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2015.02.18
新聞報道によると、2月16日の秋田県議会で、J党のO議員が、旧県立美術館の今後について、そもそも県は耐震工事を施すより新築移転の方が投資が少ないと説明した、費用対効果から見て解体かモニュメントにすべきとの考えを述べたということだ。しかし、そもそもの論で行くと、県は当初、県有地との相殺で、ほぼ支出ゼロで、新しい美術館を手にできるとし、財団法人平野政吉美術館(当時)に説明し移転を迫ったはずだ。それが2年後の県議会では、9億2千万円の支出に増加したが、県や議会は新築移転の見直しをしなかった。その理由は一体何であったのか。また、県は、旧・県立美術館を利用する際の耐震工事費などについて2億円~6億8千万円という数字を出し、費用対効果を強調したいかのようであるが、文化的な遺産が、県民の有形、無形の財産になるという視点、県民の心の豊かさに繋がるという視点が欠けているようだ。費用対効果については、八幡平の事故で残った熊のために、北秋田市に3億5千万円の県費で造った施設の効果なども、県や議員にしっかり検証して頂きたいものである。こちらの施設は全く県民の財産にはならない代物ではないか。新県立美術館等を建てた秋田市中通の再開発は、発注者と受注者が同じという奇妙な事業であった。ゼネコンを含む組合(当時)が、ゼネコン自らにに発注し、そこに巨額の公費が注ぎ込まれている。誰のための再開発事業、新美術館建設であったかは明白だ。



(注) 県は旧県立美術館を、美術館使用した場合、6億8700万円。館内の利用ができないモニュメントとした場合、2億3200万円など、耐震補強等の費用の試算を発表。



<関連記事>
・美術館を移転させた後、今頃、旧来の秋田県立美術館(平野政吉美術館)の耐震診断をした、理解不能な秋田県 ― しかも、改修費は、以前、議会で発言した10年で10億円を大きく下回る、15年で6億8700万円 ~ 移転は必要なかった!!

・秋田県立美術館(旧)の今後について ― 「秋田の行事」展示館か、「秋田の行事」展示を中心とした、「県立美術館・本館」にすべきである。

・新県立美術館における「秋田の行事」の見え方について ~ 藤田嗣治が求めたのは自然光による採光形式であった




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藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

(参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

(2015年9月)



新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

以前より展示室が狭くなった。
「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
階上の左右から見ることが出来なくなった。
照明の照り返しがきつい。
2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

などの声が上がっています。
(2014年2月)




 「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
(2013年8月31日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
 平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
(2013年8月1日)



 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
 

 ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
(2013年5月15日)


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秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
美の巨人たち 藤田嗣治 「秋田の行事 」 ― 視聴出来なかった秋田県の方々に、一部誌上再現!
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


お薦め記事 … 郷土・秋田の文化遺産を継承する会
ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • 2015.02.18(07:00)|コラム~文化||TOP↑
    2013.05.26
     秋田県立美術館・平野政吉美術館の移転計画は、2007年(平成19年)11月に、当時の財団法人平野政吉美術館(現公益財団法人平野政吉美術財団)に示され、その後、2008年(平成20年)3月に財団が移転を受け入れたとされている。
     一方、この移転計画には、市や県により、当初から県立美術館跡地への、秋田市の某施設の移転改築が、同時に画策されている。

     秋田市中通の日赤・婦人会館跡地の再開発計画は、当初、2000年(平成12年)に芸術文化ホールが計画されたが、2001年(平成13年)、佐竹敬久氏(現秋田県知事)が秋田市長になって取り消され、変わって秋田市千秋公園内にある、某施設の移転案(歴史ミュージアムとして)が計画された。しかし、この案に、当時の寺田県知事が難色を示し、変わって出されたのが、築40年を超えようとしていた県立美術館(平野政吉美術館)の移転案であった。しかも、この案は、県、市などにより、県立美術館跡地への某施設の移転改築がセットになって考えられていたのである。当時の佐竹秋田市長(現県知事)は、千秋公園内にあるこの施設について、2007年(平成19年)9月の市議会で、県立美術館跡地における改築も視野に検討を要する、と発言している。

     旧秋田藩主・佐竹家伝来の武具、書画等を所蔵しているこの施設は、元は秋田市美術館であった建物だが、1989年(平成元年)に建設された複合施設、秋田総合生活文化会館・美術館(アトリオン)内に秋田市立千秋美術館が開館したのに伴い、 1990年(平成2年)に設置されている。建物が現在、築50年以上なるとのことで移転新築などが検討されていると言うことだ。
     現秋田県知事である佐竹敬久氏(当時、秋田市長)は、旧秋田藩主・佐竹家の分家、佐竹北家の現当主(第21代当主)でもあるとのことだが、自身の先祖と関わりある施設の移転改築のために、秋田県立美術館・平野政吉美術館の移転を県とともに、積極的に推し進めている。これは、公人として問題視されるべきことではないか。

     また、この移転計画は、秋田県立美術館・平野政吉美術館の文化的な価値について、しっかりとした調査やその認識を持つこともなく、耐震補強工事が必要、再開発地区の賑わいに繋げたいなどの理由で、強引に推し進められている。
     耐震補強工事や街の賑わいについては、現在の県立美術館・平野政吉美術館の場所と再開発地区は200メートル程しか離れておらず、現在地での改修工事、広報や運営の改善が十分できるはずである。

     2010年(平成22年)2月の秋田県議会で、新県立美術館建設の問題が議論されたが、現秋田県立美術館・平野政吉美術館の文化的な価値について議論が深められ、認識されたわけではなく、再開発組合がゼネコンから借入金があることなどに議論が変わり、再開発事業全体に問題はない、従って新県立美術館建設に問題はないという論法で、新県立美術館取得負担金を含む予算案が可決されただけに過ぎなかった。

     秋田県立美術館・平野政吉美術館の文化的な価値について、正しい認識が深められ、共有されたわけではないのである。 

     秋田県立美術館・平野政吉美術館は、「秋田の行事」を大空間に展示すること、自然光を館内に採り入れること、「秋田の行事」を床から1.8メートル(6尺)上げ、両端を少しずつせり出した展示にすることなどを、藤田嗣治に直接助言され、建設されている。世界的な画家・藤田嗣治の理念が反映された、文化的な価値の高い美術館である。

     この美術館の展示環境で、「秋田の行事」、その他の平野政吉コレクションを鑑賞することが、観る者に感動と喜びを与え、藤田が絵に込めた思い、美術館建設に情熱を燃やし続けた平野政吉の思いを学ぶことに通じるはずである。

     一方、現在、県は、秋田市との協議で、現秋田県立美術館・平野政吉美術館の建物の活用に関する検討を依頼しているとのことである。

     おそらくは、秋田市美術館がアトリオンに移った時と同じように、千秋公園内の某施設の移転を想定していると思われるが、現秋田県立美術館・平野政吉美術館の文化的価値を無視して、この施設を移すことが必要なのかどうか。市民、県民が望んでいることなのか。

     現秋田県立美術館・平野政吉美術館の大展示室は、「秋田の行事」専用に設計された空間であり、他の利用方法は考えられないだろう。

     旧秋田藩主ゆかりの遺品なら、その一族の人達に引渡し、任せるべきではないのか。

     また、秋田市中通の再開発地区では、与次郎というキャラクターが作られ、先月、その像まで作られたという。旧秋田藩主と関わりある千秋公園内の稲荷神社に因み、命名されたとのことだ。旧秋田藩主との関連を強調し、宣伝しなければならない理由は一体どこにあるのか疑問だ。千秋公園内にある施設と結びつけようとする意図が込められているのかも知れない。

     秋田市の千秋公園一帯の地域は、文化、歴史、市民の憩いが共存した、多くの人が集う多様性のある、豊かな地域を目指すべきである。

     文化的な価値の高い現秋田県立美術館・平野政吉美術館を保存し、これまで通り使用し続けることは、そのためにも非常に重要なことである。




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    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
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    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2013.05.26(01:34)|未分類||TOP↑
    2012.06.12
     秋田市中通の再開発地区(エリアなかいち)のマスコットキャラクターは与次郎というキツネだと言う。秋田市千秋公園内の八幡秋田神社の隣にひっそり佇む稲荷神社、與次郎稲荷神社に祭られている「与次郎」がモデルとのことだ。伝説では、与次郎は並外れた能力を持つ、飛脚に姿を変えたキツネであったが、その能力を妬んだ仲間に殺害され、その後、霊を慰めるため、藩主によって祭られたとのこと。今は閑静な千秋公園の片隅に人知れずひっそりと安らかに祭られている。この「与次郎」を賑々しい再開発地区、商業地区のキャラクターに引っ張り出すとのことだ。イベントなども企画されているようだ。与次郎もさぞ困惑していることだろう。秋田市の街の賑わいづくりにはミスマッチなキャラクターである。



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    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
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    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

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    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  •    tag : 秋田市 再開発

    2012.06.12(23:39)|短評||TOP↑
    2012.06.12
     秋田市中通の再開発事業にも関わっている大手建設会社のテレビコマーシャルを少し前に見た。子供達が大勢登場し、子供達が歌い、自社が関わった事業の映像を流し、「子供に誇れる仕事を」と言うキャッチコピーが流れるものであった。そのCMを見て、この建設会社が、秋田市中通再開発で、いつのまにか再開発事業の組合員になり、組合に数億円融資し、この事業の建設を競争なしで請け負ったことを思い出した。あれは子供に誇れる手法だったのかと。最新の建造物に無邪気な子供が喜ぶのは当然だ。子供騙しという言葉もある。彼らは「地域住民に誇れる仕事を」「子供が大人になった時に誇れる仕事を」するべきである。



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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  •    tag : 秋田市 再開発

    2012.06.12(21:43)|短評||TOP↑
    2012.06.09
     建築家・安藤忠雄氏の講演会が、7月22日に、県の主催でまたもや行われると言う。安藤氏の講演会は、昨年7月8日にもあったばかりで、県の主催ではなかったが2009年5月10日にも秋田市であった。新秋田県立美術館の設計者であったと言う理由からだと思うが、これほど頻繁に行われると、この新県立美術館の新築は、一体何のため、誰のためのものであったのか、改めて考えさせられる。安藤忠雄氏はとにかく講演会の多い人である。無論、依頼を受けたからであろうが、今年の4月~6月だけで、予定も含め、17件の講演を行っている。調べてみると、昨年一年間だけで74件の講演会に出演している。講演料は1件あたり100万円~150万円が相場のようなので、年間では7400万円~1億1100万円か。講演会と再開発事業や美術館建設がセットになっている例も多い。山梨県北社市、清春芸術村の「光の美術館」建設でも昨年の完成記念講演に続き、今年4月29日に開館1周年記念講演会が行われている。特定の建築家を偏重する風潮は改めるべきではないか。剥き出しのコンクリートに寒々とした印象を持つ人も多い。新しい街づくりの主役は、建築家や建物ではない。「安藤忠雄氏なら進めたい」と前知事が表明し、県民の見直し要求を無視し、「安藤氏による計画を白紙にすれば、県の信頼が失われる可能性がある」との理由で、現知事が進めたこの再開発、新美術館建設は誰のためのものであったのか。


    (参考) 安藤忠雄 講演会情報  安藤忠雄 講演料金の目安

    新県立美術館建設は何のため、誰のためであったのか、疑問に思う方、クリックを
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    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)について


     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、移転の必要がない。この美術館から、大壁画「秋田の行事」を始めとする藤田嗣治作品を移設することは、建物と藤田嗣治作品の文化的価値を損なうものであり、同時に秋田県、秋田県民の利益を損なうものである。
     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は従来通り、平野政吉が生涯を懸け収集した藤田嗣治作品の展示、鑑賞の場として末永く後世に伝えるべきである。





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    平野政吉美術館の移転理由は何か [新規構成]
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    18年ぶりの再会、念願の美術館建設の実現 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 4
    最後の作品「平和の聖母礼拝堂」、永遠の別れ、永遠の友情 … 平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史 5
    藤田嗣治が助言した平野政吉美術館の採光
    発見された藤田嗣治の日記と「秋田への思い」、「秋田の行事」、「美術館建設」


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    藤田嗣治「秋田の行事」の展示に最善の場所







    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
    平野政吉美術館(秋田県立美術館)の採光について
    開催中の企画展「藤田嗣治の祈り 平野政吉の夢」 …… 「なぜ この美術館が閉館なのか?」という疑問

    (2015年9月)



    新県立美術館に移された「秋田の行事」を観た方々から、

    以前より展示室が狭くなった。
    「秋田の行事」が、窮屈で縮んで見える。
    階上の左右から見ることが出来なくなった。
    照明の照り返しがきつい。
    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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    平野政吉美術館の大展示室と藤田嗣治「秋田の行事」 ~ 永遠に

    秋田県立美術館(平野政吉美術館)の閉館、大壁画「秋田の行事」展示室の閉鎖及び「秋田の行事」、藤田嗣治作品の移転について
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    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)に展示されている藤田嗣治「秋田の行事」


    お薦め記事 … 郷土・秋田の文化遺産を継承する会
    ご挨拶 … 現秋田県立美術館(平野政吉美術館)を、藤田嗣治「秋田の行事」、藤田嗣治作品の恒久的な展示、鑑賞の場に
    平野政吉と藤田嗣治の交友の歴史
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の丸い採光窓

    提言:新秋田県立美術館は、収蔵作品を持たない企画展に特化した美術館にすべきである。
    現秋田県立美術館の展示室が優れているこれだけの理由


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  • 2012.06.09(01:30)|評論||TOP↑
    2012.05.29
     秋田市中通再開発地区の工事が、80%ほど完成していると言う。
     以前、周囲を覆っていた囲いも取り外され、各建物には、マークが取り付けられている。
     新県立美術館は、予想通りだが、周囲の建物に埋没していることが分かる。美術館としての独立した存在感は感じられない。
     商業施設とのスペースが異常に小さく、極めて窮屈な感じとなっている。
     広小路を通行すると、この建物を見たいとは思わず、千秋公園の堀の風景に目が向いてしまう。
     この建物(新県立美術館)に相応しい利用方法を今から考えるべきである。
     藤田嗣治の「秋田の行事」を始めとした平野政吉コレクションの展示に相応しいのは、現県立美術館(平野政吉美術館)であることは言うまでもない。


    P1010398_01 中通(5月)
    等身大写真で覆われた囲いは取り外されていた

       P1010396 中通(5月)   P1010402_01 中通(5月)
                  Au                         なかいち

    P1010447 新県立美術館(5月)
    周囲の建物に埋没している新県立美術館

    P1010386 新県立美術館(5月)
    新県立美術館

    P1010393 新県立美術館(5月)
    商業施設に極端に隣接している新県立美術館

    P1010378 千秋公園の堀(5月)
    千秋公園の堀

    P1010437_01 平野美術館(5月)
    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)



    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)について


     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、移転の必要がない。この美術館から、大壁画「秋田の行事」を始めとする藤田嗣治作品を移設することは、建物と藤田嗣治作品の文化的価値を損なうものであり、同時に秋田県、秋田県民の利益を損なうものである。
     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は従来通り、平野政吉が生涯を懸け収集した藤田嗣治作品の展示、鑑賞の場として末永く後世に伝えるべきである。






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    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

    (参照 … 発見された「幻の藤田美術館」の設計図と、現県立美術館への藤田の助言を示すメモと手紙
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    (2015年9月)



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    2階から見ると目線から高すぎる。3階から眺めると壁画が低すぎる。
    展示室に奥行きがなく、この壁画の迫力が全く感じられない。
    以前は圧倒するほどの存在感があったが、この絵の輝きが失われた。
    新しい建物の現代的な感じと秋田の行事が違和感ある。
    あそこへ行きさえすれば、という大きな拠り所が失われた。

    などの声が上がっています。
    (2014年2月)




     「秋田の行事」は8月31日に、平野政吉と藤田嗣治が一体となり建てた現県立美術館(平野政吉美術館)から移設されました。これは、世界に誇れる貴重な文化遺産を崩壊させる、非常に愚かな行為であり、一秋田県民として、強く非難致します。
    (2013年8月31日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、建物を活用を検討していながら、2013年6月30日で閉館扱いとなりました。
     平野政吉と藤田嗣治が一体になり、実現させた現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、後世の人々、美術愛好家、若者達、藤田嗣治ファンのためにも残すべきです。
    (2013年8月1日)



     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)の大展示室は、「秋田の行事」のためにレオナール・フジタ(藤田嗣治)が助言したものです。
     

     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2012.05.29(06:00)|リポート||TOP↑
    2012.03.12
     秋田市中通の再開発地区に建設中だと言う新秋田県立美術館。著名な安藤忠雄氏設計の建物だと言うことだが、建物の屋上部分に大量の水を溜め、水庭として2階から眺める構造だと言う。どれだけの秋田の人が、水を眺める美術館を望んでいるのだろうか。しかも、秋田では、12月から3月までの冬場は雪に覆われた景色を眺めることになる。設計者、安藤忠雄氏は、雪国、秋田に住む人々の心情をどれだけ理解していたのだろうか。雪と格闘する日常生活の中で、美術館と言う非日常的な空間に来てまで秋田の人は雪景色を眺めたいとは思わないだろう。
     古来より、悠久の水の流れは人生の流れにも例えられてきた。日本画家、奥田元宋(1912年-2003年)は、かつて京都・慈照寺(銀閣寺)の障壁画を制作する際に、「人生の流れになぞらえて悠久の水を描きたい」と語り、障壁画を描いたと言う。自然の中に身を置き、眺める水の流れにこそ、人生への想いを感じ、ひと時の安らぎを覚えるのである。


    P1010255 堀の雪景色 800x600
    雪に覆われた千秋公園の掘
    新県立美術館の窓から眺める景色はこのようなものか




    現秋田県立美術館(平野政吉美術館)について


     現秋田県立美術館(平野政吉美術館)は、移転の必要がない。この美術館から、大壁画「秋田の行事」を始めとする藤田嗣治作品を移設することは、建物と藤田嗣治作品の文化的価値を損なうものであり、同時に秋田県、秋田県民の利益を損なうものである。
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    藤田嗣治は、壁画「秋田の行事」が完成した当時から、美術館は、自然光による採光形式にしたいという意向を持っていた。
    1963年、平野政吉の親族に渡した美術館のイメージ図にも、壁画を大空間に展示し、上方から自然光を取り入れるよう描かれている。
    1966年5月、美術館建設の報告に訪れた平野政吉に、美術館の屋根は採光の形式にするよう、助言している。

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     ― 藤田は、「秋田の行事」を礼拝堂のような大空間で観るよう助言し、建物の上方から自然光を採り入れ、壁画に降り注ぐよう助言しました。また、壁画を床から1.8メートルの位置に上げ、両端を少しずつせり出して据え付けたのも、臨場感を狙い、藤田がこの絵に最も良い展示方法を指示したものです。藤田の理念が強く反映されている美術館、展示室は後世に伝えていくべきです。
    (2013年5月15日)


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  • 2012.03.12(21:08)|短評||TOP↑
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