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2014.03.24
 秋田市千秋公園入口高台の県民会館がある場所に、1960年(昭和35年)まで、ルネサンス様式建築の格調高い建物、秋田県記念館(正式名称、大正天皇御即位記念会館)があった。「文化の殿堂」、「秋田のシンボル」と称されたこの建物は、当時を知る市民に、あの建物が残っていれば貴重な近代文化遺産になっていただろうにと今も惜しまれている。建物の設計には、明治・大正時代、日本建築界の重鎮と言われた辰野金吾が顧問として参加している。辰野金吾は東京駅(国指定重要文化財、1914年《大正3年》竣工)、日本銀行本店(国指定重要文化財、1896年《明治29年》竣工)やお隣り岩手県の旧岩手銀行本店本館(国指定重要文化財、1911年《明治44年》竣工)などを設計している。秋田県記念館は、特徴的なドーム屋根を中央にした、左右対称の木造2階建、ヨーロッパ風のルネサンス様式の建物であった。大ホールを有していたので、演奏会、美術展、講演会、スポーツなどのイベントにも利用され、多くの市民に愛されていた。戦後の高度経済成長期に、老朽化を理由に取り壊され、コンクリート造りの在り来たりの、今の県民会館に変わってしまったのである。秋田では古い建物が次々に取り壊され、姿を消してしまったようだ。お隣りの山形県とは対照的である。山形では、旧山形県庁舎(国指定重要文化財、1916年《大正5年》竣工)、 旧山形県会議事堂(国指定重要文化財、1916年《大正5年》竣工)、 山形県立博物館教育資料館(国指定重要文化財、1901年《明治34年》竣工)など多くの明治以降の近代建築が今も大切に保存されている。秋田では古き良き建物、文化を大切にするという意識が乏しく、人々に根付いていないのだろうか。行政が先頭に立ち、古き良きものを大切にする意識を持って欲しいものである。かつて秋田県記念館があった場所の向かい側に、1967年(昭和42年)に建設された平野政吉美術館(秋田県立美術館)がある。この特徴的なデザインの建物も、収蔵されている平野コレクションとともに長く保存されることにより、昭和の文化遺産として、価値を高めていくはずである。

(再投稿、2012.2.15)



  


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藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
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(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)


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  • 2014.03.24(23:50)|未分類||TOP↑
    2013.05.26
     秋田県立美術館・平野政吉美術館の移転計画は、2007年(平成19年)11月に、当時の財団法人平野政吉美術館(現公益財団法人平野政吉美術財団)に示され、その後、2008年(平成20年)3月に財団が移転を受け入れたとされている。
     一方、この移転計画には、市や県により、当初から県立美術館跡地への、秋田市の某施設の移転改築が、同時に画策されている。

     秋田市中通の日赤・婦人会館跡地の再開発計画は、当初、2000年(平成12年)に芸術文化ホールが計画されたが、2001年(平成13年)、佐竹敬久氏(現秋田県知事)が秋田市長になって取り消され、変わって秋田市千秋公園内にある、某施設の移転案(歴史ミュージアムとして)が計画された。しかし、この案に、当時の寺田県知事が難色を示し、変わって出されたのが、築40年を超えようとしていた県立美術館(平野政吉美術館)の移転案であった。しかも、この案は、県、市などにより、県立美術館跡地への某施設の移転改築がセットになって考えられていたのである。当時の佐竹秋田市長(現県知事)は、千秋公園内にあるこの施設について、2007年(平成19年)9月の市議会で、県立美術館跡地における改築も視野に検討を要する、と発言している。

     旧秋田藩主・佐竹家伝来の武具、書画等を所蔵しているこの施設は、元は秋田市美術館であった建物だが、1989年(平成元年)に建設された複合施設、秋田総合生活文化会館・美術館(アトリオン)内に秋田市立千秋美術館が開館したのに伴い、 1990年(平成2年)に設置されている。建物が現在、築50年以上なるとのことで移転新築などが検討されていると言うことだ。
     現秋田県知事である佐竹敬久氏(当時、秋田市長)は、旧秋田藩主・佐竹家の分家、佐竹北家の現当主(第21代当主)でもあるとのことだが、自身の先祖と関わりある施設の移転改築のために、秋田県立美術館・平野政吉美術館の移転を県とともに、積極的に推し進めている。これは、公人として問題視されるべきことではないか。

     また、この移転計画は、秋田県立美術館・平野政吉美術館の文化的な価値について、しっかりとした調査やその認識を持つこともなく、耐震補強工事が必要、再開発地区の賑わいに繋げたいなどの理由で、強引に推し進められている。
     耐震補強工事や街の賑わいについては、現在の県立美術館・平野政吉美術館の場所と再開発地区は200メートル程しか離れておらず、現在地での改修工事、広報や運営の改善が十分できるはずである。

     2010年(平成22年)2月の秋田県議会で、新県立美術館建設の問題が議論されたが、現秋田県立美術館・平野政吉美術館の文化的な価値について議論が深められ、認識されたわけではなく、再開発組合がゼネコンから借入金があることなどに議論が変わり、再開発事業全体に問題はない、従って新県立美術館建設に問題はないという論法で、新県立美術館取得負担金を含む予算案が可決されただけに過ぎなかった。

     秋田県立美術館・平野政吉美術館の文化的な価値について、正しい認識が深められ、共有されたわけではないのである。 

     秋田県立美術館・平野政吉美術館は、「秋田の行事」を大空間に展示すること、自然光を館内に採り入れること、「秋田の行事」を床から1.8メートル(6尺)上げ、両端を少しずつせり出した展示にすることなどを、藤田嗣治に直接助言され、建設されている。世界的な画家・藤田嗣治の理念が反映された、文化的な価値の高い美術館である。

     この美術館の展示環境で、「秋田の行事」、その他の平野政吉コレクションを鑑賞することが、観る者に感動と喜びを与え、藤田が絵に込めた思い、美術館建設に情熱を燃やし続けた平野政吉の思いを学ぶことに通じるはずである。

     一方、現在、県は、秋田市との協議で、現秋田県立美術館・平野政吉美術館の建物の活用に関する検討を依頼しているとのことである。

     おそらくは、秋田市美術館がアトリオンに移った時と同じように、千秋公園内の某施設の移転を想定していると思われるが、現秋田県立美術館・平野政吉美術館の文化的価値を無視して、この施設を移すことが必要なのかどうか。市民、県民が望んでいることなのか。

     現秋田県立美術館・平野政吉美術館の大展示室は、「秋田の行事」専用に設計された空間であり、他の利用方法は考えられないだろう。

     旧秋田藩主ゆかりの遺品なら、その一族の人達に引渡し、任せるべきではないのか。

     また、秋田市中通の再開発地区では、与次郎というキャラクターが作られ、先月、その像まで作られたという。旧秋田藩主と関わりある千秋公園内の稲荷神社に因み、命名されたとのことだ。旧秋田藩主との関連を強調し、宣伝しなければならない理由は一体どこにあるのか疑問だ。千秋公園内にある施設と結びつけようとする意図が込められているのかも知れない。

     秋田市の千秋公園一帯の地域は、文化、歴史、市民の憩いが共存した、多くの人が集う多様性のある、豊かな地域を目指すべきである。

     文化的な価値の高い現秋田県立美術館・平野政吉美術館を保存し、これまで通り使用し続けることは、そのためにも非常に重要なことである。




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    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

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    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2013.05.26(01:34)|未分類||TOP↑
    2013.05.20
     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)が、今年6月30日で閉館されると伝えられている。この美術館は、1967年(昭和42年)5月5日に、平野政吉コレクションの大壁画「秋田の行事」などを展示し、広く国内外に公開するために開館した。
     2007年12月頃、県が、この美術館を移転すると言い出した時、この美術館が、老朽化し、築40数年になるので大規模耐震補強が必要となる。今移転すれば、県有地との相殺で現金支出がほとんどゼロとなり、財政上、有利だ。藤田作品を再開発地区の賑わいに利用したいなどの理由を挙げていた。P1010022 平野政吉美術館(2013年4月)
     一方で、耐震検査は実施しないとしていた。個人の建物なら自由だが、公共施設を更新せず、新しく建設する場合、科学的な検査を実施しなくも良いものだろうか。検査の結果、低いコストで継続利用できる場合も当然有り得るだろう。また、現金支出がほとんどゼロで新美術館が手に入るという話はその後、9億円以上かかることが分かっており、虚偽であった。街の賑わいに利用したいという話は、現県立美術館(平野政吉美術館)や千秋公園全体を考えた広いエリアでの賑わいを考えることが当然可能であった。
     結局、正当な理由が見つからない新美術館の移転新築であり、このようなデタラメな理由で、藤田嗣治と平野政吉の念願の美術館が、閉館されるという事態になって良いものだろうか。
     現在、秋田県立美術館(平野政吉美術館)で行われている企画展「藤田嗣治の祈り、平野政吉の夢」P1010018 平野政吉美術館(2013年4月)の展示資料を見ると、1966年(昭和41年)2月に、平野家親族により、現県立美術館(平野政吉美術館)の平面図、立面図が藤田に示され、千秋公園の堀の位置、庭の図までも知らされていたことが分っている。さらに、その年5月の平野政吉のフジタ訪問時に、美術館の採光の形式などがアドバイスされている。
     このような文化的な価値が高い美術館を閉館にしてしまえば、秋田だけに止まらず、日本の文化的財産を失うことにならないのか。
     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、閉館すべきではないだろう。



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    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

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    階上の左右から見ることが出来なくなった。
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    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
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    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2013.05.20(01:19)|未分類||TOP↑
    2012.08.29
     秋田市の千秋公園は、関ヶ原の合戦の後、秋田に転封された初代秋田藩主佐竹義宣が自然の丘陵を利用して築城した久保田城の城址を、1896年(明治29年)、P1010469 千秋公園造園家、長岡安平の設計により日本庭園として整備された公園である。公園の入口付近には、お堀があり、広さは162,900平方メートル。園内には御隅櫓、久保田城表門が再建されている。秋田市民の憩いの場として親しまれている市民公園である。
     この千秋公園と似た公園に、東京都千代田区の北の丸公園がある。北の丸公園は江戸城の北の丸であった場所にあり、1963年(昭和38年)に建設省が森林公園として整備を開始し、1969年(昭和44年)、昭和天皇の還暦を記念して開園、一般公開された。現在は環境省の管理する国民公園の一つとなっている。干鳥ヶ淵、牛ヶ淵、清水濠のお堀に囲まれ、広さは193,297平方メートル。園内には、旧江戸城の遺構である田安門、清水門(どちらも重要文化財)の城門があり、多くの文化施設を公園内に持ち、緑豊かな都会のオアシスと言える公園である。
     北の丸公園では、樹木の間を縫ってウォーキング、ジョギングを楽しむ人達のためにコースが整備されおり、休憩所も数箇所建てられている。また、園内には日本武道館、科学技術館、東京国立近代美術工芸館等の文化施設があり、多種多様な人々が大勢訪れている。
     秋田市の千秋公園は、JR秋田駅から至近であると言う好立地にあるのだが、城址公園であるかのような色彩が強いのが惜しまれる。田安門の中に日本武道館がある北の丸公園のように、再建された表門の内側に多彩な施設があっても全くおかしくないことだ。P1010466_01 千秋公園
    千秋公園では1950年(昭和25年)から22年間、動物園があった時期もあるが、少なくても現在より多くの子供や市民が訪れ、賑わっていた。千秋公園にもジョギングコース、散策コース、休憩所などが整備をされれば、より楽しい公園になることだろう。
     お堀に面した位置にある現県立美術館(平野政吉美術館)も都市公園の多様性の役割を果たしており、現在のままの形の美術館として末永く残して行くべきである。

    P1010559_01 千秋公園の堀を前景にした平野政吉美術館(7月)
    千秋公園の堀を前景にした平野政吉美術館




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    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
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    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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    平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

    秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
    美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


    お薦め記事 … 郷土・秋田の文化遺産を継承する会
    ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
    現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • 2012.08.29(02:00)|評論||TOP↑
    2012.05.29
     秋田市中通再開発地区の工事が、80%ほど完成していると言う。
     以前、周囲を覆っていた囲いも取り外され、各建物には、マークが取り付けられている。
     新県立美術館は、予想通りだが、周囲の建物に埋没していることが分かる。美術館としての独立した存在感は感じられない。
     商業施設とのスペースが異常に小さく、極めて窮屈な感じとなっている。
     広小路を通行すると、この建物を見たいとは思わず、千秋公園の堀の風景に目が向いてしまう。
     この建物(新県立美術館)に相応しい利用方法を今から考えるべきである。
     藤田嗣治の「秋田の行事」を始めとした平野政吉コレクションの展示に相応しいのは、現県立美術館(平野政吉美術館)であることは言うまでもない。


    P1010398_01 中通(5月)
    等身大写真で覆われた囲いは取り外されていた

       P1010396 中通(5月)   P1010402_01 中通(5月)
                  Au                         なかいち

    P1010447 新県立美術館(5月)
    周囲の建物に埋没している新県立美術館

    P1010386 新県立美術館(5月)
    新県立美術館

    P1010393 新県立美術館(5月)
    商業施設に極端に隣接している新県立美術館

    P1010378 千秋公園の堀(5月)
    千秋公園の堀

    P1010437_01 平野美術館(5月)
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)



    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)について


     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、移転の必要がない。この美術館から、大壁画「秋田の行事」を始めとする藤田嗣治作品を移設することは、建物と藤田嗣治作品の文化的価値を損なうものであり、同時に秋田県、秋田県民の利益を損なうものである。
     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は従来通り、平野政吉が生涯を懸け収集した藤田嗣治作品の展示、鑑賞の場として末永く後世に伝えるべきである。






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    平野政吉美術館と一体である藤田嗣治作品
    平野政吉美術館の移転理由は何か [新規構成]
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 1 … 出会い
    大壁画「秋田の行事」誕生、美術館の壁画に … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 3
    18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
    最後の作品「平和の聖母礼拝堂」、永遠の別れ、永遠の友情 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 5
    藤田嗣治が助言した平野政吉美術館の採光
    発見された藤田嗣治の日記と「秋田への思い」、「秋田の行事」、「美術館建設」


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    新県立美術館の展示、利用は新しい街に相応しいものにすべきである。
    藤田嗣治「秋田の行事」の展示に最善の場所






    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2012.05.29(06:00)|リポート||TOP↑
    2011.09.30
     秋田市中通の再開発地区に建設中だいう新秋田県立美術館は、安藤忠雄氏の設計ということだが、屋上に大量の水を入れ、2階から水面を眺める構造になっている。美術館に来て水を眺めたいと思うものなのか。水は、川、湖など自然の中で眺めてこそ安らぎがあるのではないか。秋田にはそれに見合う豊かな自然がある。安藤忠雄氏は「水の都」とも言われる大阪市出身で、そのためかどうかは分からないが、水を題材にした建築物を数多く設計している。北海道占冠(しむかっぷ)村の「水の教会」、京都市左京区にある京都府立陶板名画の庭、大阪府大阪狭山市の大阪府立狭山池博物館、岡山県高梁市にある高梁市成羽美術館、香川県高松市にある四国村ギャラリー、愛媛県西条市の「南岳山光明寺」、海外ではドイツ、デュッセルドルフ郊外のノイスにある「ホンブロイッヒ・ランゲン美術館」などがある。秋田市は、海もあり、山もあり、川もある街だが、特別に「水」に特徴がある街ではない。千秋公園の堀もささやかな市民の憩いの場である。また、平野政吉美術館所蔵の藤田嗣治作品と安藤忠雄氏の「水」とは全く関連性が見当たらないし、まして「秋田の行事」との関連性もない。結局、この建物は安藤氏の自己満足、自己主張の建物ではないか。この建物に藤田嗣治作品は相応しくない。藤田作品の移設は止めるべきである。


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    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

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    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2011.09.30(23:20)|評論||TOP↑
    2011.09.06
     秋田市中心部にある千秋公園は、1602年(慶長7年)、初代秋田藩主佐竹義宣が自然の丘陵を利用して築城した久保田城の城址を、1896年(明治29年)、造園家、長岡安平の設計により日本庭園P1010527 空800x600-3.jpgとして整備された公園である。明治2年(1869年)、陸軍省の所管になり、1890年(明治23年)、佐竹氏へ払い下げとなって、本丸・二の丸を秋田市が借り受け、その後、管理が秋田県、秋田市と移り、1984年(昭和59年)、佐竹宗家・佐竹義榮氏の遺志に沿い、公園用地(約14万6千㎡)が佐竹氏から秋田市へ寄贈になっている。千秋公園は、藩政時代からの歴史がある一方、中心市街地に立地し、市民公園、都市公園として定着している。歴史的部分の継承も大切だが、駅からも至近であるという好立地を十分に生かす意味でも、市民が集い、楽しみ、憩い、安らげるという役割、散策して楽しめるという役割を十分に果たせる公園を目指していくべきである。そのためには、歴史的部分が強調されることなく、多様性を持ち、調和の取れた公園を目指していくべきである。千秋公園内に「佐竹史料館」という文化施設がある。秋田藩主・佐竹氏由来の品々を展示した施設である。鎧、刀剣、旗、馬具など貴重な品が展示され、企画展では書画も展示されている。しかし、P1010514 佐竹史料館 800x600-2.jpg何度も繰り返し見てみたいという性質の展示ではない。現在の規模で十分役割を果たしている。万一改修が必要な場合は、公園と調和のとれた現在地が最適である。





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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
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  • 2011.09.06(17:05)|評論||TOP↑
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