会で述べたもので、「随筆集・地を泳ぐ」(1942年《昭和17年》、書物展望社、[復刻:1984年《昭和59年》、講談社])の「世界を語る」の頁にあるものである。

「文化の躍進に、おくれてはいけないが、新しい街を建てるにしても、立派な橋とか、歴史ある建物は、小公園にするとか、其の他の方法で、保存を講ずべきだと思います。かくして、自分の郷土の文化を誇り、観光客に、史料を与える様にすれば、どしどし、県外から観光客がやってくる … 」(随筆集・地を泳ぐ 1942年《昭和17年》、書物展望社、[復刻:1984年《昭和59年》、講談社])

「 … 歴史のある建物をこわすとか、不見識なことをやっているそうですが、色々な史跡を遺すことは、先へ行ってから、非常に為になることだと思います」(随筆集・地を泳ぐ 1942年《昭和17年》、書物展望社、[復刻:1984年《昭和59年》、講談社])


などと沖縄に助言し、語っている。これは、日本各地に対しても、全く同様に言えることである。

 昭和13年頃の、この時代に、現代に通じる見識を持ち、郷土が誇れる歴史的建造物を遺すことの大切を伝えていた藤田に改めて敬意を表したい。

 歴史的建造物や古い街並み、郷土の誇れる文化を保存し後世に伝えようとせず、魅力のない街を作ってきた、秋田市の人々は、先見の明を持つ、藤田嗣治の的確な指摘をよく噛み締めるべきである。



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藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)


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現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • ≫「藤田嗣治、随筆の中で、歴史的建造物を遺すことの重要性を語る ~ 県立美術館・平野政吉美術館にも当て嵌まる言葉 ~」の全文を読む


    2013.09.26(23:30)|未分類||TOP↑
    2013.09.02
     秋田の地元紙、秋田魁新報の「北斗星」(2013年9月1日)というコラムに、壁画についての藤田嗣治の言葉として「国民全部に、美術愛好と鑑賞の機会を、解放することに努力しなければならぬ」(「腕一本 巴里の横顔」、講談社)が引用され、「その思いをぶつけたのが大壁画なのだろう」(2013年9月1日、秋田魁新報)として、「秋田の行事」についての藤田の思いであるかのように書いてあったが、誤りである。

     まず、「腕一本 巴里の横顔」(近藤史人編、藤田嗣治、講談社)は、藤田嗣治の生前の随筆集「巴里の横顔」、「腕一本」、「地を泳ぐ」からの抜粋と君代夫人が保管していた未発表の2編から成っているが、魁が引用した「壁画について」の文は、随筆集「地を泳ぐ」(1942年《昭和17年》、書物展望社、昭和10年付記述[復刻:1984年《昭和59年》、講談社])に収録されたもので、昭和10年に記述された文である。

     この年、銀座コロンバン天井画の完成後、

     「自分は、さきにブラジル珈琲店の壁画を描き、大阪十合の壁画を描き、今度銀座コロンバンの天井を描いたが、これについても画家の街頭進出を慫慂したいと思う」(1942年《昭和17年》、書物展望社、昭和10年付記述[復刻:1984年《昭和59年》、講談社])
     「画家が、いたずらに名門富豪の個人的愛玩のみに奉仕することなく、大衆のための奉仕も考えなければならないと思う。国民全部に、美術愛好と鑑賞の機会を、解放することに努力しなければならぬ」(同前)
     「コロンバン氏が、この挙を敢てして、銀座をして美術に眼を開かしめた功は、大いに讃ゆべきである」(同前)

    などと記している。

     文意から、天井画の依頼者、コロンバン氏や完成した天井画を称える意味合いが強い文である。また、パリ時代、自分の絵がサロンで一部の富裕層、愛好家を喜ばせていたに過ぎなかったことを省みた文でもある。

     大壁画「秋田の行事」は、その後、1937年(昭和12年)に制作されており、前述の文は、「秋田の行事」を意識して書かれたものでない。

     「秋田の行事」は、妻マドレーヌの急死後、平野政吉が提案した美術館建設構想を受け制作されたもので、依頼主の平野政吉個人に捧げる大壁画という意味合いが強い作品である。

     完成した作品には、「為 秋田平野政吉 嗣治 Foujita 1937 昭和12年 自二月廿一日 至三月七日 百七十四時間完成」と署名され、

     「この大きさと時間の記録は、世界が終わるまで破られまい」
     「四百年後に、再びこの壁画の前に立ってみたい」(1983年《昭和58年》1月9日、朝日新聞)と興奮し、語っていたのは有名な話だ。

     後世での評価を強く意識していた、歴史的意味を持つ作品である。

     また、「北斗星」が取り上げた「詩の国秋田に壁画時代を現出させよう」(2013年9月1日、秋田魁新報)は、壁画制作への藤田の強い意気込みを示しており、「北斗星」の言うように、「一人でも多くの秋田の人が壁画を見て、芸術に親しんでほしい」(2013年9月1日、秋田魁新報)という思いからではないことは、画家・藤田嗣治の全生涯を振り返れば分かるはずだ。藤田嗣治は誇り高き画家である。

     藤田の思いと違い、現県立美術館・平野政吉美術館が、多くの人が訪れていないので、新県立美術館を造ったという論理が語られるが、藤田の思いについても誤りがあり、移転の理由にならないだろう。さらに、入館者数を増やすことは、美術館の建物の問題でなく、広報宣伝活動の問題であることは、当ブログでも何度も指摘している通りだ。

     「秋田の行事」の移設は、地元紙などが、多くの紙面を割いて、大々的に報じているようだが、多くの秋田県民、秋田市民は冷めた眼で見ているようだ。長い年月を掛けて、愛されてきた壁画の移転を多くの人が寂しい、残念だと感じていることだろう。
     移転によって、物見遊山の客が多少増えたとしても、ほんの数年で激減することは容易に想像できることである。



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    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

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    以前より展示室が狭くなった。
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    階上の左右から見ることが出来なくなった。
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    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
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    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
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    (2014年2月)




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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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